約2ヶ月間のバイトも終了
ドジを重ねながらも何とか?やり終えたというところ!!
最終日前日、バイト先に近いということもあり、東山魁夷記念館によった。
市川市に記念館が存在していたことすら知り得ていなかったので、意外な気がしたが、昭和20年から平成11年逝去するまでの約50年間!ここ市川市に住まわれていたのだそうな。
数年前、国立博物館で興福寺障壁画展を見て以来 感心を抱いていた東山魁夷(特に「青の世界」)。
当ブログにも掲載した祇園の桜を描いた「花明かり」も心に残った絵の一つ。
本当は時間的にそんな余裕のない今日この頃だったけれど、これも何かの”縁”と思いゆっくりと学芸員の解説もきかせて頂いた。
日本画の画家なのに、ヨーロッパで勉強され特に北欧の森と泉の風景から「青の世界」が生まれ、西洋がお好きであえて洋風な建物にされた記念館となっているとのお話。
本物の作品はごくわずかで人となりの魁夷が良くわかるひっそりとした記念館だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/good.gif)
ドジを重ねながらも何とか?やり終えたというところ!!
最終日前日、バイト先に近いということもあり、東山魁夷記念館によった。
市川市に記念館が存在していたことすら知り得ていなかったので、意外な気がしたが、昭和20年から平成11年逝去するまでの約50年間!ここ市川市に住まわれていたのだそうな。
数年前、国立博物館で興福寺障壁画展を見て以来 感心を抱いていた東山魁夷(特に「青の世界」)。
当ブログにも掲載した祇園の桜を描いた「花明かり」も心に残った絵の一つ。
本当は時間的にそんな余裕のない今日この頃だったけれど、これも何かの”縁”と思いゆっくりと学芸員の解説もきかせて頂いた。
日本画の画家なのに、ヨーロッパで勉強され特に北欧の森と泉の風景から「青の世界」が生まれ、西洋がお好きであえて洋風な建物にされた記念館となっているとのお話。
本物の作品はごくわずかで人となりの魁夷が良くわかるひっそりとした記念館だった。