民族文化遺産研究院は20日、これまで全南霊岩と海南など栄山江流域で13基が発見された古代日本の墓様式「前方後円墳」が康津・永波里でも発見されたと発表した。
今回発見された康津永波里古墳(강진 영파리 고분)は、平面形状は前方後円型で、長軸は東-西方向で、方形部を東側に、円形部を西側に置いている。 古墳の規模は残存全長が67mで、円形部直径38m、円形部高さ7mである。方形部は流失が激しくて正確な規模の把握し難いが、現在の規模は連結部幅20m、方形部長さ27mだ。
民族文化遺産研究院は永波里古墳とともに月南寺址を併せて、康津地域の古代社会を明らかにする必要があるとしている。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2008.11.22 韓国の前方後円墳 海南龍頭里古墳を発掘調査 6世紀中頃築造
2012.12.4康津郡・月南寺址 高麗時代創建と伝わる以前の百済時代(6~7世紀)の瓦が出土
追記 2013.10.11
2013.6.11付け韓国の康津日報に、5月26日に京都と大阪の学者10人ほどが、当古墳を見学に訪れたと報じている。6世紀初めに築造されたようである。
名前が出ているのはお二方。コメントが書かれていた。
滋賀県立大学田中俊明教授: 「康津で日本式古墳の形の前方後円墳が発見されたのは、6世紀初めに康津と日本の間に多くの交流があったことを証明する。 海洋交流が活発だった両国は、多くの文化を与えあっていたことだろう。」
大阪文化財研究所岡村勝行副所長は「6世紀初め、百済と日本の多くの交流をしたら日本の陶工たちがこちらに来て、埴輪を作ることもあっただろうし、ここの人々が日本に渡って来て製作技術を学んだこともあっただろう。」
「歴史を支配被支配の概念で解釈する必要はない。過去の二国の交流を踏まえて、今日の二つの地域がより良い交流をしたらそれはまさに歴史ではないか。」と結んでいる。
今回発見された康津永波里古墳(강진 영파리 고분)は、平面形状は前方後円型で、長軸は東-西方向で、方形部を東側に、円形部を西側に置いている。 古墳の規模は残存全長が67mで、円形部直径38m、円形部高さ7mである。方形部は流失が激しくて正確な規模の把握し難いが、現在の規模は連結部幅20m、方形部長さ27mだ。
民族文化遺産研究院は永波里古墳とともに月南寺址を併せて、康津地域の古代社会を明らかにする必要があるとしている。
[参考:聨合ニュース]
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2008.11.22 韓国の前方後円墳 海南龍頭里古墳を発掘調査 6世紀中頃築造
2012.12.4康津郡・月南寺址 高麗時代創建と伝わる以前の百済時代(6~7世紀)の瓦が出土
追記 2013.10.11
2013.6.11付け韓国の康津日報に、5月26日に京都と大阪の学者10人ほどが、当古墳を見学に訪れたと報じている。6世紀初めに築造されたようである。
名前が出ているのはお二方。コメントが書かれていた。
滋賀県立大学田中俊明教授: 「康津で日本式古墳の形の前方後円墳が発見されたのは、6世紀初めに康津と日本の間に多くの交流があったことを証明する。 海洋交流が活発だった両国は、多くの文化を与えあっていたことだろう。」
大阪文化財研究所岡村勝行副所長は「6世紀初め、百済と日本の多くの交流をしたら日本の陶工たちがこちらに来て、埴輪を作ることもあっただろうし、ここの人々が日本に渡って来て製作技術を学んだこともあっただろう。」
「歴史を支配被支配の概念で解釈する必要はない。過去の二国の交流を踏まえて、今日の二つの地域がより良い交流をしたらそれはまさに歴史ではないか。」と結んでいる。