今年も残り少なくなりました
今年も残り少なくなりました。能天気なタカ長も少しは歳末らしさを感じています。
その歳末のさなか、黄砂のためか鼻の調子が悪くて困っています。これでは迎春の準備に差しさわりが出てきます。と言っても本当は何もしない横着者のタカ長ですが、、、、、、、。
歳末になると友人知人からの訃報も届きチョッピリセンチな気分になっています。この時期になると来年の予定なり目標なりを設定するのが常ですが、この習慣を続けるのもあと何年あるのか、と心細い気持ちになるのも友人の訃報や、病に倒れている鳥友のことが心にあるからでしょうか?
タカ長としては来年も仲間たちと山を歩き続けることが生活のベースになります。歩き続けて、健康を維持することがすべての基になっていると信じているからです。
同じ歩くのなら花の山。名前は分からなくても花は楽しめます。いつでもどこでも花を楽しむことが出来る、と言うわけにはなりませんが、出来れば花の多い山を歩くことが出来るようにプランするつもりです。
その上でタカです。来春も5月には韓国で渡り調査をする予定ですが、その馬力や気力を支えるのは健康な体、そのためにタカ長としては歩くことを重視しているのです。
このターシャ・チューダーのように花に囲まれた生活は出来なくても、その万分の一でも体験しながら生きていきたいと願っています。
来年のスローガン?
何があっても毎日感謝、毎日笑顔 元気に生きてパッと散る
そうありたいですね。
このつたないブログに毎日おおくの人が訪問して下さっています。これもまた感謝、感謝です。その感謝にお答えしてタカ長の恋人を紹介します。
(画像はネットより拝借)
タカ長がこのような美人を恋人に持つわけがない?
そうですね。それが正解です。
この美人は歌手の奈良光枝さん。彼女をご存知の人はそれなりに歳をとった人でしょう。若い人には歴史上の歌手ですからご存じない人がほとんどではないでしょうか?
この奈良光枝さん、1923年生まれですからタカ長とはかなり年上で、心の恋人にもなれないくらい歳が離れています。しかし、彼女の歌は大好きでした。
近江俊郎とのデュエット曲「悲しき竹笛」や「白いランプの灯る道」はタカ長の心から離れません。しかし、悲しいことに1977年54歳の若さで帰らぬ人となられました。ガン性腹膜炎でした。タカ長としてはいつまでも歌い続けてほしかった人でした。まさに佳人薄命。
そのような昔のことが思い出されるのも歳末だから???
そしてこれもまたタカ長の加齢現象なのでしょうか???
今年も残り少なくなりました。能天気なタカ長も少しは歳末らしさを感じています。
その歳末のさなか、黄砂のためか鼻の調子が悪くて困っています。これでは迎春の準備に差しさわりが出てきます。と言っても本当は何もしない横着者のタカ長ですが、、、、、、、。
歳末になると友人知人からの訃報も届きチョッピリセンチな気分になっています。この時期になると来年の予定なり目標なりを設定するのが常ですが、この習慣を続けるのもあと何年あるのか、と心細い気持ちになるのも友人の訃報や、病に倒れている鳥友のことが心にあるからでしょうか?
タカ長としては来年も仲間たちと山を歩き続けることが生活のベースになります。歩き続けて、健康を維持することがすべての基になっていると信じているからです。
同じ歩くのなら花の山。名前は分からなくても花は楽しめます。いつでもどこでも花を楽しむことが出来る、と言うわけにはなりませんが、出来れば花の多い山を歩くことが出来るようにプランするつもりです。
その上でタカです。来春も5月には韓国で渡り調査をする予定ですが、その馬力や気力を支えるのは健康な体、そのためにタカ長としては歩くことを重視しているのです。
このターシャ・チューダーのように花に囲まれた生活は出来なくても、その万分の一でも体験しながら生きていきたいと願っています。
来年のスローガン?
何があっても毎日感謝、毎日笑顔 元気に生きてパッと散る
そうありたいですね。
このつたないブログに毎日おおくの人が訪問して下さっています。これもまた感謝、感謝です。その感謝にお答えしてタカ長の恋人を紹介します。
(画像はネットより拝借)
タカ長がこのような美人を恋人に持つわけがない?
そうですね。それが正解です。
この美人は歌手の奈良光枝さん。彼女をご存知の人はそれなりに歳をとった人でしょう。若い人には歴史上の歌手ですからご存じない人がほとんどではないでしょうか?
この奈良光枝さん、1923年生まれですからタカ長とはかなり年上で、心の恋人にもなれないくらい歳が離れています。しかし、彼女の歌は大好きでした。
近江俊郎とのデュエット曲「悲しき竹笛」や「白いランプの灯る道」はタカ長の心から離れません。しかし、悲しいことに1977年54歳の若さで帰らぬ人となられました。ガン性腹膜炎でした。タカ長としてはいつまでも歌い続けてほしかった人でした。まさに佳人薄命。
そのような昔のことが思い出されるのも歳末だから???
そしてこれもまたタカ長の加齢現象なのでしょうか???