慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日本は、自国民救出すら出来ない(拉致問題他)

2021年11月13日 | 憲法
🌸日本は、自国民救出すら出来ない(拉致問題他)

 ☆アフガン事件が突き付けた粗末な自衛隊法
 ☆自衛隊が危険な場所の邦人を救出するとき
 ☆安全が条件の自衛隊法は無用の長物だ

自国民救出を米国に依存して
 ☆アフガンへ自衛隊機の派遣が遅れた理由
 *戦後、日本は米国に安全保障を依存してきた
 *日本は、他国での自国民救出も自立した意志を持っいない
 *邦人の救出を他国に委ねている
 ☆命令が遅れた原因は、外務省の自衛隊不信にある
 *今回の派遣の法的根拠である自衛隊法
 *在外邦人等の輸送は、安全が確保できる場合に限るとの条件がある
 ☆政府も外務省も「安全」について
 *「自衛官」というプロの意見直接聞かないことが問題だ
 ☆日本政府も他国が運航を続けているのに
 *自衛隊が派遣に躊躇することはない

⛳国は自衛官の責務を尊重せよ
 ☆外務省が自衛官を蚊帳の外にする背景の「安全」の尺度
 *曖味なものを基準にすること自体が不合理だ
 *自衛隊が派遣されるのは一般人では「危険」な場所だからだ
 ☆派遣条件から「安全」を外すべきだ
 ☆自衛官は任官時に宣誓している
 *事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務める
 *もって国民の負託にこたえると
 ☆今回のアフガン派遣
 *助けを求めている者たちのそばまで行きながら
 *見捨てざるを得なかった自衛官たちの心中は察するに余りある
 *「守るべき存在があるのを眺めているだけ」の現実
 ☆身近なところにある北朝鮮による日本人拉致問題

⛳拉致被害者救出の方策を示せ
 ☆拉致被害者救出への自衛隊の活用も必要だ
 ☆自衛隊の活用が考えられるのは、救出作戦ばかりではない
 *情報収集から保護、輸送まで様々ある
 ☆日朝交渉の場に制服を着た自衛官が同席するだけでも圧力になる
 *武威の活用を真摯に考えるべきだ
 ☆自衛隊を活かすも殺すも、結局は政治の判断
 ☆自衛隊の最高指揮官たる総理大臣の決断次第なのだ
 ☆岸田文雄総理大臣には、「時代を変える決断」を切に望む
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS11月号』




日本は、自国民救出すら出来ない(拉致問題他)
『THEMIS11月号』記事他より画像引用)
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19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争)

2021年11月13日 | 歴史
🌸19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争)

⛳ランドパワーの巻き返しが鉄道の発達によって始まる
 ☆19世紀前半にイギリスから始まった鉄道の敷設
 *陸上輸送の輸送量や輸送時間に革新をもたらした
 ☆鉄道は、ランドパワー国家が、巻き返しを図る強力な武器となった
 *ロシアは、東アジアへの進出を目指してシベリア鉄道の建設に着工
 *ドイツも鉄道政策を打ち出し国力を強化しようとした
 ☆海上交通は、帆船に代わって汽船が主力となる
 *輸送量の増大と移動時間の短縮を実現した
 *スエズ運河が完成も大きく寄与した
 ☆イギリスやフランスに加えてドイツやアメリカ
 *植民地獲得競争に参加する帝国主義時代が到米した

南下政策のロシアとイギリスがことごとく対立
 ☆ランドパワーのロシア
 *不凍港を手に入れたいとの長年の悲願があった
 ☆ロシアが目をつけたのは、オスマン帝国の黒海や地中海
 ☆ロシアはオスマン帝国に対して
 *クリミア戦争や露土戦を仕掛けた
 *オスマン帝国側をイギリスが支援した
 ☆ロシアは南下の突破口を中央アジアにも見出そうとする
 *インドヘの侵人を防ぎたいイギリスと激突
 ☆ロシアは、清から満州東岸の沿海州を奪う
 *ウラジオストク港を建設する
 *ウラジオストクはロシアにとり数少ない不凍港
 ☆ロシアは次に朝鮮半島を狙った
 *ロシアに対峙したのは、新興国の日本だった

