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牧之原市 白百合遺跡 弥生時代後期の海浜集落跡現れる 

2008年08月28日 | Weblog
 牧之原市教委は同市静波の白百合遺跡で、弥生時代後期の掘立柱の建物が複数建っていたとみられる海浜集落跡が見つかったことを発表した。
周辺は当時海岸に近い砂地で、このような海岸べりの集落跡は浜松市の伊場遺跡で見つかっているが、天竜川以東の県内では初めてという。
 遺跡は牧之原市役所榛原庁舎から北へ約100mの畑地で、広さ約600㎡。
 集落跡は地表から約1mの深さの砂地で見つかった。縦3m、横4mのいずれも高床式倉庫など掘立柱の建物とみられる4棟の跡があり、それぞれに4-6本の柱を建てたような穴(直径40-50cm、深さ30-60cm)が残っていた。集落外には砂地を人工的に区画したような大溝も作られていた。
 周辺からは食料や水を入れた壺、煮炊きに使ったとみられる甕、食べ物を盛り付けた高坏の土器が約200点出土した。
 海岸線に近い砂の堤防か砂丘につくられた集落で、県内での発見例はほとんどない。これまで砂丘は人が住みにくいと考えられていたが、古代人の土木技術の高さがうかがえ、海浜集落の実態を解明する上で貴重な発見と話している。
 市教委では30日午前10時30分と午後1時30分から、現地説明会を開く。
[参考:中日新聞]

 白百合遺跡は現在の海岸線からは西に1kmの地点で標高は3.4m。
 伊場遺跡(浜松市)は現在の海岸線からは北に3.2kmの地点で、標高は約2.5m。

 白百合遺跡のすぐ東そばには由緒ある服織部(はとりべ)神社がある。祭神は麻立比古命と 天八千千比売命。
 境内の案内板によると、
服織田神社は延喜式神明帳に記載されており、景行天皇の七年に勧請され上古は圭田を賜った。往古は服織田村と言われたが柏原町と改められたと宝暦八年の検地帳に記載されている。安政元年の大地震直後建立、明治六年三月郷社に列せられた。
(略)

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