三菱一号館美術館
撮影可の一室
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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
モルトフォンテーヌ、小さな柵変化と続く道
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シャルル=フランソワ・ドービニー
花咲くりんごの木
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カミーユ・ピサロ
あさ、陽光の効果、エラニー
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カミーユ・ピサロ
豊作
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フィンセント・ファン・ゴッホ
プロヴァンスの収穫期
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初めて知った画家
レッサー・ユリィ
今回、とても気に入った絵画 4作品
「風景」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ae/d7e853ced7ef6a1eed194d52afb189f4.jpg?1635515268)
11歳の時に父を亡くし、一家でベルリンに移り住んだ。
1879よりデュッセルドルフのアカデミーで学び
1887年にベルリンに帰るまでに
ブリュッセル、パリ、シュトゥットガルトといった
各都市で学ぶ。
1893年にミュンヘンの分離派展に出展する。
60歳を記念して開かれた大規模な展示で
名声は揺るぎないものとなった。
静物や風景をいんしょうはに近い技法で描き
雨の路地や夜のカフェを描いた作品は特によくしられている。
以下 3作品絵画はネットから拝借
「赤い絨毯」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/66/48318f8db5cf4564a261bd5a6270d5c1.jpg?1635515269)
こちらに背を向けて椅子に座った女性が
窓から差し込む太陽の光を利用して縫い物をしている。
裁縫に勤しむ女性は、ユリィが頻繁に描いたモティーフであり
親しんだ光景でもあった。
ユリィが11歳の時に父が亡くなると、ユリィの母親は
子供達を連れて
ポーゼン(旧プロイセン、現ポーランドのポズナン)から
ベルリンに移り住んだ。
母親は小さなリネン店を開き
その収入で息子達の教育費を賄った。
ユリィは裁縫が日常的に行われていた環境の中で育った。
「夜のポツダム広場」
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「冬のベルリン」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ba/073bf87f8e15ede034e69ddd7be9e235.jpg?1635516534)