⛳日本が近代国家の仲間入りを目指す
 ☆明治維新後の日本はヨーロツパ型の国家モデルを受け入れる
 ☆日本は、列強から近代国家として認められるべく諸制度を整えた
 ☆日本を含めた列強の餌食となつた朝鮮
 *中国を中心とした華夷秩序の世界観に囚われ
 *鎖国を続けようとした
 ☆日本は、朝鮮半島の主導権を巡り、日清戦争を戦い勝利する

⛳ドイツビスマルクの巧みな外交術で地位を高める
 ☆ヨーロッパでは、戦勝後にドイツ帝国が誕生
 *プロイヤンを中心にドイツ諸国が一つにまとまる
 ☆統一後のドイツの宰相を務めたビスマルク
 *ビスマルクは、ドイツの地理的環境をよく理解していた
 *ビスマルクは、ロシア、オーストリアと三帝同盟を結ぶ
 *イギリスとも協調関係を築く
 *フランスを孤立に追い込んだ
 ☆ビスマルクの巧みな外交戦略で、ドイツの存在感が高まる
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『新地政学』






19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争)
『新地政学』記事より画像引用)
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「応仁の乱」2(細川と山名の権力争い)

2021年11月13日 | 歴史
🌸「応仁の乱」2(細川と山名の権力争い)

応仁の乱の本質「誰が幕府の運営をするか」を巡る権力争い
 ☆応仁の乱は、細川と山名による幕府内の勢力争い
 *両家の火種になっていたのは、瀬戸内海の交易権だった
 ☆瀬戸内海の交易を押さえれば、豊かな富が手に入る
 ☆瀬戸内海交易の延長線上には、日明貿易の利権もある
 ☆それが、応仁の乱が11年も続いた要因のひとつ

幕府を二つに分けた足利尊氏と直義の兄弟の戦い
 ☆応仁の乱の根底は、足利尊氏・直義兄弟の戦いである
 ☆足利兄弟が、室町幕府を立ち上げた
 *兄の尊氏が軍事を担当し、弟の直義が政治を担当した
 *幕府の機能を二つに分割して治めようとした
 ☆室町幕府は幕府の役割を二つに分けた事
 *応仁の乱につながる幕府の問題だった
 ☆尊氏と直義には、大きな意見の相違があった
 *尊氏は「京都に幕府を開き、朝廷と一緒に政治を行う」との考え
 *直義は「武家と朝廷は距離を取ったほうがいい」の考え

 ☆尊氏が京都で政治を行うことにこだわったのは経済を重視
 ☆直義は、貨幣でなく昔ながらの「米」のスタイルの経済
 ☆「農業」と「商業」の戦いでもあった

⛳足利兄弟の争いから発展した、大名たちの争い
 ☆三代将軍の足利義満の時代
 *幕府の力を強めるために、有力な大名の討伐を行う
 ☆標的は、土岐氏、次が山名氏、最後は大内氏
 *「三つの家を攻撃」を義満に指導していたのが細川頼之
 ☆義満は祖父の尊氏と同様
 *「朝廷と協力して政治を行おう」姿勢を継承する
 *「幕府が朝廷を吸収」という方向性に舵を切る
 ☆義満が貴族の官職を与えられる
 *室町将軍家が朝廷と幕府の両方に君臨する室町王権となる
 *武士でありながら、貴族としても高い身分を持つ
 ☆室町王権の形成を推進したのは細川頼之
 *土岐、山名、大内が潰されていった
 *しかし、相手を滅ぼす力は、足利将軍家にはなかった
                        (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史の論点』
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