岡山大埋蔵文化財調査研究センターは23日、同大鹿田キャンパスの医学部構内にある鹿田遺跡(岡山市北区鹿田町)で、奈良時代(8世紀後半)の井戸跡から、猿が馬を引く「猿駒曳(さるこまひき)」の絵馬と「牛」の絵が描かれた絵馬が素焼きの土器と共に出土したと発表した。 絵馬は4月中旬、井戸跡から2枚重なった状態で見つかった。 どちらも国内最古の例。
猿駒曳の絵馬は縦12cm、横23cmの長方形で、鞍を着けた馬を小さな猿が手綱で引く姿が描かれている。木板に墨で描かれていたらしいが、本来は顔料などで彩色されていた可能性もあるという。
儀式的な用途で井戸の中に絵馬と土器を納めたとみており、猿が馬を守護するという伝承が奈良時代まで遡る可能性が出てきた。
「猿駒曳」の現存最古の例は、鎌倉時代(13世紀末)の戯画(注1)で、今回の例は約500年遡る。
「牛」の絵馬は横21・5cm、縦12・3cm。 これまでの最古の例は、静岡県で出土した9世紀のもの。
絵馬は寺社に生きた馬を奉納する代わりに始まったとされ、奈良・平城京跡出土の8世紀前半例が最古である。
同遺跡は、藤原摂関家の荘園「鹿田荘(しかたのしょう)」跡として知られ、絵馬は、都との関係が非常に強い荘園だったことを示す資料になるとしている。
[参考:時事通信、日経新聞、山陽新聞]
非常に興味深い発見である。
■ 絵馬は、本物の馬に代えて奉納することになったのが平安時代からとしていたが、奈良時代まで遡ることになった。 続日本紀の大宝二年(702)の条に下記記載が見られ、当時、神馬が献上されていたことがわかる。
続日本紀大宝二年四月八日乙巳。飛騨國獻神馬。
■ (注1)鎌倉時代(正中年間1324~1326)に成立した石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれている。
■後白河法皇(1127-1192)が治承年間(1177-1181)頃に編纂した歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に
353 御馬屋の隅なる飼猿は 絆離れてさぞ遊ぶ 木に登り 常磐の山の楢柴は 風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る
と詠まれており、「厩猿信仰」の一端が描かれている。
■猿は山王権現の使いという民間信仰より、古いもの。
■馬曳き猿を河童の変形とする話についても影響か。
猿が馬引く絵馬出土=岡山(時事通信) - goo ニュース
過去の関連ニュース・情報
2009.9.13 福岡県上毛町・ハカノ本遺跡 奈良~平安の居館跡などを確認
鎌倉時代の武士か豪農とみられる住居跡の溝から、表に馬、裏に牛が描かれた絵馬も見つかった。
猿駒曳の絵馬は縦12cm、横23cmの長方形で、鞍を着けた馬を小さな猿が手綱で引く姿が描かれている。木板に墨で描かれていたらしいが、本来は顔料などで彩色されていた可能性もあるという。
儀式的な用途で井戸の中に絵馬と土器を納めたとみており、猿が馬を守護するという伝承が奈良時代まで遡る可能性が出てきた。
「猿駒曳」の現存最古の例は、鎌倉時代(13世紀末)の戯画(注1)で、今回の例は約500年遡る。
「牛」の絵馬は横21・5cm、縦12・3cm。 これまでの最古の例は、静岡県で出土した9世紀のもの。
絵馬は寺社に生きた馬を奉納する代わりに始まったとされ、奈良・平城京跡出土の8世紀前半例が最古である。
同遺跡は、藤原摂関家の荘園「鹿田荘(しかたのしょう)」跡として知られ、絵馬は、都との関係が非常に強い荘園だったことを示す資料になるとしている。
[参考:時事通信、日経新聞、山陽新聞]
非常に興味深い発見である。
■ 絵馬は、本物の馬に代えて奉納することになったのが平安時代からとしていたが、奈良時代まで遡ることになった。 続日本紀の大宝二年(702)の条に下記記載が見られ、当時、神馬が献上されていたことがわかる。
続日本紀大宝二年四月八日乙巳。飛騨國獻神馬。
■ (注1)鎌倉時代(正中年間1324~1326)に成立した石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれている。
■後白河法皇(1127-1192)が治承年間(1177-1181)頃に編纂した歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に
353 御馬屋の隅なる飼猿は 絆離れてさぞ遊ぶ 木に登り 常磐の山の楢柴は 風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る
と詠まれており、「厩猿信仰」の一端が描かれている。
■猿は山王権現の使いという民間信仰より、古いもの。
■馬曳き猿を河童の変形とする話についても影響か。
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