府埋蔵文化財調査研究センターは30日、八幡市美濃山の女谷・荒坂横穴群(おんなだに・あらさかおうけつぐん)で、新たに横穴21基が見つかったと発表した。
21基の横穴墓は美濃山丘陵の東向き斜面につくられ、うち1基から出土した土器の年代から、これまで6世紀後半から7世紀半ばと思われていた同横穴群は、8世紀の奈良時代初めまで使われていたことがわかった。
同横穴群は斜面などを洞窟状に掘った墓で、通路と玄室からなる。 これまでに6~7世紀の横穴60基が発見されており、今回を含め合計81基となる。
21基は全長約8・9~15・6m。 玄室の大きさは幅約1・2~2・9mで、長さ1・6~4m。 中央付近の横穴1基からは凝灰岩の切石でつくられた石棺(縦約1・3m、横約1m)が初めて見つかった。 別の横穴では釘が複数あったことから、木棺も置かれていたと考えられる。 このほか、被葬者の装身具の耳環も計13個見つかり、この中には金メッキが残るものもあった。
複数の横穴からは最大19人分の人骨の一部が確認され、骨を動かした跡もあったため、古墳時代後期から奈良時代前半にかけて、周辺集落の有力者層を何度も追葬したとみられる。
今回調査分を含め、同横穴群には約200基の横穴があると推測され、龍王山横穴群(奈良県)などに匹敵する関西有数の横穴群の可能性もあるという。
現地説明会が2月3日(土)午前10時半から開かれた。
[参考:2013.1.31京都新聞、2013.1.31読売新聞、2013.2.2産経新聞]
過去の関連ニュース・情報
2010.1.28女谷・荒坂横穴群 新たに6世紀後半-7世紀前半の8基の横穴を発掘、合計58基に
21基の横穴墓は美濃山丘陵の東向き斜面につくられ、うち1基から出土した土器の年代から、これまで6世紀後半から7世紀半ばと思われていた同横穴群は、8世紀の奈良時代初めまで使われていたことがわかった。
同横穴群は斜面などを洞窟状に掘った墓で、通路と玄室からなる。 これまでに6~7世紀の横穴60基が発見されており、今回を含め合計81基となる。
21基は全長約8・9~15・6m。 玄室の大きさは幅約1・2~2・9mで、長さ1・6~4m。 中央付近の横穴1基からは凝灰岩の切石でつくられた石棺(縦約1・3m、横約1m)が初めて見つかった。 別の横穴では釘が複数あったことから、木棺も置かれていたと考えられる。 このほか、被葬者の装身具の耳環も計13個見つかり、この中には金メッキが残るものもあった。
複数の横穴からは最大19人分の人骨の一部が確認され、骨を動かした跡もあったため、古墳時代後期から奈良時代前半にかけて、周辺集落の有力者層を何度も追葬したとみられる。
今回調査分を含め、同横穴群には約200基の横穴があると推測され、龍王山横穴群(奈良県)などに匹敵する関西有数の横穴群の可能性もあるという。
現地説明会が2月3日(土)午前10時半から開かれた。
[参考:2013.1.31京都新聞、2013.1.31読売新聞、2013.2.2産経新聞]
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