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奈良県斑鳩町・中宮寺 金堂跡基壇、再建時も同じ柱位置

2009年04月08日 | Weblog
 斑鳩町教育委員会は7日、聖徳太子が建立したとされる中宮寺(斑鳩町法隆寺東2丁目)で、金堂基壇の柱の礎石抜き取り穴から、飛鳥時代前半(7世紀前半)の創建期の礎石を支える「根石」が見つかったと発表した。
 金堂跡は1963年と84年に発掘調査が行われ、後世に再建・改修されていたことが知られる。さらに詳細な基礎資料を得るため昨年8月から、史跡整備に伴い室町時代に移築した現在の中宮寺から東約400mのところ約270㎡を学術調査し、版築が使われた基壇などを見つけ。また、再建時に瓦を積み上げた基壇が新たに2か所見つかった。
 根石は長さ約40cmで、砂と粘土を突き固めた創建時の版築の途中に据え付けられていた。根石の上層で礎石の抜き取り穴17個を検出し、穴は版築の上から掘り込まれているため、平安から鎌倉時代の再建時のものと考えられるという。
 また、別の柱穴からは、焼けた凝灰岩の根石も見つかり、創建時の基壇から転用したとみられ、当初の金堂が火災で焼けた可能性が高まったとする。
 金堂の創建時の基壇は推定で東西約17.2m、南北14.6m。建物は東西6本、南北5本の柱を2.6m間隔で並べた構造。
 創建時は周囲に切り石を巡らせていた。12―13世紀に再建した際に瓦積みとなり、その後17世紀までには盛り土と簡素な造りに変わっていった。このような再建の変遷があったが、柱の配置は創建時と変わらなかったとみられる。
 飛鳥時代前半の法起寺(斑鳩町)の瓦も見つかり、同寺とのつながりもうかがわれる。
 発掘調査は3年計画で、今年度は塔の基壇のほか、講堂、回廊があると推定される場所を調査する。
 現地説明会が11日、12日両日に行われる。11日は町民対象で午後1時~4時。12日は一般対象で午前10時~午後4時。小雨決行。
[参考:読売新聞、奈良新聞、日経新聞、毎日新聞]



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