奈良県三郷(さんごう)町の持聖院(じしょういん)(注1)にある鎌倉時代前期の薬師如来像の「一針薬師(ひとはりやくし)笠石仏」(町指定文化財)が、同時代を代表する仏師・快慶を示すとみられる銘文が刻まれていることがわかった。町教委などでつくる調査委員会が11月30日、岡山市の就実大学で行われる歴史シンポジウムで発表する。
(注1)
貞慶(解脱上人(げだつしょうにん)、1155-1213)が開いたとされる惣持寺(そうじじ、廃寺)の子院。
石仏は花崗岩の表面に彫られ、高さ、幅各約2m、厚さ25~30cm。薬師如来を中心に、左右に日光、月光両菩薩、周囲に十二神将の像を細い線で刻んでいる。
笠のように上に載った石の裏側に銘文が刻まれており、造立にかかわった人物として、「アン(梵字)大工匠人(しょうじん)」の名があることがわかった。「巧匠アン阿弥陀仏」という法号は快慶の手がけた初期の作品で用いており、快慶を指す可能性が高いという。 快慶が石仏の作図にかかわったというこれまでの説を裏付けた形である。快慶が下図を書き、東大寺復興に携わった宋人石工が彫ったと考えられるという。
石仏にはほかに、同院の前身の寺院を創建した鎌倉時代の高僧・貞慶が造立を発願したことや、「如月廿日(2月20日)」に誰かの一周忌にあわせて造られたことなどが記されていた。また、貞慶と親しかった僧侶・慶円(1140-1223)の伝記「三輪上人行状」(1255年、慶円の弟子・塔義が撰した)に貞慶の発願で快慶に依頼して薬師像を造立し寺院を建立したとの記述があり、一致する。
同じ時代の公家で、貞慶と親しかった九条兼実の長男・良通が1188年2月20日に22歳で亡くなっていることから、一周忌となる1189年に造られた可能性があるという。
2013年11月30日(土) 13:00~ 就実大学付属図書館で行われる歴史シンポジウムの中で発表される予定。
[参考:2013.9.2 読売新聞、朝日新聞、就実大学HP、海住山寺HP、2013.9.26 奈良新聞]
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