平成20年5月、岸和田市三ヶ山町の道路工事現場で、7世紀初めに築かれた古墳の横穴式石室が偶然見つかり、「衣ヶ谷古墳(ころもがたにこふん)」と命名された。
その後の府教委の発掘調査で、古墳は丘陵の斜面を造成して築かれた1辺約10mの小さな方墳と判明した。石室は全長約6m、奥壁近くの床幅1・1m、高さ1・2mで、天井石6枚が残っていた。石室には近くで採れる花崗岩が主に使われていた。また、須恵器や金銅製耳飾り(金環)、木棺に使われた釘など副葬品約20点も出土した。
この時期の古墳が泉州地域で確認されるのは珍しく、石室の状態もよいことから、その一部が南東約2kmの府営蜻蛉(とんぼ)池公園に移築、復元された。
現地説明会が3月7日(午後1~3時に、移築先の府営蜻蛉池公園内の長池の横で開かれる。
[参考:読売新聞、岸和田市HP、大阪府HP→教育委員会文化財保護課]
その後の府教委の発掘調査で、古墳は丘陵の斜面を造成して築かれた1辺約10mの小さな方墳と判明した。石室は全長約6m、奥壁近くの床幅1・1m、高さ1・2mで、天井石6枚が残っていた。石室には近くで採れる花崗岩が主に使われていた。また、須恵器や金銅製耳飾り(金環)、木棺に使われた釘など副葬品約20点も出土した。
この時期の古墳が泉州地域で確認されるのは珍しく、石室の状態もよいことから、その一部が南東約2kmの府営蜻蛉(とんぼ)池公園に移築、復元された。
現地説明会が3月7日(午後1~3時に、移築先の府営蜻蛉池公園内の長池の横で開かれる。
[参考:読売新聞、岸和田市HP、大阪府HP→教育委員会文化財保護課]