★市川猿之助事件の謎
自殺幇助罪に問われた市川猿之助(47)の初公判が10月20日、東京地裁であった。
検察は懲役3年を求刑、弁護側は執行猶予を求めた。
判決は11月17日に言い渡される。
市川猿之助事件の謎
一家心中の理由は、週刊女性セブンに自身のセクハラとパワハラに関する記事が掲載されることがわかり、前日に3人で家族会議をした結果 「死んで生まれ変わろうと思った」 と一家心中を決意したという。
その記事を読んだが、あんな陳腐な内容で誰も自殺などしないだろう。
褒められたものではないが、ただのスキャンダルにしか過ぎない。
ある意味、歌舞伎界はスキャンダルの宝庫ではある。
さて、両親は強力睡眠薬のサイレースを10錠ほど使用したことが分かっている。
そして猿之助は両親の死を確認してから、自室で首を吊ろうとしたというが、発見された猿之助はお尻がしっかりと椅子に着いた状態だった。つまり首だけ紐にかけていた。おいおい、言い出しっぺが、死ぬ気あるんかい。
警察が110番通報を受けて目黒の自宅に駆け付けると、母親の延子さんは既に死後硬直が始まっていたが、父親の段四郎さんはまだ息があり、救急搬送先の病院で亡くなった。つまり母親が真っ先に死亡したということ。
猿之助の供述によれば、「ビニール袋を両親の顔にかぶせた。そして空気が漏れないようビニール袋を首のところで養生テープで貼り付け密封した。
何だ、窒息死させたということか。
いくらサイレースが強力な睡眠導入剤だといっても、10錠ほどでは死なないし、現に司法解剖では「致死量の薬剤ではない」と報告されている。
しかも、父と母親に睡眠薬を飲ませた後、ビニール袋を顔にかぶせ、テープで密閉し、両親が息をしてないことを確かめてから、サイレースの包装シートやビニール袋を自宅のゴミ箱ではなく、深夜、外のゴミ置き場にわざわざ捨てに行った。なぜ外まで捨てに行った? きれいに片付けたかったなら、家の中のごみ箱で十分だったろう。その真意は証拠隠滅の気持ちが働いたのだろう。
防犯カメラには自宅とゴミ捨て場を往復する猿之助の姿が映っていたという。
「人生に悲観して一家心中を図る人物とは思えないほど、冷静に処理しており、違和感を持った」と、捜査した刑事は言う。
しかも自分が一家心中に誘導しながら、両親が死んだことで満足したかのように、自身はまるで演技しているかのようにフラフラするだけだった。
そもそも、たかが週刊誌の与太記事で、100年も続く澤瀉屋の大黒柱と奥様が一通の遺書も残さず、パジャマ姿で自殺するものなのか。
澤瀉屋という名跡、不動産の相続整理、お墓の始末など何一つ言及されていないのだ。
家族会議が本当で一家心中を選んだなら、全員死んで遺書もないのに誰が相続処理をできるのか、猿之助が残した画用紙に殴り書きした遺書らしきものなど、何の役にも立たない、そして一家心中の発案者の猿之助は無傷で生き残ったとは不思議だ。
両親をよく知る人物は、「お二人とも社会的評価の高い常識人で、自殺するようなタイプではないし、遺書も残さずに自殺するなど信じられません」と述べている。
ここで、なぜ母親の延子さんは発見時、死後硬直が始まっているほどに早く死んだのか。
世間の評判では母・延子さんは京都伝統の美術家系に生まれ、物おじせず、梨園の妻らしく、しっかりとした人で、物事をはっきり言うタイプ、時には厳しい言葉を投げかけることもあったという。
実は猿之助が主導していたスーパー歌舞伎は、段四郎さん時代の役者は隅に置かれ、猿之助が気に入れば歌舞伎とは関係のない俳優を使うことが珍しくなかったという。
それを知った延子さんが猿之助に直接的な不満と叱責をしていたと言われている。
つまり、猿之助は母親の叱責をよく思わず、延子さんの死にこだわったのではないのか。
そうとなれば、一家心中ではなく、心中にみせかけた尊属殺人事件ではないのか。
さて、この事件が偽装心中の殺人事件であるなら、その報いは必ずやってくる。
それが仏教でいう因果応報というものだ。
(じゅうめい)