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茨城県・城里町 徳化原古墳 7世紀半ば以降の古墳時代終末期の東西37mの長方墳

2019年06月04日 | Weblog
 城里町と茨城大学考古学教室が5月31日、2018年度から連携して実施している同町指定史跡 「徳化原(とっけはら)古墳」(同町北方)の発掘調査の成果報告を行った。
 古墳の規模は東西約37m、南北約23m以上の長方墳。築造時期は7世紀半ば以降の古墳時代終末期。
 トレンチの中に柱穴列が確認され、柱が施工時土留め境界杭(あるいは割り付け杭)に使われていたことが考えられ、階段ピラミッドのような形状だった可能性がある。
 石室は横穴式石室で、玄室と羨道の部分からできている。地元産の凝灰質石材の切石を組み合わせており、栃木県にみられる構造。羨道部の石が上下逆さまになっていることも分かった。
[参考:茨城新聞、茨城大学HP、城里町HP]

徳化原古墳=頓化原古墳とも

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城里・「徳化原古墳」発掘 東西37メートルの長方墳 柱穴列確認 階段ピラミッド形状か


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