平安時代末期・永久年間(1113-1118)に、鳥羽天皇(1103-1156)の勅願で創建し、江戸時代には大和国屈指の寺院として栄えながら、明治の廃仏毀釈で廃寺となった「内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)」(奈良県天理市杣之内(そまのうち)町)の扁額が天理市内の民家で見つかった。 奈良文化財研究所(奈良市)が調査した結果、鎌倉時代の書家・藤原教家(のりいえ、1194-1255)が1247年に書き、同寺の真言堂に掲げられたものと結論付けた。
扁額は長さ約84cm、幅約43cmで、寺の院号「金剛乗院」と書かれている。
・ 南北朝時代の編纂とされる「扁額集」に、藤原教家が宝治元年(1247)に書いたとの記述があり、字体が酷似していた。
・ 鎌倉時代後期の「内山永久寺置文」にも、真言堂の額は教家書と記されていた。
・ 額の木材の年輪調査で木の伐採は1248年前後と推測された。
藤原教家は、国宝「平治物語絵巻」(東京国立博物館所蔵)で絵を説明する「詞書(ことばがき)」(『平治物語絵詞』)を書いたことなどで知られる。
[参考:毎日新聞]
扁額は長さ約84cm、幅約43cmで、寺の院号「金剛乗院」と書かれている。
・ 南北朝時代の編纂とされる「扁額集」に、藤原教家が宝治元年(1247)に書いたとの記述があり、字体が酷似していた。
・ 鎌倉時代後期の「内山永久寺置文」にも、真言堂の額は教家書と記されていた。
・ 額の木材の年輪調査で木の伐採は1248年前後と推測された。
藤原教家は、国宝「平治物語絵巻」(東京国立博物館所蔵)で絵を説明する「詞書(ことばがき)」(『平治物語絵詞』)を書いたことなどで知られる。
[参考:毎日新聞]
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