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本宮市 庚申壇古墳 発掘調査現地説明会

2008年08月20日 | Weblog
 福島大学考古学研究室は、この8月11日から9月7日まで庚申壇古墳の発掘調査を行い、9月6日に現地説明会を開催すると、今月11日に発表している。
 庚申壇古墳は、本宮市と大玉村を分ける丘陵上に築造されている前方後円墳で、天王壇古墳や金山古墳、二子塚古墳などと共に七ツ坦古墳群を構成している。庚申壇古墳は形や埴輪から5世紀前半にまで遡り、七ツ坦古墳群の中で最も古い時代の古墳である可能性がある。
 今年4月に墳頂部埋葬施設の確認調査を実施しており、今回はその成果にもとづいて埋葬施設の発掘調査を行うとのこと。
 場所: 本宮市本宮字竹花所在 庚申壇古墳
 現地説明会: 9月6日(土) ※小雨決行      
[参考:福島大学考古研究室]

これまでの経緯
①庚申檀古墳案内板説明内容より
 本宮市指定史跡 庚申檀古墳
 規模・後円部径約30m、前方部削平残部約18m、高さ約5m
 位置・福島県安達郡本宮市字竹花
 この付近は、多くの古墳があって七ツ坦とも言われていたが、現在は庚申檀・金山・天王檀・二子塚の4つの古墳が残っている。
 この古墳は、竹花丘陵西端に、築造したもので、墳頂に庚申塔がまつられているところからこの名がつけられている。
 古墳は前方部の低い前方後円墳と考えられているが、前方部は削平されて一部のみが現存している築造されたときは、全長50m以上の規模を有していたと考えられる。
 墳丘には葺き石が残存しており周辺には埴輪片が散見され、埴輪を樹立した古墳であったことがわかる。
 築造年代は、古墳の前方部が低平なこと、円筒埴輪が、大きく、焼成に甘さが見られるものが存すること、埴輪片に二次調整の横ハケが見られることなどから、同じ古墳群にある南ノ内の天王檀古墳(5世紀後半頃)より古く、5世紀前半まで遡る可能性がある。昭和61年7月 本宮市教育委員会

②1988年に実調査が行われている。前述の説明版の昭和61年は1986年であるから、こちらが新しい。
 前方後円墳。丘陵上標高230m、台地からの比高3m。前方部1段・後円部2段、墳長45m以上。後円径32m・高4.7m・頂径8m、前方長13m以上・高2m以上、くびれ幅9.5m、葺石あり、前方部は先端部が失われている。
遺物:埴輪(円筒埴輪+朝顔形埴輪III式)+土師器。

③測量説明会 2007年03月26日 
 福島大考古学研究室は25日、庚申壇古墳の測量調査説明会を開き、墳形や墳丘規模などを明らかにした。学生や関係者ら約30人が参加。
 調査によると、庚申壇古墳は周辺にある天王壇、金山、二子塚各古墳などを含めた七ツ坦古墳群の1つで、見つかった埴輪片からみて、東北では古墳が少ない5世紀の古墳時代中期前半期に作られた可能性があり、古墳群の中でも早い時期のものとみている。採集された遺物は埴輪12点、土師器2点、縄文土器1点。
[参考:KFB福島放送]

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