京都府長岡京市埋蔵文化財センターは24日、乙訓古墳群の一つである井ノ内車塚古墳(同市井ノ内向井芝)の第9次調査で、横穴式石室を確認したと発表した。
石室は奥行き約4m、幅約2m、高さ約1・6mの規模だったと推測されるという。
遺体を安置する玄室の北東隅から南約2・5mにわたり、側壁の基底付近の石が見つかった。側壁に使う大きな石を置く前に、倒壊防止用として地面をあらかじめ約20cm掘り、石と粘土を詰めて地盤を固めた。玄室に基底石を置き、土で覆って安定させて側壁を築きながら墳丘の盛り土も施していたことがわかった。
玄室につながる通路(羨道)の位置などから、右片袖式(みぎかたそでしき)とみられることも判明した。
石室内からは、副葬品とみられるガラス製の管玉(くだたま)や土器などが出土した。 現地説明会は26日午後1~3時に行われる。
前回の8次調査より、古墳の概要は、
全長約39 m、後円部の直径約24 m、前方部長約17 m、前方部幅約26 m 、後円部の高さ約3m、前方部の高さ約2.5 m 、6世紀前半築造
[参考:京都新聞、産経新聞、長岡市埋蔵文化財センターHP]
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井ノ内車塚古墳
乙訓古墳群
京都・長岡京の前方後円墳から横穴式石室 井ノ内車塚古墳、6世紀前半の築造手順明らかに
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遺体を安置する玄室の北東隅から南約2・5mにわたり、側壁の基底付近の石が見つかった。側壁に使う大きな石を置く前に、倒壊防止用として地面をあらかじめ約20cm掘り、石と粘土を詰めて地盤を固めた。玄室に基底石を置き、土で覆って安定させて側壁を築きながら墳丘の盛り土も施していたことがわかった。
玄室につながる通路(羨道)の位置などから、右片袖式(みぎかたそでしき)とみられることも判明した。
石室内からは、副葬品とみられるガラス製の管玉(くだたま)や土器などが出土した。 現地説明会は26日午後1~3時に行われる。
前回の8次調査より、古墳の概要は、
全長約39 m、後円部の直径約24 m、前方部長約17 m、前方部幅約26 m 、後円部の高さ約3m、前方部の高さ約2.5 m 、6世紀前半築造
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