能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

広島・御手洗の町 瀬戸内海の交通の要所・・・風待ち、潮待ちの御手洗は江戸時代の港町 天満宮に参拝

2018年03月09日 | 旅行
広島県呉市の沖にある御手洗の町。
「おてあらい」ではなく、「みたらい」と読みます。
瀬戸内海の交通の要所・・・風待ち、潮待ちの御手洗・・・江戸時代の港町です。

この町の街並みは、江戸時代の趣を残しており、埼玉県川越市の海版ということが出来ます。

高どうろう、船宿、お茶屋、海の神さまを祀った神社などなど、散歩を楽しむには最高の場所です。





安芸灘大橋を含め7つの橋を渡ってクルマで行けます。



江戸時代の街並みの各戸には、京都のように花が飾られています。
まさに、おもてなし・・・です。




昭和の病院です。


乙女座・・・昔の公会堂です。


この御手洗。
菅原道真公が京の都から九州太宰府に左遷させる時に、この港町に立ち寄り、井戸で手を洗ったことから名づけられた地名です。
町の中心には、道真公を祀った天満宮があります。


道真公が手を洗ったとされる井戸。
この井戸で書き初めをするとアタマが良くなると言われています。
 

お宮のトンネルを抜けると願いをかけながら通ると、願いが叶うと言われています。
可能門というそうです。
 

御手洗の町づくりが始まったのが、1666年(寛文6年)。
1806年には伊能忠敬が測量に訪れ、1826年にはシーボルトが、1853年には吉田松陰が訪れています。
1864年には、明治維新の立役者、三条実美が御手洗に立ち寄ります・・・この街、交通の要所なので、「都落ち」というブラックな面が付きまといます。

港町に必ずいる猫・・・。


昭和の時計屋さん。




この江戸時代の街並みは、後世に残していきたいものです。
また、訪れてみたい御手洗の町です。


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