ベトナムから無事帰宅しました
今朝5時過ぎに関空に到着、無事に帰宅することが出来ました。今回のベトナム探鳥旅行では色々得がたい経験をしましたが、何はさておき少々ショッキングな経験を紹介します。
9月29日朝のフエの状況です。
その頃ベトナム中部の都市フエには大型で強烈な台風が向かっていました。私たちは予定変更してフエを脱出、ハノイに向けて非難を始めました。
もちろん河を走っているのではありません。前夜は何も無かったホテル前の道は一夜で川の状態、水位は見る見る増えている状況でした。この状況ですから飛行機は飛びません。この状況を予期して急遽予定変更、ベトナムでのすべてを世話して頂いた探鳥ガイドの適切な判断で前夜ハノイから呼んだ車が10時間かけてホテルの到着し、私たちはその車で早々に台風接近中の強風の中を北に向けて避難することになったのです。
左前の木は根こそぎ倒れています。枝が折れて道をふさいでいるところをスキーのスラロームのように避けて冠水していない幹線道路に出てひたすら北上しました。
高速で走っている車の中からですから思い通りの写真は撮れませんでしたが、これは北に向かって走っている車の左側、つまり西側を写したものです。ご存知のようにベトナムには東側には海がありますが西側には海はありません。つまりこれは田園地帯が冠水しているところです。
海でない証拠には電柱が続いていたり、この写真のように緑の木立が続いていました。その広さは相当なもので、少しオーバーに言えば突然琵琶湖が出現したような状況でした。
そのにわか琵琶湖が白波を立てているのを何度も見ました。
所によっては道路のすぐそばまで水が迫っているところもありました。
そのようなところをまるまる12時間かけてハノイの南西のセンティ自然保護区に避難することが出来ました。
そのときは得がたい体験をしていることを実感していただけですが、その後のフエの状況が分かるに従いぞっとしました。北上する私たちのガイドのもとには彼の友人からフエは悲惨な状況になってきている旨メールが入ってきましたが、その日の夕方の時点で死者は23名、少しあとにはその数字が44名になり、その後も増えているようですが私はその詳細をつかんでいません。
もし、フエのホテルに軟禁状態になれば命の危険はないにしてもその後の行動計画はずたずたになってしまって、何のためにベトナムまで行ったのか分からない状態になっていたはずです。そのことを思ったときゾッとしたわけです。現地の国営放送では国道が遮断されて走れなくなった大型バスなどが何台も連なっているところなどフエの状況が何度も放映されていました。
このように機敏に対処できたのはガイドをお願いしたMr.Le Manh Hung(以下マーさん)の適切な判断と彼を信じて予定変更を即断即決した私たちのグループのまとまりのよさがあったからだと言えます。
おかげさまと言ってはいけないので予定変更したために当初は」2ヶ所で探鳥する予定が4ヶ所に行くことが出来ました。そして帰国の日の台風18号も東にそれて予定通り帰国出来ました。
終わってみればめでたしめでたしの旅でした。その話は写真の整理が出来てからとさせて頂きます。
ともあれ全員無事に帰宅したことをとりあえずお知らせします。
留守中にも更新できていないこのブログにたくさんの人がアクセスして下さいました。心からお礼申し上げます。
今朝5時過ぎに関空に到着、無事に帰宅することが出来ました。今回のベトナム探鳥旅行では色々得がたい経験をしましたが、何はさておき少々ショッキングな経験を紹介します。
9月29日朝のフエの状況です。
その頃ベトナム中部の都市フエには大型で強烈な台風が向かっていました。私たちは予定変更してフエを脱出、ハノイに向けて非難を始めました。
もちろん河を走っているのではありません。前夜は何も無かったホテル前の道は一夜で川の状態、水位は見る見る増えている状況でした。この状況ですから飛行機は飛びません。この状況を予期して急遽予定変更、ベトナムでのすべてを世話して頂いた探鳥ガイドの適切な判断で前夜ハノイから呼んだ車が10時間かけてホテルの到着し、私たちはその車で早々に台風接近中の強風の中を北に向けて避難することになったのです。
左前の木は根こそぎ倒れています。枝が折れて道をふさいでいるところをスキーのスラロームのように避けて冠水していない幹線道路に出てひたすら北上しました。
高速で走っている車の中からですから思い通りの写真は撮れませんでしたが、これは北に向かって走っている車の左側、つまり西側を写したものです。ご存知のようにベトナムには東側には海がありますが西側には海はありません。つまりこれは田園地帯が冠水しているところです。
海でない証拠には電柱が続いていたり、この写真のように緑の木立が続いていました。その広さは相当なもので、少しオーバーに言えば突然琵琶湖が出現したような状況でした。
そのにわか琵琶湖が白波を立てているのを何度も見ました。
所によっては道路のすぐそばまで水が迫っているところもありました。
そのようなところをまるまる12時間かけてハノイの南西のセンティ自然保護区に避難することが出来ました。
そのときは得がたい体験をしていることを実感していただけですが、その後のフエの状況が分かるに従いぞっとしました。北上する私たちのガイドのもとには彼の友人からフエは悲惨な状況になってきている旨メールが入ってきましたが、その日の夕方の時点で死者は23名、少しあとにはその数字が44名になり、その後も増えているようですが私はその詳細をつかんでいません。
もし、フエのホテルに軟禁状態になれば命の危険はないにしてもその後の行動計画はずたずたになってしまって、何のためにベトナムまで行ったのか分からない状態になっていたはずです。そのことを思ったときゾッとしたわけです。現地の国営放送では国道が遮断されて走れなくなった大型バスなどが何台も連なっているところなどフエの状況が何度も放映されていました。
このように機敏に対処できたのはガイドをお願いしたMr.Le Manh Hung(以下マーさん)の適切な判断と彼を信じて予定変更を即断即決した私たちのグループのまとまりのよさがあったからだと言えます。
おかげさまと言ってはいけないので予定変更したために当初は」2ヶ所で探鳥する予定が4ヶ所に行くことが出来ました。そして帰国の日の台風18号も東にそれて予定通り帰国出来ました。
終わってみればめでたしめでたしの旅でした。その話は写真の整理が出来てからとさせて頂きます。
ともあれ全員無事に帰宅したことをとりあえずお知らせします。
留守中にも更新できていないこのブログにたくさんの人がアクセスして下さいました。心からお礼申し上げます。