タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

古い山の友

2020年03月28日 | 山歩きから
今日もハッキリしない天気です。

このような天気が続くと、アウトドアー派(?)としては、気分がいっそう憂鬱になります。

    

一昨日、タカカノと東郷山の麓を歩きながら考えたことです。

タカ長が青春のころ一緒に山を歩いていた山友との交流はほとんど途絶えています。

年賀状の交換程度の交流が2~3名だけで、他に縁あって私たちの山グループに籍を置いているのが一人だけ、それがすべてです。

年賀状の山友の近況はよく分かりませんし、山グループの友だちは姿を見せません。

そのようなことを考えていたら、一人忘れていたことの気づきました。

    

それはこの人です。そう、女房殿です。

この山友は足を痛めていて昔日の面影はありません。用心のためとは言え、この程度の階段でもご覧のような下り方をしています。

しかし、最近ほとんど意識しなくなったのですが、女房殿は60年来の山友だちなのです。

そのことを本当に久しぶりに意識しました。

    

古い山の友なので、このようなところは先に登ってもらっても良い、、、、とか、、、、

    

このようなところは、本当に不鮮明な踏み跡になったらタカ長の出番ですが、わずかでも径があれば女房殿を先行させて、タカ長は後ろから広い範囲を見ながら指示したほうが良い、、、、とか、、、、、

そのような判断が出来ます。そのため足腰の弱った(この面はタカ長も同じようなものですが、、、、、)相方ですが、一緒に登山していて、ある種の安心感があります。

そのようなことを一昨日、久しぶりに意識したのです。

    

一昨日も寒山への尾根を少しだけ歩きながら、、、、

その先も問題なく行けそう?

行けそう、、、、。

と言うような短い会話を交わして下見を終えました。

このような時の、ある種の安心感は長年一緒に山を歩いていて初めて生まれるものではないか、、、、と愚考したわけです。

この先何年山を歩けるか分かりませんが、この古い山の友は大切にしないといけませんね。

新型コロナウイルスの問題で色々な活動が中止になり、女房殿のボランティア活動も無くなり、二人で山を歩く機会が出来ました。

そのことは私たちには余慶だった、と言ったら不謹慎な発言になるのでしょうか?