光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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コレクターとモデラー、そして鉄道模型の玩具化に思うこと・1

2019-04-07 05:03:27 | 思いつくままに・考察
モデラーとコレクターについて思うことから。

 前回書いた「鉄道模型、殊にNゲージのモデルがここ最近急速にコレクターズアイテムの側面を強めている事」に関してその現状に危惧を持っているコメントを頂きましたし、この記事のアクセス数がここ最近の中ではでかなり多い事も考えるとこの件について関心を持っている方が意外に多かったのに驚いています(そんなに目立つようなタイトルではなかったはずなのですが)

 実はこの件、及びそれに関連して「テツドウモケイの玩具化」に関してはこのブログで過去に何度か取り上げた事があります。
 (詳細は以下のタイトルをご参照ください)
鉄道模型の「モデラー」と「コレクター」に思うこと


テツドウモケイの「作る」と「集める」の間に・・・

鉄道模型の「模型」と「オモチャ」で思うこと

 今回この件に関して何か書こうと思ったのですが書きたかったことの大枠は上述したこれまでのブログとほとんど変わっておらず、それに付け足す事もそう多くはありません。
 なので結論の出にくい蛇足的な内容になる事はご勘弁ください。

 昔のミステリなどを読んでいると「読者の共感(同情)を呼ばない被害者」と言う役回りのキャラクターとしては先ず「恐喝者」が出てくるのですが、その次くらいに入って来るのが実は「コレクター」と言うキャラクターです。
 一例をあげるとコナンドイルの「三人ガリデブ」や「高名の依頼人」、岡本綺堂の「正雪の絵馬」なんかが典型例かと。
 有名どころでは怪人二十面相なんかも目的のために手段を選ばないコレクターですし、鉄道絡みのミステリでは下条謙二「信濃平発14時30分」(この作品については近く触れるつもりです)で古本集めのために殺人までやってしまう犯人と言うのが登場し、他の容疑者とされたキャラクターも多分に戯画化されたコレクターとして描かれています。

 また、日本や中国では「龍」というと神秘性のある、畏怖の対象として捉えられる事が多いのですが、古来西洋での「ドラゴン」はどちらかと言うと悪役が多く「人間を襲って奪い集めた宝石やら金貨やらを洞窟に貯め込み日がな一日それを眺めてにやついている」キャラクターである事が多いと言われます。まあ、これも「悪しきコレクター」のひとつの象徴といえます。

 のっけから鉄道模型と関係なさそうな出だしになりましたが、ここで言いたいのは「コレクターとは古来から一種の嫉妬と反感を買いやすい人種であった」という事です。
 まあ事実そういうコレクターが多いのも確かではありますが。

 特に鉄道模型の場合、モデラーの視点からすれば「自分では手をろくに動かさないで金に明かせて完成品のモデルを買い漁っているくせに口だけはいっぱしの評論家気取り」と言った様なイメージが意識的、無意識的にしみついている気がします。

 この辺り、古来鉄道模型と言う趣味の主流が「工作派」だった事とも無縁ではありません。実際、昔は16番でもスケールモデルの完成品なんて大人でもおいそれと手の出せるお値段ではありませんでしたから。
 ただ、そう言う歴史的経緯から鉄道模型がミニカーなどと異なり「手を使う事、工作が主」と言う考え方が定着しやすかったのは確かです。

 ですが、だからと言ってコレクターが悪いとかいう事は無くてモデラーにも多少なりともコレクター的な側面はあるのではないかと言う気はします(この項続く)
(写真は本題とは関係ありません)