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日本列島集団の起源(弥生人のゲノム)3

2022年10月03日 | 歴史

🌸日本列島集団の起源(日本人のルーツ)

弥生人のゲノム
 ☆渡来系弥生人で最初に核のゲノム解析は、福岡県安徳台遺跡から出土した女性人骨

 *遺跡は、身分の高いグループの集団墓である
 ☆女性は典型的な渡来系弥生人と考えられていた

 *彼女の持つ核ゲノムは渡来人の源郷と考えられる

 *朝鮮半島や中国の現代人に近いと予想された

 *実際には、彼女の遺伝的な特徴は現代日本人の範疇に収まるもの

 *縄文人にやや近い位置を占めていた
 ☆安徳台遺跡は弥生時代中期のもの

 *在来の縄文人集団との混血が進んでいても不思議ではない

「縄文的な遺伝的要素」とは、

 ☆東アジアの沿岸地域の旧石器時代集団が持っていた古い遺伝的な要素を指す

 ☆日本列島に限定して用いられる縄文という用語

 *大陸の沿岸地域に残る旧石器時代の遺伝子と言い換えてもよい

 *これが現代人の集団にも保持されている

 ☆大陸沿岸地域集団と縄文人の遺伝子の共有

 *このことに起因する現象です
 ☆北部九州の縄文人は朝鮮半島南部の集団と交流を持っていた

 ☆朝鮮半島南部の新石器時代の遺跡から

 *縄文人の遺伝的類似性を持った人骨も発見されている
 ☆縄文時代相当期の朝鮮半島南部の集団

 *北部九州の縄文人集団を区別する必要ない

列島集団と大陸系集団
 ☆中国大陸の集団と朝鮮半島

 *縄文人や渡来系弥生人のゲノムを比較した研究が発表された

 ☆朝鮮半島の古代集団や渡来系の弥生人
 *西遼河の新石器時代雑穀農耕民との遺伝的な連続性がある

 *雑穀農耕民が6千年前以降に朝鮮半島に進出

 *三千年ほど前、遼東・山東半島の稲作農耕民朝鮮半島に流入する

 ☆稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入

 *在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合し、新たな地域集団が形成された

 *その中から生まれた渡来系弥生人、3千年前以降に日本列島に到達した
 ☆中国北部にルーツを持つ雑穀農耕民

 *青銅器など金属器の文化を持つ人びとであった
 *弥生時代を形作る文化要素は朝鮮半島で形成された

 *但し、現在直接的にそれを明らかにするゲノムの証拠はない

弥生人の核ゲノム解析
 ☆西北九州の弥生人のゲノム解析の結果

 *縄文人の子孫の考え方を改める必要がある

 ☆形態からは縄文系と考えられる個体

 *ゲノムは、縄文系から渡来人の混血の影響を受けている個体まで様々だ

 ☆大友遺跡人は、朝鮮半島に見られる支石墓と似ている

 *北部北九州で縄文人の子孫が朝鮮半島の受け入れていた

 ☆東北地方の弥生人は、岩手県の弥生時代後期の人骨です

 *東北地方では、この時代でも縄文人の直系とみられる人びとが住んでいた

 ☆弥生時代初期に北部九州地域で在来の縄文人との混血が始まり

 *当初は遺伝的に異質だった集団は時間の経過とともに均一化に向かいました

 *そこで誕生した本土の現代日本人の祖先集団

 *稲作の拡大とともに東進を開始し、在来集団を巻き込みながら東北地方まで進んだ
 ☆東北に到達した渡来系の農耕民

 *人口で在来集団を大きく上回っており

 *両者の混合は在来集団の吸収に近い形で行われた

 *そのため東北の縄文人で多数を占めていた

 *核ゲノムの解析からも弥生時代以降の渡来の事実が予想された

 ☆現代日本人の形成のシナリオ

 *弥生から古墳時代における大陸からの集団の影響を考慮したもの

 *全国的に混血が進んで、現代日本人につながる集団の形成した

                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

日本列島集団の起源(弥生人のゲノム)3

(『人類の起源』記事、ネットより画像引用)


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