小浜市教育委員会と若狭町文化財室は21日、両市町の共同発掘調査で、若狭町脇袋の「糠塚(ぬかづか)古墳」と小浜市羽賀の「丸山城址古墳」が前方後円墳だったことを確認したと発表した。大陸との交易を背景に、若狭地方の豪族が勢力を保っていたことを裏付ける資料として注目を集めそうだ。
糠塚古墳は、国指定の4~5世紀の若狭の王クラスの前方後円墳3基(注)が点在する「脇袋古墳群」内に位置する。これまで円墳に見えていたが、今回の調査で東側の畑約20㎡を発掘したところ、前方部の側面にあたる葺き石の列を確認した。全長は約60mと推定。堀が巡らされていることなど、他の若狭の王クラスの古墳と同じ特徴を持つ。また、周辺から出土した埴輪の形状などから、築造時期は5世紀末とみられるという。
脇袋古墳群は、かつて7つの塚(古墳)が存在したと記録があるが、現在わかっているのは4基。そのすべてが、前方後円墳となった。糠塚古墳が、主軸方向が東西であるのに対してほかの3基は主軸をほぼ南北にしている。
(注)上之塚古墳: 全長90m、築造時期4世紀末から5世紀前葉
中塚古墳: 全長70m、築造時期5世紀前葉
西塚古墳: 全長74m、築造時期5世紀後葉
このほか、小浜市羽賀の「丸山城址古墳」も測量調査し、5紀末~6世紀初頭の前方後円墳(全長約30m、幅約17m)であることを確認した。若狭地方ではこれまで1例しかない、前と後の両方に石室がある墳形とわかった。海を臨む山の尾根にあり、規模から、脇袋古墳群の王に仕え、現在の小浜市国富地区を中心にした地域首長の墓と考えられるという。
[参考:中日新聞、読売新聞、若桜町HP]
糠塚古墳は、国指定の4~5世紀の若狭の王クラスの前方後円墳3基(注)が点在する「脇袋古墳群」内に位置する。これまで円墳に見えていたが、今回の調査で東側の畑約20㎡を発掘したところ、前方部の側面にあたる葺き石の列を確認した。全長は約60mと推定。堀が巡らされていることなど、他の若狭の王クラスの古墳と同じ特徴を持つ。また、周辺から出土した埴輪の形状などから、築造時期は5世紀末とみられるという。
脇袋古墳群は、かつて7つの塚(古墳)が存在したと記録があるが、現在わかっているのは4基。そのすべてが、前方後円墳となった。糠塚古墳が、主軸方向が東西であるのに対してほかの3基は主軸をほぼ南北にしている。
(注)上之塚古墳: 全長90m、築造時期4世紀末から5世紀前葉
中塚古墳: 全長70m、築造時期5世紀前葉
西塚古墳: 全長74m、築造時期5世紀後葉
このほか、小浜市羽賀の「丸山城址古墳」も測量調査し、5紀末~6世紀初頭の前方後円墳(全長約30m、幅約17m)であることを確認した。若狭地方ではこれまで1例しかない、前と後の両方に石室がある墳形とわかった。海を臨む山の尾根にあり、規模から、脇袋古墳群の王に仕え、現在の小浜市国富地区を中心にした地域首長の墓と考えられるという。
[参考:中日新聞、読売新聞、若桜町HP]
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