広島県呉市の沖にある御手洗の町。
「おてあらい」ではなく、「みたらい」と読みます。
瀬戸内海の交通の要所・・・風待ち、潮待ちの御手洗・・・江戸時代の港町です。
瀬戸内海の交通の要所・・・風待ち、潮待ちの御手洗・・・江戸時代の港町です。
この町の街並みは、江戸時代の趣を残しており、埼玉県川越市の海版ということが出来ます。
高どうろう、船宿、お茶屋、海の神さまを祀った神社などなど、散歩を楽しむには最高の場所です。
安芸灘大橋を含め7つの橋を渡ってクルマで行けます。
江戸時代の街並みの各戸には、京都のように花が飾られています。
まさに、おもてなし・・・です。
昭和の病院です。
乙女座・・・昔の公会堂です。
この御手洗。
菅原道真公が京の都から九州太宰府に左遷させる時に、この港町に立ち寄り、井戸で手を洗ったことから名づけられた地名です。
町の中心には、道真公を祀った天満宮があります。
道真公が手を洗ったとされる井戸。
この井戸で書き初めをするとアタマが良くなると言われています。
お宮のトンネルを抜けると願いをかけながら通ると、願いが叶うと言われています。
可能門というそうです。
御手洗の町づくりが始まったのが、1666年(寛文6年)。
1806年には伊能忠敬が測量に訪れ、1826年にはシーボルトが、1853年には吉田松陰が訪れています。
1864年には、明治維新の立役者、三条実美が御手洗に立ち寄ります・・・この街、交通の要所なので、「都落ち」というブラックな面が付きまといます。
港町に必ずいる猫・・・。
昭和の時計屋さん。
この江戸時代の街並みは、後世に残していきたいものです。
また、訪れてみたい御手洗の町です。