🌸初詣は鉄道会社の発明2
⛳初詣が定着したのは、昭和に入ってから
☆古い歳時記を見ても、初詣は季語になっていない
*最初に初詣が季語となっている句
*1935年1月1日未明の「神近き大提灯や初詣」である
*これは、明治神官に初詣をしたときのもの
☆明治から大正にかけての小説には、初詣は登場しない
*昭和に入ると、小説に初詣が登場する
☆俳句や小説の例から考えると
*初詣というしきたりが定着したのは、昭和に入ってから
⛳初詣は鉄道会社の営業戦略
☆1935年(昭和10年)に初詣のしきたりが定着した
*鉄道が変えた社寺参詣、初詣は鉄道とともに育った
*鉄道会社の営業戦略の影響があった
☆伝統的な「恵方参り」が、鉄道会社の戦略で初詣へと変貌した
☆恵方参りとは、その年恵方とされた神社仏閣に参る行事
☆伝統的な「恵方参り」が、鉄道会社の戦略で初詣へと変貌した
☆恵方参りとは、その年恵方とされた神社仏閣に参る行事
*江戸時代から行われていたが、恵方は毎年変わる
*江戸時代には幕府のおかれた江戸では
*江戸時代には幕府のおかれた江戸では
*元日の恵方参りは、しきたりになっていた
*関西圏では、恵方参りは節分のしきたりだった
(今日の恵方巻が関西圏から生まれたことと深く関係している)
☆川崎大師は、真言宗智山派の寺院
(今日の恵方巻が関西圏から生まれたことと深く関係している)
☆川崎大師は、真言宗智山派の寺院
*弘法大師を本尊とすることから川崎大師と呼ばれている
*真言宗では、弘法大師空海が3月21日に亡くなったことから
*真言宗では、弘法大師空海が3月21日に亡くなったことから
*21日を縁日とし、厄落としのため川崎大師に詣でるとされている
☆品川―横浜間に鉄道が開設され、途中に川崎停車場が設けられる
☆品川―横浜間に鉄道が開設され、途中に川崎停車場が設けられる
*正月に東京の人たちが恵方参りに川崎大師を訪れる動きが加速される
*川崎大師が東京の恵方にあたらない年にも参詣者が多く出るようになる
*それには、信心だけではなく、レジヤーの要素が含まれていた
☆鉄道会社にとって、初詣というしきたりは、恵方参りよりも好ましい
*恵方参りの場合、恵方は毎年変わってしまう
*恵方参りの場合、恵方は毎年変わってしまう
*恵方にあたれば、多くの参拝者を見込めるが
*恵方ではない年には、そうはいかない
*その点、初詣であれば、毎年参拝者を集めることができる。
☆鉄道会社は、恵方参りとともに初詣ということば
☆鉄道会社は、恵方参りとともに初詣ということば
*宣伝広告の武器として使うようになる
☆新聞広告では、初詣と恵方参りということばが併用されていた
☆新聞広告では、初詣と恵方参りということばが併用されていた
☆成田山新勝寺や川崎大師が東京の恵方にあたる年には
*恵方参りであることが強調された
*そうでない年には初詣であることが強調された
*次第に恵方参りよりも、初詣の方が正月のしきたりで定着する
⛳大晦日の集金のための深夜運転
☆江戸時代「掛け売り」が広く行われていた
*集金は盆と大晦日に行われた「節季払い」のしきたりがあった
*時代が江戸から明治に変わっても、廃れてしまったわけではない
☆深夜の初詣に利用されている鉄道の終夜運転、節季払いと関係する
*東京電車鉄道で大晦日に深夜運転を行ったのは、集金のためだった
☆昭和初期は、都市が拡大し、鉄道網が整備される
*庶民の暮らしも本格的な形で近代化されていった
*ラジオなどのメディァも発達し、生活も豊かなものになっていった
☆鉄道の終夜運転が、深夜に初詣客を運ぶことになった
*大晦日から元旦にかけての生活は、大きく変化していく
⛳交通網の発達がしきたりを変えてゆく
☆鉄道が導入され、鉄道網が広がっていく
☆鉄道が導入され、鉄道網が広がっていく
*遠隔地にある社寺は、多くの参拝者を集めることが可能になる
☆成田山新勝寺などは、その恩恵を被った代表である
*江戸時代以前には、地元の小さな寺に過ぎなかった
*それを大きく変えたのが、照範という僧侶だった
*照範が、新勝寺をもり立てていくために考えた「出開帳」
*本尊である不動尊を寺から持ちだし、江戸の市中で開帳する
*江戸は歴史が浅く、関西圏と異なり、著名な神社仏閣がなかった
*江戸は歴史が浅く、関西圏と異なり、著名な神社仏閣がなかった
☆深川の富岡八幡宮の境内を使って行われた出開帳
*多くの江戸庶民を集めることになり大人気となった
*出開帳は新勝寺の名を広く知らしめることに結びつく
☆明治に、新勝寺のある成田まで鉄道が敷かれることに結びつく
☆明治に、新勝寺のある成田まで鉄道が敷かれることに結びつく
*鉄道が開通すると、参拝者は大きく増え
*成田の住民も増加し門前町が形成される
*これで、出開帳の必要もなくなったのである
☆明治以降、仏教寺院は、廃仏毀釈で大きな打撃を受け
*有名なところでも荒廃しているところが少なくなかった
☆京都や奈良の寺院を救ったのは戦後、交通手段の発達もあいまって
*修学旅行や団体旅行が大幅に増えたこと
(敬称略)
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⛳出典、『神社で拍手を打つな!』
「 初詣は昭和から」「初詣は鉄道会社営業戦略」「成田山出開帳」
(ネットより画像引用)
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