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つくば市 小田城跡 格子状の障子堀が県内初出土

2008年12月04日 | Weblog
 つくば市教育委員会は1日、発掘調査を進めている国指定史跡「小田城跡」(同市小田)の本丸北側の北虎口付近から、格子状の障子堀が出土したと発表した。
障子堀は、城の防御機能を高めるため、空堀の底に穴を掘り障壁を造ったものだが、畝の部分が格子状になっている形状が見つかったのは県内で初めてという。障子堀は、小田原城など北条氏の城でよく見られる。障子堀は、敵が侵入する際に足を取られるほか、水を保持しやすいことからも防御効果があると考えられていた。さらに、畝が一列の障子堀より、格子状の方が、より防御効果を高めたとみられる。
 調査した北堀跡は深さ約3mで、さらに1m以上掘り進んで障壁が造られていた。幅30-50cmで、格子の形は部分的に食い違ったり途切れたりと複雑な構造となっている。底に掘られた穴の深さは1m以上あるとみられ、地上から障子堀の底までの深さは約4mと推定される。
 格子状の障子堀は2000年度の予備調査で、別の場所から存在の可能性が指摘され、約150m四方の本丸を取り囲む内堀全域に広がっている可能性が高いという。
 小田城は鎌倉-戦国時代、現在の茨城県に当たる常陸国の南部に勢力を持った豪族の小田氏の居城。佐竹氏に敗れて1570年に城主が交代し、どちらが障子堀を造ったかは分かっていない。
 また、北堀に面して土塁が切られた虎口跡の通路からは、小砂利や焼けた壁土を突き固めた舗装の痕跡も確認した。
 一連の発掘調査は本年度で終了し、来年度から史跡公園として保存するための工事に着手する。
 同市教委は6日午前10時30と午後1時30から現地説明会を開き、一般公開する。小雨決行。問合せは市出土文化財管理センターへ
[参考:東京新聞、読売新聞、つくば市歴史・文化財]
参考1:
先月10月14日に確認された水戸城跡障子堀
 
備考2:
 小田城は、12世紀末に八田知家によって築かれた。知家は常陸国の守護となり、建久四年(1193)には多気義幹を亡ぼし、常陸国南部に勢力を広めた。四代時知に至り小田氏を名乗るようになる
 小田城は、本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれは平城で、約2ヘクタールに及ぶ。本丸部分の約2ヘクタール程を八田氏の居館として出発し、次第に拡大強化された。南北朝に入ってから、居館から防衛のための城郭へと転化した。戦国期の度重なる戦乱の中で戦闘用に強化された。更に梶原政景によって最終的に改修され、現在知り得る姿になって完成する。
 この城は平城として長所を十分発揮して巧妙に設計されている。本丸と各郭は深い堀と高い土塁で囲まれ、重要な出入り口には馬出しを設けて、直接進入が出来ないようにしてある。郭は堀によって隔てられ、橋で結ばれている。郭は外部になるにつれて広くなるが、その中に堀や土塁を設けて、郭内の自由な移動を妨げている。郭群の外を北から東に囲む最外部は城下町をなし、その外も堀と土塁で囲まれている。
[参考:小田城跡の案内板(つくばし教育委員会)]

八田知家(はった ともいえ、1142-1218)
 下野宇都宮氏の当主・宇都宮宗綱(八田宗綱)の四男。

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