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心意気
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「感染症」制圧へ政治は科学の上に立つな

2021年11月24日 | 災害
🌸「感染症」制圧へ政治は科学の上に立つな

 ☆ベスト絶減の先例に学ベ
 *北里柴三郎の知見と指揮が勝利した教訓
 ☆コロナになぜいま生かさなかったのか

ぺストは世界史を大転換させた
 ☆新型コロナウイルス感染症の感染拡大、人々の生活を一変させた
 ☆人々を混乱させ歴史を変えた過去のパンデミック
 ☆14世紀に大流行したペスト
 *全世界で約8千万人の死者が出た
 *ヨーロッパの人口、4割位減少した
 ☆ペストの流行は、中世から近世へ移行する世界史の大転換となった
 *当時の医療を担っていたのは教会の聖職者
 *祈祷はペストの前では無力で司祭の治療も役立たなかった
 *ローマ教皇は感染の原因発見目的で死体を解剖する許可を与えた

近代医学の夜明けとなり教会の権威は失墜した
 ☆『95カ条の意見書』を提起したルターの宗教改革につながった
 ☆感染症対策では、病原体こそ発見されていなかったが
 *公衆衛生学的に画期的な進歩があった
 *検疫を行って水際で感染を食い止めた
 ☆ペストで人口が激減して、産業構造も変わった
 *イギリスでは、農村では人手のかかる穀物の栽培から
 *人手の要らない羊の放牧が盛んになった
 ☆荘園制が崩壊して賃金制の小作農が生まれた
 ☆賃金労働者という新しい社会階層を誕生させた
 *産業革命の土台が出来た

北里は野口英世を検疫医に
 ☆日本でのペストの流行
 *ペスト感染対策責任者はペスト菌の発見者である北里柴二郎
 ☆当時は外国との交流は船舶で港町で食い止めた
 *東京市は予防のためにネズミを買い上げ、大量に捕獲して殺した
 ☆日本がベストの根絶に成功したのは
 *北里が陣頭指揮を執ったことが大きい
 ☆日本では、1926年以降、今日までベスト患者は出ていない
 ☆北里は研究者だけでなく、医療行政家としても極めて優秀だった
 *北里の建議によつて開港検疫法にベストが病原体として追加されている
 *検疫医の選考にも北里自らがあたり、野口英世を採用している
 ☆日本人がペストに対して危機感や恐怖を抱かないのは
 *日本での流行期間が短く、流行規模や被害も小さかったから
 *パンデミックを初期段階で防いだから
 ☆日本がコロナ感染防止マネジメントの失敗から学ぶべきことは
 *感染症の知識を豊富に持って、科学を理解している人が
 *感染症対策にあたるのがベスト
 *病気を根絶することだけでなく不安や恐怖を人々から取り除くこと
 *差別や偏見を起こさせないことが重要

コロナ壊滅は究極の危機管理だ
 ☆場当たり的ではない危機管理の構築が求められている
 ☆感染症
 *地球温暖化、戦争やテロ、自然災害などと同様危機管理の対象です
 ☆人間側の事情を最優先して対処してはいけない
 *間違うと必ずウイルスからしっぺ返しを食らう
 ☆政治が科学の上に立ってはいけない
 *科学に即した感染症対策を具体的に示すリーダーが不可欠
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS11月号』






「感染症」制圧へ政治は科学の上に立つな
(ネットより画像引用)
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自民(岸田首相)改憲に意欲的

2021年11月24日 | 憲法
🌸自民(岸田首相)改憲に意欲的

 ☆維新に便乗か?積極発信目立つ

衆院選 主要な争点にならずも
 ☆憲法改正を巡る自民党首脳らの衆院選後の発言
 *政府・自民党内で衆院選後、憲法改正に積極的な発言が多い
 ☆衆院選では主要な争点にならなかった
 *躍進した日本維新の会などから改憲に前向きな発信が増えた
 *自民党は、それに便乗しているとみられる
 ☆新型コロナウイルス禍を踏まえ
 *「緊急事態条項」の創設を優先する意見が出ている

岸田首相は、インタビューで改憲への意欲表明
 ☆党では、党改革と憲法改正が重要なテーマ
 *国会の議論を促すためにも、世論に対する働きかけも重要
  ☆首相は先の衆院選の街頭演説で改憲には余り触れなかった
 *選挙後は一転して積極姿勢を強めている

自民党の改憲4項目
 《1》自衛隊明記《2》緊急事態条項の新設
 《3》参院選「合区」解消《4》教育充実
 ☆首相は、4項目同時にこだわるものではないとも明言した
 ☆茂木幹事長
 *コロナ対応で緊急事態宣言が繰り返された
 *内閣が国会審議を経ずに政令を制定できるなど
 *緊急事態条項の議論を優先する考えを示した

ハト派とされる首相の下「むしろやりやすい」
 ☆自民は党組織を改称
 *「憲法改正推進本部」を「憲法改正実現本部」へ
 *自民は、世論喚起に力を入れる
 ☆安倍元首相の下では野党の反発も強かった
 *ハト派とされる首相の下での思惑も働く
  ☆改憲に慎重な立憲民主党
 *憲法問題の中核を担った山花郁夫憲法調査会長が落選
 *代表選もあり、「党の対応は中ぶらりんの状態」
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『北海道新聞』


