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京都市西京区・芝古墳 造り出しが存在する可能性

2017年02月27日 | Weblog
 京都市文化財保護課は22日、乙訓古墳群の首長墓の一つである芝古墳(西京区大原野石見町)の規模や形状が明らかになったと発表した。
 芝古墳は古墳時代後期(6世紀初頭)、墳丘長32mの前方後円墳。近くの井ノ内車塚古墳と井ノ内稲荷塚古墳は同族の墓とみられている。
 墳丘のくびれ部の幅が13mで、後円部が直径23mであることや、前方部の開き方が想定よりも大きいことがわかった。
また、後円部東側の墳丘の立ち上がり部でL字状に屈曲した痕跡を確認したため、祭祀などを行う「造り出し」が存在する可能性が出てきたという。 造り出しは後円部と前方部の境のくびれ部周辺に付くのが一般的で、後円部は珍しいという。
他に、円筒埴輪と朝顔型埴輪片が多数出土した。
現地説明会は25日午前10時~正午に開かれた。
[参考:2017.2.24 産経新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 芝古墳(芝1号墳)

備考
 芝古墳群は,京都市と長岡京市にまたがって分布している古墳群で,方墳1基・円墳12基・前方後円墳1基の計14基が確認されている。
 芝古墳群唯一の前方後円墳・芝1号墳を単に芝古墳と呼んでいる。
 墳丘長32.7m、後円部径22.4m、前方部長約10.3m、前方部幅未確定(推定20m)、前方部高3.4m。
 周濠を含めた全長は38m以上。 [参考:平成27年度芝古墳発掘調査現地説明会資料より]

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岡山市・金蔵山古墳 くびれ部の東西に祭壇

2017年02月27日 | Weblog
 岡山市教委は25日、同市中区沢田の前方後円墳・金蔵山(かなくらやま)古墳(全長165m、4世紀後半築造)で現地説明会を開き2016年度の発掘調査の成果を発表した。
 これまでに、くびれ部の西側で「造り出し」が見つかっていて、石敷きや柵形埴輪が出土している。
 16年度は、くびれ部の東側から約10mの場所で「島状遺構」が出土した。「造り出し」とともに、祭壇として使われていた可能性があるという。岡山県内での出土は2例目。一辺10m、高さ2mの方形壇と推定され、上面には祭祀場を区切るとされる柵形埴輪片や、河原石が散在していた。石を敷き、埴輪を置いたとみられる。北側斜面は葺石で装飾され、裾部には小石が敷かれていた。遺構と前方部を接続する陸橋部分(長さ7m、幅推定2m)も見つかった。古墳の主軸に直行して、岩盤および盛土でつくられていた。
 「島状遺構」は、津堂城山古墳(大阪府藤井寺市)、巣山古墳(奈良県広陵町)など4世紀後半~5世紀初頭の限られた時期に畿内を中心に出現する。当時の大王墓級の規格を反映しており、吉備と大和の密接な関係を示す一方、畿内古墳に比べ敷石などで祭祀場の性格が強調されており、吉備独自の祭祀形式があったとみている。
 金蔵山古墳は墳長約165mで県内第4位。県内最大の造山古墳(岡山市北区新庄下)などが出現する前段階に築かれ、同時期では畿内を除いて最大規模。
同古墳被葬者の後継者の墓として有力視される湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)も島状遺構を持つが造り出しはなく、二つの施設を造り分けた理由の解明などを進めたいという。

 湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)は金蔵山古墳より古い4世紀後半の築造とされてきたが、平成20年度の湊茶臼山古墳第1次調査以降、金蔵山古墳よりも新しい時期の古墳らしいことがわかってきた。
[参考:2017.2.26読売新聞、2017.2.16山陽新聞、岡山市HP]

過去の関連ニュース・情報
 金蔵山古墳
 湊茶臼山古墳


岡山・金蔵山古墳で島状遺構出土

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