市教委は3日、高山市の位山(1529m)の麓から中腹を通る古代の道「位山道」を初めて発掘調査し、現地説明会を開いた。
位山道(一之宮町~下呂市)は延長約28kmで、奈良・平安時代に造られた「東山道」の飛騨方面への分岐路「飛騨支路」と言われる一部。市教委は昨年8月から調査し、うち約30mを発掘した結果、石畳は奈良・平安時代を中心に敷設されたことが分かった。
石畳は直径30~60cmの石が敷き詰められ、下に10cm前後の石を込めて固定させている。道路幅は1・5~3mあった。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
[関連:前出・下呂市下切遺跡]
宝亀元年(701) 大宝律令により道路制度が制定され、都から飛騨の国府を通り、野麦峠経由で信濃の国府(松本市)までを結ぶ東山道が整備される。
和銅6年(713) 吉蘇路(木曽路)が整備され、東山道は美濃から木曽川沿いに信濃へ行くようになったため、飛騨の官道は「飛騨支路」となった。
宝亀7年(776) 美濃国菅田駅と飛騨国大野郡伴有(とまり)駅との間に下留駅ができた。
その後の、『延喜式』(927年)によると、飛騨支路の駅路は、武義駅(駅馬五疋、現関市付近)→加茂駅(駅馬4疋、現下麻生の付近)→下留駅(駅馬5疋、下呂市下呂町)→上留駅(駅馬5疋、現下呂市萩原町上呂)→石浦駅(駅馬5疋、高山市石浦町)であり、下留駅から北は飛騨国となる。[参考:岐阜県史]
位山道(一之宮町~下呂市)は延長約28kmで、奈良・平安時代に造られた「東山道」の飛騨方面への分岐路「飛騨支路」と言われる一部。市教委は昨年8月から調査し、うち約30mを発掘した結果、石畳は奈良・平安時代を中心に敷設されたことが分かった。
石畳は直径30~60cmの石が敷き詰められ、下に10cm前後の石を込めて固定させている。道路幅は1・5~3mあった。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
[関連:前出・下呂市下切遺跡]
宝亀元年(701) 大宝律令により道路制度が制定され、都から飛騨の国府を通り、野麦峠経由で信濃の国府(松本市)までを結ぶ東山道が整備される。
和銅6年(713) 吉蘇路(木曽路)が整備され、東山道は美濃から木曽川沿いに信濃へ行くようになったため、飛騨の官道は「飛騨支路」となった。
宝亀7年(776) 美濃国菅田駅と飛騨国大野郡伴有(とまり)駅との間に下留駅ができた。
その後の、『延喜式』(927年)によると、飛騨支路の駅路は、武義駅(駅馬五疋、現関市付近)→加茂駅(駅馬4疋、現下麻生の付近)→下留駅(駅馬5疋、下呂市下呂町)→上留駅(駅馬5疋、現下呂市萩原町上呂)→石浦駅(駅馬5疋、高山市石浦町)であり、下留駅から北は飛騨国となる。[参考:岐阜県史]
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