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府中本町・武蔵国府関連遺跡 国司赴任開始以前の「国宰の館」遺構か

2010年08月25日 | Weblog
(写真は府中本町駅の裏側に当たる。遺跡からは西側部分になる。右側が北方向、左側が南方向となる。2010.5撮影)

 読売新聞夕刊およびインターネット・ニュースで、府中市の「武蔵国府関連遺跡」で見つかった建物跡が、大和朝廷が大宝律令(701年)に基づいて国司を送る以前の7世紀に、中央から派遣された国宰(くにのみこともち)が政務を行った場所である可能性が高いことが25日、わかったと報じている。全国で国宰の館とみられる遺構が見つかるのは初めてという。
 今回、これまでに見つかった建物群の西側(注1)の穴から7世紀末頃の特徴を持つ皿などの土器が多数見つかった。建物配置が東西南北に軸をそろえて配置され、格式の高い場だったことをうかがわせる一方、完全な左右対称になっていない(注2)ことなどから、国府の形式が整う以前から使われていた可能性が高いとするとのこと。
[参考:読売新聞]

(注1) 建物群の西側の穴といっても、位置がどの辺りかわからない。写真は建物群の西側部分に当たり、右が北方向、左が南方向になる。右側は今年の5月の現説では、ブルー・シートで覆われていた。
(注2) 建物の配置が完全な左右対称になっていないとするが、今年の5月の現説では、脇殿(東)が府中街道にあるかもしれない。そうなれば、左右対称に近くなると説明を受けた。

「国宰の館」遺構か…中央から派遣され政務(読売新聞) - goo ニュース

2010.9.23追記 
「武蔵国府関連遺跡」/府中本町駅前発掘対象の土地買取へ
 府中市は、7世紀末から8世紀前半に存続した迎賓館的な機能を備えた国司館跡、徳川家康が建てた「府中御殿」とみられる建物跡などが府中本町駅前の発掘調査で発見されたことを受け、対象の土地約7800㎡を約28億円で買い取ることを決めた。補正予算案を9月定例議会で提案した。今年度中に国史跡指定の武蔵国府跡として追加指定見込みという。
[参考:2010.9.22毎日新聞]

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 2010.5.16 武蔵国府関連遺跡 現場説明会 2010.5.15
 2010.5.11 府中本町駅前 古代武蔵国府の重要施設および家康の「府中御殿」の遺構が見つかる
 2008.7.30 岡谷市と東京・府中市で出土した平安の青銅鏡「八花鏡」 同じ工房で製作か


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