昨日、幸運なことに、あるメディアによる招待状が抽選で当り、午後6~8時にかけて東京国立博物館平成館で「長谷川等伯」展を観て来ました。比較的ゆっくりと落ち着いて観ることが出来ました。
昨年5月に、等伯作と認定された金碧(きんぺき)画の「花鳥図屏風」も出展されていました。等伯と名乗る以前に本名信春で活躍していた40歳前後の作品という資料的にも価値もある作品です。また、描表装を含めると高さ10mにも及ぶ「仏涅槃図」(京都・本法寺)は展示室にも垂直に飾り切れないくらい、観る者を圧倒するものでした。見所満載といった感じです。また、厚さ30mmにもなる図録は見事で、今回展示されなかった、大絵馬「弁慶昌俊(しょうしゅん)相騎図(そうきず)絵馬」(京都・北野天満宮)も載っていてうれしい限りです。
ところで、等伯(1539-1610)は能登七尾(現在の石川県七尾市)の能登畠山氏の家臣奥村文丞宗道の子として生まれ、長谷川宗清(1508-1571)の元へ養子に迎えられたといいます。奥村宗道は等伯が生まれた当時、能登畠山氏第7代当主・義総(1491-1545)に仕えていました。
過去の関連ニュース・情報
2010.2.25奥村家菩提寺・本延寺(七尾市)で等伯の四百一回忌法要
七尾出身の画聖長谷川等伯の命日にあたる24日、四百一回忌法要が、生家奥村家の菩提寺である七尾市小島町の日蓮宗本延寺で営まれた。[参考:富山新聞]
2009.12.17 五反田散策・美術館めぐり 畠山記念館ほか
2009.5.26 長谷川等伯作と判明 個人蔵の花鳥図屏風
昨年5月に、等伯作と認定された金碧(きんぺき)画の「花鳥図屏風」も出展されていました。等伯と名乗る以前に本名信春で活躍していた40歳前後の作品という資料的にも価値もある作品です。また、描表装を含めると高さ10mにも及ぶ「仏涅槃図」(京都・本法寺)は展示室にも垂直に飾り切れないくらい、観る者を圧倒するものでした。見所満載といった感じです。また、厚さ30mmにもなる図録は見事で、今回展示されなかった、大絵馬「弁慶昌俊(しょうしゅん)相騎図(そうきず)絵馬」(京都・北野天満宮)も載っていてうれしい限りです。
ところで、等伯(1539-1610)は能登七尾(現在の石川県七尾市)の能登畠山氏の家臣奥村文丞宗道の子として生まれ、長谷川宗清(1508-1571)の元へ養子に迎えられたといいます。奥村宗道は等伯が生まれた当時、能登畠山氏第7代当主・義総(1491-1545)に仕えていました。
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