自民(岸田首相)改憲に意欲的
『北海道新聞』記事より画像引用)
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中国の地政学1(ランドパワー大国中国)

2021年11月24日 | 韓国・中国
🌸中国の地政学1(ランドパワー大国中国)

共通点が多い東アジアの国々
 ☆ユーラシア大陸の東端東アジアの国々は、漢字文化圏に属している
 ☆社会や人々の価値観が儒教の影響を色濃く受けてい共通点も多い
 ☆要因の一つ
 *東アジアを取り巻く地理的環境が挙げられる
 *東アジアは、山脈、砂漠、海によって地理的に
 *他地域から閉ざされた空間になっている
 ☆それが、独自の文化を育むことを後押しした

中国は、東アジアの面積の約8割、人口の約9割を占める
 ☆中国も東アジアの地理的環境が生み出した国家である
 *中国は、黄河文明が古代四大文明の一つで、古から文明が栄えてた
 *定住型の農業が営まれ、その農業を基礎に文明も築かれていった
 ☆中国の周囲には、農耕に適さず日々の糧
 *遊牧に頼るしかない草原地帯が広がっていた
 ☆中国の内部は農耕地帯、周辺は遊牧地帯
 *対照的な地理的特徴

大陸への意識が強い中国
 ☆漢民族は、世界を中国の内と外に分けた
 ☆漢民族による中国こそが世界の中心
 *周囲の異民族を禽獣に等しと見なす
 *中華思想の形成につながった
 ☆中国は常に北方からの異民族の侵人の脅威に脅かされていた
 *中国の歴代の為政者の意識を自然と陸へと向かわせた
 ☆中国は東シナ海と南シナ海という豊かな海を持ちながらも
 *シーパワーではなく、ランドバワーとしての勢力に力を注いだ
 ☆現在の中国は「一帯一路」を掲げた海洋進出を行っている
 ☆中国と同じロシアは、ランドパワー勢力でも
 *不凍港を求め苦難の歴史を歩んできたのに対して
 ☆政治的環境が整えば、海へと出られる、中国の地理的な強み

朝鮮半島の地政学的宿命
 
☆朝鮮半島は、リムランドエリア
 *ランドバワー勢力とシーパワー勢力がぶつかりあう
 *朝鮮半島は、ランドパワー中国の圧力を受け続けてきた
 ☆19世紀後半になって中国の勢力が衰える
 *朝鮮半島を足場に大陸進出を目指すシーパワーの日本に蹂躙される
 ☆日本の敗戦で大国から解放されるかと思われた
 *しかし、北はソ連、南はアメリカによる分割統治だった
                        (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『新地政学』






中国の地政学1(ランドパワー大国中国)
『新地政学』記事より画像引用)
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「鎖国はなかった説」の盲点(2)

2021年11月24日 | 歴史
🌸「鎖国はなかった説」の盲点(2)

ペリーの黒船来航は、アメリカの国家レベルのミッション
 ☆日本が国を閉ざしていないなら矛盾が生じる出来事があった
 ☆1853年ペリー日本にやってきた理由
 *アメリカ大統領から「日本を開国せよ」とミッシヨンを受けたから
 *ペリーは、日本の開国を一生懸命考えた
 ☆日本に開国させる
 *アメリカという国を挙げてのミッションだった
 ☆ペリー帰国すると、時代は南北戦争が始まる直前
 *ペリーに日本開国を命じた大統領も交代していた
 *彼の功績は讃えられることなく、ぺリーは亡くなった

マルクス主義的唯物史観が「鎖国はなかった論」を導き出す
 ☆日本の歴史の中で近現代では、欧米の存在感が強烈です
 ☆「鎖国はなかった」説を主張する人々の世界観
 *江戸時代、日本はアジアとは、深いつながりを持つていた
 *だから鎖国していないとの世界観持つ
 ☆鎖国がなかったと唱える人々
 *欧米ばかり強調するのは不当だという考え方を持つ人達
 *これと同様な世界観を持っている人々の集まりでもある

「鎖国」がなければ、明治維新は起きなかった
 ☆開国を迫られた際、日本人はペリーの蒸気船に驚いた
 ☆黒船の来航が、多くの日本人にとり想定内のことなら
 *その後、江戸幕府が倒れることはなかったかも
 ☆明治維新が起こったのは
 *ペリーの日本来航は、日本人に刺激を与えた
 *日本人が慌てふためき、危機感を抱いたから
 *時代遅れな幕府を倒して中央集権国家を作ろうとした
 *こうした大きな流れがある
 ☆日本は、アジアとは交易があり鎖国していない
 *ペリーの来航を江戸幕府は知っていた
 *国は閉じていないとの細かな論理で
 ☆「鎖国はなかった」と説にこじつけたがるのは可笑しい
                     (敬称略)
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