歴歩

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久留米市 益生田古墳群 678年の筑紫国地震で倒壊した円墳4基が出土

2015年05月22日 | Weblog
 久留米市は20日、同市田主丸町益生田(ますおだ)の益生田古墳群で、天武天皇7年(678)12月の筑紫地震で倒壊したとみられる円墳4基が出土したと発表した。
 ほぼ真下を震源の水縄(みのう)断層が走り、壊れた土器と地震の年代がほぼ一致したという。断層の長さは、うきは市から久留米市に至る約26kmで、ほぼ東西方向に延びる。
 筑紫国地震は日本書紀に記され、被害状況が記録された国内最古の地震とされる。
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『日本書紀』巻二九天武天皇七年(678)十二月 是月。筑紫國大地動之。地裂廣二丈。長三千餘丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。當于地動夕。以岡崩處遷。然家既全而無破壌。家人不知岡崩家避。但會明後。知以大驚焉。
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 阪神大震災に匹敵するマグニチュード7・2の規模と推定されている。筑後地方の古代遺跡でも地割れや液状化などの痕跡が多数見つかっているが、被害を受けた古墳の発見は例がないという。
 益生田古墳群は6世紀後半の築造で、耳納山麓に直径10m前後の円墳が100基以上確認されている。1980年から調査が始まり、今回は私有地の造成に伴い、昨年6月から発掘を開始。30m四方の斜面に直径6〜11mの円墳4基が出土し、いずれも横穴式石室の玄室の天井の石組みや石柱が北側に傾き、倒壊していたという。
 このうち1基の入り口では、祭祀に置かれた土器が倒れた石に押し潰すぶされるような状態で見つかった。土器は、形状から筑紫国地震とほぼ同年代に作られたとみられ、円墳の倒壊は同地震が原因の可能性が高いと考えられるという。
[参考:読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHKニュース]

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