タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

「こい」は「こい」でも、、、

2016年09月08日 | 日々雑感
本日の画像はすべてネットより借用したものです。
   

    

こいはこいでもお城のこいは、、、、というのは「広島音頭」の歌詞ですが、、、

今日の「こい」はこれしかないでしょう。鯉軍団のことですね。

我らが鯉軍団、広島東洋カープの勢いが止まりません。

昨シーズンあれだけ打てなかった打線が変身、ガンガン打って、、、マエケンが抜けた穴を感じさせない投手陣の活躍で、、、

これといったピンチも感じさせないまま、気がついてみれば優勝へのマジックが2

カープファンにとっては25年ぶりの、歓喜の瞬間が目前に迫っています。

今朝の「天声人語」もその話題、我らが鯉軍団の活躍は間違いなく「全国区」になっています。

     

ご存知の人が多いのですが、広島カープは、原爆後、、、70年間は草木も生えないと言われた焦土の町に生まれた球団です。

親会社を待たない市民球団で、金がなくて選手の月給も遅配になるような有様、、、

それでも何とかしてこの球団を存続させようと市民が立ち上がり、樽募金をしたことは良く知られています。

タカ長が子どものころ、石本監督が寄付集めのために近くのお寺に来られ、、、、

監督といえどもプロ野球の人は子どもにとっては神様みたいなもので、わざわざ監督の顔を見に行ったこともあります。

        

小学生の頃は友だちと何度か野球を見に行ったこともあります。

今は庚午橋になっているあたりにあった渡し船に乗って球場に行きました。

その頃は弱小球団で、、、「松竹ロビンス、先発は真田、、、、」とアナウンスされると、その瞬間「今日も負けだぁ、、、」

そのころ近くにいた大人の人が「〇〇があそこにヒットを打った」とか、、、「ΔΔがあそこへ二塁打を打った」とか、、、、

そのようなことを、口角泡を飛ばす感じで話していたのをいまだに覚えています。

勝てなくても〇〇がヒットを打ったことに、ΔΔが右中間を破って二塁打してくれたことに、無上の幸せを感じていたのです。

      

そのような生い立ちを持ったチームですから、当時の大人から見ると広島カープの選手は自分の子どもか孫のような存在だったのです。

その伝統は今に受け継がれているようですが、当時そのようなことを何も知らない人が広島に赴任してきて、、、、

取引先の人に「あれはプロのレベルではないですよね」と口をすべらしたら、その会社との取引は即停止

その責任を取らされてその人は左遷された、というようなことが今でも語られています。

仕事関係の人の孫の悪口を言えばタダではすみませんよね。

広島人のタカ長としては、実感としてはよく分からないのですが、

支店経済の町広島に赴任したら、広島カープの悪口は厳禁、というのが今でも常識になっているようです。

    

この歳になるとカープの成績に、一喜一憂することは少なくなりましたが、、、

若いころは胃を悪くするような思いをしたものです。

タカ長の弟はもっと激しくて、カープが負けたと言って聞いていたラジオを放り投げ、何台壊したものやら、、、、

ひいきの球団を応援するのなら、それくらい激しいほうが面白いといえば面白いのですが、、、、

この歳になるとその激しさは似合わないようなので、、、

間近に迫った歓喜の瞬間を静かに迎えたいと思っています。

もう間違いありませんから、、、その時は記念にタオルの一枚くらい買わないといけないのかなぁ?