藤原俊成(1114-1204)の90歳の祝いの歌会の様子を、息子の定家(1162-1241)と、その息子・為家(1198-1275)が記録した自筆原本が確認された。
歌会は建仁3年(1203)、後鳥羽上皇が開いた。20首以上の歌を、和紙5枚を継いだ巻物(縦約30cm、横約2.5m)に書いた。表装は江戸時代前期にされたとみられる。為家が記し、末尾には定家が、参加者の名前と歌題を加筆している。
巻物の写真に書かれている和歌は、藤原頼房(1176-1253)、藤原経道(?)、藤原定家(1162-1241)、藤原有家(1155-1216)、藤原成家(1155-1220)、藤原経家(1149-1209)、堀川通具(みちとも、1172-1227)、久我通光(みちてる、1187-1248)のもののようにみえる。
[参考:毎日新聞、産経新聞、読売新聞、NHKニュース]
追記: 2015.3.10
前述に、藤原経道(?)と記した部分について、
写真では敦通と読んでみたのだが、宮内庁書陵部所蔵の「俊成卿 九十賀記」(招月正徹が書写校合)を見て、経道に直した。とろが、この時代に、藤原経道が見当たらない。
その後、「群書類従第二十九輯」にある「俊成卿 九十賀記」をみて調べたところ、藤原経通になっていた。
権大納言藤原泰通の長男に経通(1176-1239)がいる。
追記: 2015.3.17
前述に、藤原頼房(1176-1253)としたのも怪しい。群書類従第二十九輯」の「俊成卿 九十賀記」に、管弦楽具で和琴を奏する民部大輔頼房卿と記されている。藤原俊成と妻・美福門院加賀(藤原親忠女)の間に生まれた女子に八条院権中納言(延寿御前)(1153-?)がいて、 民部大輔源頼房の室になっている。こちらの方が相応しい。、