🌸どう考えても無駄な半返し3
⛳家族葬が当たり前
☆直葬以上に多い「家族葬」で、年間約43万葬儀件数のなかで
*50人以上の参列者があった「一般葬」が63%
*50人未満の「家族葬」が約29%、増加傾向にあるのは家族葬
*首都圏では、家族葬が一般葬を上回っている
*家族葬が中心になった東京は、葬儀に呼ばれる機会が激減した
*家族葬が中心になった東京は、葬儀に呼ばれる機会が激減した
*死は、個人的な出来事、身内だけのことで、他人とはかかわらない
*そうした感覚が強まっている
☆都会には、確固とした地域共同体が存在しない
*寺の檀家でも、檀家組織とかかわりを持っている家少ない
*共同体全体で寺を支えているという意識は希薄になる
⛳追善供養はどこへ行った
☆葬式が簡略化で、その後の法事、年忌法要が行われなくなっている
⛳追善供養はどこへ行った
☆葬式が簡略化で、その後の法事、年忌法要が行われなくなっている
*1年後の一周忌、2年後の三回忌は行っても、それ以降は行わない
*三回忌の席で、これ以上法事は行わないこと決める家族も多い
☆法事・法要は「追善供養」とも言われる
*追善は、中国で仏教が儒教の影響を受けた結果生まれた
*遺族が故人に代わって善を追加することで
*故人を速やかに成仏させることをめざす
☆追善供養を行うには、僧侶の力を借りなければならない
☆追善供養を行うには、僧侶の力を借りなければならない
*僧侶が読経し、法要を営むことで追善供養が行われる
*寺にしてみれば、追善供養は布施を集めるための重要な機会
*布施という経済的な負担をしなければならないにもかかわらず
*布施という経済的な負担をしなければならないにもかかわらず
*檀家の側が法事というしきたりを守ってきたのも
*昔は、寿命が短く、まだ若い年齢で亡くなる人間が多かったから
*故人は、もっと生きたかったである
*故人は、もっと生きたかったである
☆最近、「人生100年時代」とまで言われるように
*仏教的に考えれば、寿命をまっとうした死、「大往生」だ
*多くの人に大往生が可能になった
*大往生であれば、死は必ずしも悲しい出来事ではなく
*本人にとっても無念なことではない
☆遺族の側は追善供養が必要だとは考えなくなる
*追善という考え方が、時代にそぐわないものになっている
⛳結婚式のような葬式
☆最近、業者の側が、葬儀におかしな演出を持ちこむことがある
*追善という考え方が、時代にそぐわないものになっている
⛳結婚式のような葬式
☆最近、業者の側が、葬儀におかしな演出を持ちこむことがある
*遺体にさわるよう参列者を強く促す葬儀があった
*故人と対面し、最後のお別れをするというのはまだ分かるが
*なぜさわらなければならないのか理解に苦しむ
☆「故人にメッセージ」と、会場にメッセージボードが用意されている
☆「故人にメッセージ」と、会場にメッセージボードが用意されている
*いったい誰がこのメッセージをあの世に届けるのだろうか
*それとも、棺桶に入れて遺体とともに焼くのだろうか
*故人の生前の歩みを伝えるために、スライドショーが用意されている
(結婚式の経歴紹介のようだ)
☆結婚するカップルの数は減っても、死者の数は現在増え続けている
*さまざまな業者が葬祭業に参入した
*1件の葬儀費用が下がり、それが葬儀社の経営を圧迫している
*1件の葬儀費用が下がり、それが葬儀社の経営を圧迫している
☆葬儀がまた派手になるということは考えられない
*個人の死は、亡くなる年齢が高くなればなるほど
*プライベートな出来事となり、社会性を失っていく
☆家族以外に参列者のいない葬儀には
*香典もなければ、香典返しも存在しない
*最近、香典を受けとらないケースが増えている
☆関東では、通夜の際、参列者なら誰にでも飲食を振る舞う
*最近、香典を受けとらないケースが増えている
☆関東では、通夜の際、参列者なら誰にでも飲食を振る舞う
*関西では、飲食を振る舞う対象は、親戚だけである
☆現代では、多くの人間が村という共同体を離脱した
*企業のあり方も変わり、人材の流動化が進んでいる
*一つの企業に生涯勤める人も少なくなった
☆現代社会、恩や義理も昔ほど重要なものなくなった
(敬称略)
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⛳出典、『神社で拍手を打つな!』
「家族葬」「追善供養」「結婚式に類似の葬儀」「恩と義理」
(ネットより画像引用)
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