歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

坂戸市・大河原遺跡 1号墳より舟形木棺の跡?を確認

2010年02月23日 | Weblog
 坂戸市教育委員会は大河原遺跡(同市北峰)の発掘調査で、古墳時代後期(6世紀前半)に築造されたとみられる直径20mの円墳(1号墳)から、舟の形をした棺「舟形木棺」ではないかとみられる跡を確認したと発表した。
 発掘調査は試掘段階で確認されていた古墳5基、住居跡5軒などを対象に、昨年12月2日から今年1月28日まで、約2600㎡の範囲で実施された。
 その結果、1号墳から、長さ3・1m、幅1・65mの長方形をした墓坑の中央に、舟形木棺を埋葬したと見られる長さ2・5m、幅0・5m、深さ30cmで、舳の部分が尖がった舟形のような跡が粘土状の土に残っていた。棺自体は木製?のためか腐食により認められず、副葬品も出土しなかったという。現在は、すでに埋め戻されている。
[参考:2/23朝日新聞、2/24東京新聞]
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八幡市・石清水八幡宮境内遺跡 国史跡を目指し調査を開始

2010年02月23日 | Weblog
 
 八幡市は22日に開かれた石清水八幡宮境内遺跡調査専門委で、本年度初めて実施した同境内の測量調査で、江戸時代中期の絵図に描かれた坊などの跡地が良好な状態で残っていることが分かったと報告された。絵図にない遺構も見つかり、同八幡宮のかつての隆盛の跡がうかがえるという。
 江戸時代中期の絵図「八幡山上山下惣絵図」には、同八幡宮のある男山一帯に約40カ所の坊や堂舎が描かれているが、明治初期の廃仏棄釈でほとんど取り壊された。市は測量調査を境内9・4haで実施、遺構の分布状況を調べた。
 その結果、斜面を崩して造成した各坊の敷地跡がそれぞれ確認できた。特に東側は保存状態が良く、現在使われていない古道3カ所や井戸跡が見つかった。南側では、絵図にない室町時代と思われる坊跡を2カ所確認した。中世には建物群がより広範囲に点在していたとみられる。西側は地表から遺構は見つからなかった。
 同専門委は境内の遺跡を調査し、2012年の国史跡指定を目指している。
[参考:京都新聞]

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 石清水八幡宮
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天理市佐保庄町・ノムギ古墳 発掘調査を開始

2010年02月23日 | Weblog
 天理市教育委員会は、初期ヤマト王権の中心とされる大和(おおやまと)古墳群にある同市佐保庄町のノムギ古墳(全長63m、古墳時代前期)の発掘調査を開始した。
 築造時期が3世紀後半までさかのぼる可能性もある最古級の前方後方墳で、纒向遺跡(桜井市)が最有力候補地とされる女王・卑弥呼の邪馬台国とも時代が近く、実態解明が期待される。
 平成8年に古墳の北側で実施された発掘調査で、ほぼ直角に曲がる周濠コーナーが検出され前方後方墳である可能性が高まった。さらに平成15年の調査で、後方部に平行して掘られた周濠が確認され前方後方墳であることが確定された。
 また、平成8年の調査では円筒埴輪や鰭付円筒埴輪がまとまって出土したことから、古墳時代前期後半の築造とみられたが、平成15年の調査で周濠の埋土から出土した土器は概ね布留0式のものに限定されるため古墳の築造時期は古墳時代前期前半に遡ったが確定はされていない。
 ノムギ古墳は県道建設などに伴って県立橿原考古学研究所が数回調査を実施している。
 今回の調査は古墳の範囲確認を目的に実施。墳丘の後方部南側で周濠の残存状況などを調査する。事前に行った土中のレーダー探査では周濠の縁らしきものが確認されたという。調査は3月26日まで実施予定。
[参考:2/21奈良新聞、「ノムギ古墳 現地説明会資料」奈良県立橿原考古学研究所(2003)]
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