奈良文化財研究所が今年の2月12日に、飛鳥時代の迎賓館とされる明日香村の石神遺跡で、7世紀前半-中ごろの掘っ立て柱建物跡2棟や別の建物の周辺を巡るとみられる溝跡が見つかったと発表した。
遺跡の東端から、南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25m)や建物跡(南北5.4m、東西8.1m)、瓦が大量に埋まった溝(長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm)などが見つかった。
掘っ立て柱建物から南に向けて塀の跡が延びていた。東側は幅16-17・5mの通路に面しており、建物は門と推定した。いずれも東門だったようで、溝跡からは大量の屋根瓦が出土。数十年間で3回建て替えられ、最盛期の斉明天皇(在位655-661年)の時代に瓦葺になったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半~中ごろと推定。
瓦が多数出土したが軒先に飾る瓦はなく、棟の周囲だけ瓦葺にし、後は檜皮(ひわだ)などをふいたのではとみている。
宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦葺建物は極めて異例。石神遺跡中央部でも瓦葺建物は見つかっていない。
そして14日には現地説明会が行われた。
[参考:2009.2.12 共同通信、日経新聞、朝日新聞]
今日23日、産経新聞では、「(前記の)迎賓館の東門と推定した建物跡は、その後の調査で7世紀前半の遺構からの出土と判明。瓦も飛鳥寺や豊浦寺の瓦に次いで古い奥山廃寺式と分かり、620~630年代の建物と特定された。」と報じた。
さらに、国内で普及が始まって間もないころの寺院だったとみられるとする。
[参考:2009.7.23産経新聞]
初期寺院の創建時期
飛鳥寺:6世紀末~7世紀初頭
豊浦寺:7世紀初め
奥山廃寺:620~630年
過去のニュース・情報
2009-02-12 明日香村・石神遺跡 迎賓館の門が瓦葺?
[参考] 石神遺跡の瓦/奈良文化財研究所紀要No.2004(2004.6) (奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部・花谷浩)
遺跡の東端から、南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25m)や建物跡(南北5.4m、東西8.1m)、瓦が大量に埋まった溝(長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm)などが見つかった。
掘っ立て柱建物から南に向けて塀の跡が延びていた。東側は幅16-17・5mの通路に面しており、建物は門と推定した。いずれも東門だったようで、溝跡からは大量の屋根瓦が出土。数十年間で3回建て替えられ、最盛期の斉明天皇(在位655-661年)の時代に瓦葺になったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半~中ごろと推定。
瓦が多数出土したが軒先に飾る瓦はなく、棟の周囲だけ瓦葺にし、後は檜皮(ひわだ)などをふいたのではとみている。
宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦葺建物は極めて異例。石神遺跡中央部でも瓦葺建物は見つかっていない。
そして14日には現地説明会が行われた。
[参考:2009.2.12 共同通信、日経新聞、朝日新聞]
今日23日、産経新聞では、「(前記の)迎賓館の東門と推定した建物跡は、その後の調査で7世紀前半の遺構からの出土と判明。瓦も飛鳥寺や豊浦寺の瓦に次いで古い奥山廃寺式と分かり、620~630年代の建物と特定された。」と報じた。
さらに、国内で普及が始まって間もないころの寺院だったとみられるとする。
[参考:2009.7.23産経新聞]
初期寺院の創建時期
飛鳥寺:6世紀末~7世紀初頭
豊浦寺:7世紀初め
奥山廃寺:620~630年
過去のニュース・情報
2009-02-12 明日香村・石神遺跡 迎賓館の門が瓦葺?
[参考] 石神遺跡の瓦/奈良文化財研究所紀要No.2004(2004.6) (奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部・花谷浩)
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