歴歩

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八幡市・女谷・荒坂横穴群 新たに21基の横穴が見つかり合計81基に

2013年02月06日 | Weblog
 府埋蔵文化財調査研究センターは30日、八幡市美濃山の女谷・荒坂横穴群(おんなだに・あらさかおうけつぐん)で、新たに横穴21基が見つかったと発表した。
 21基の横穴墓は美濃山丘陵の東向き斜面につくられ、うち1基から出土した土器の年代から、これまで6世紀後半から7世紀半ばと思われていた同横穴群は、8世紀の奈良時代初めまで使われていたことがわかった。
 同横穴群は斜面などを洞窟状に掘った墓で、通路と玄室からなる。 これまでに6~7世紀の横穴60基が発見されており、今回を含め合計81基となる。
 21基は全長約8・9~15・6m。 玄室の大きさは幅約1・2~2・9mで、長さ1・6~4m。 中央付近の横穴1基からは凝灰岩の切石でつくられた石棺(縦約1・3m、横約1m)が初めて見つかった。 別の横穴では釘が複数あったことから、木棺も置かれていたと考えられる。 このほか、被葬者の装身具の耳環も計13個見つかり、この中には金メッキが残るものもあった。
 複数の横穴からは最大19人分の人骨の一部が確認され、骨を動かした跡もあったため、古墳時代後期から奈良時代前半にかけて、周辺集落の有力者層を何度も追葬したとみられる。
 今回調査分を含め、同横穴群には約200基の横穴があると推測され、龍王山横穴群(奈良県)などに匹敵する関西有数の横穴群の可能性もあるという。
 現地説明会が2月3日(土)午前10時半から開かれた。
[参考:2013.1.31京都新聞、2013.1.31読売新聞、2013.2.2産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.1.28女谷・荒坂横穴群 新たに6世紀後半-7世紀前半の8基の横穴を発掘、合計58基に
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岡山市・南方遺跡 中国の戦国時代(紀元前5~4世紀)の双翼式銅鏃が出土

2013年02月06日 | Weblog
 岡山市教委は、北区国体町の南方(みなみかた)遺跡で、中国の戦国時代(紀元前5〜4世紀)に鋳造された青銅製の刃が二股に分かれた「双翼式銅鏃(そうよくしきどうぞく)」と呼ばれる矢尻が出土したと発表した。 中国戦国時代の矢尻は兵庫県や長崎県などで出土しているが、同タイプは国内では初めて確認された。 大陸文化に早く接した古代吉備の先進性を示す発見としている。
 南方遺跡は、弥生時代の吉備地域を代表する拠点集落の一つで、JR岡山駅の北約600mの市街地に立地する。漆塗り木器、近畿や九州産の土器など特殊な遺物が大量出土に出土した。
 銅鏃は弥生中期(紀元前2世紀頃)の大溝跡(幅8m、深さ1m)から出土した。長さ3・7cm、最大幅1・4cm、重量3・7gで、先端から両翼が長く伸びているのが特徴。矢の柄を取り付ける茎(なかご)の末端が欠けているほかはほぼ完形だった。軸が厚さ約2mmと細く、実戦用ではなく、祭祀などに儀式用に使われたとみられる。
 銅鏃は製作されてから、200年前後経過しているため、中国から持ち込まれた後も大事にされ、長く伝世され続けた可能性が高いとみられている。
 2月2日(土)午後1時半から現地説明会が開かれた。
[参考:2013.1.23 山陽新聞、2013.1.24産経新聞、2013.2.1毎日新聞]



キーワード:南方遺跡
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