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長浜市・横山城遺跡 戦国時代の痕跡出土

2008年11月21日 | Weblog
 市教委は20日、市東部の横山城遺跡で16世紀後半のものとみられる、刀の鞘の先端部にはめる金具「鐺(こじり)」が県内で初めて出土したと、発表した。防御のため斜面を削った切岸(きりぎし)、土塁の基礎となった石列などの遺構も検出された。
 主要な施設は横山の南北2か所にあったと推測されているが、これまで建物遺構は出土していなかった。
 今年8月、市教委が標高300m付近の3か所を発掘し、曲輪の跡から土師器や信楽焼の皿などとともに鐺1点が見つかった。
 切岸遺構は、曲輪跡の西側、二重の空堀の直上に位置する。高低差約5・2mの斜面の土を、長さ約8mにわたって削っており、西側の守りの要だったことがうかがわれる。石列(長さ約1・1m)も、曲輪付近で検出された。
 鐺は26日まで市立長浜図書館(0749・63・2122)で展示されている。
[参考:読売新聞]

 横山城は長浜市の東側、横山丘陵・臥竜山(標高312m)を中心に三方の尾根に配置配されている。
 築造時期不明 京極氏の支城として築かれたといわれる。
 永禄4年(1561) 浅井長政は、南近江守護の六角義賢と戦い佐和山城を落とした。浅井氏の近江南進の要として、横山城を築いて、浅井井演を城代とした。
 元亀元年(1570) 織田信長に反旗を翻した浅井長政は、信長との姉川の合戦に敗れる。信長は、横山城へ木下秀吉を城代として送る。
天正元年(1573) 浅井氏滅亡によりこの城の役目も終わり、長浜築城を期に廃城となった。
[これまでの主な出土遺物]
 11世紀平安時代ごろの北宋銭「治平元寶(じへいげんぽう)」が16世紀の土師器とともに出土
 16世紀半ばの鎧具足の一部である小札(こざね)が出土

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