27日、陸前高田での作業終了後
気仙沼で、震災時と現在の状況を地元の方に案内してもらいながら、お話を聞いた。
気仙沼は地形上、同じ町内でも直接は被災していない家もあり、大きな火災も伴った被災地ということで
最近は、町民の間で感情的な問題が生じていることを辛そうにお話された。
いつになったらみなさんが笑顔で暮らせるようになるのか、まだまだ大きな苦しみと悲しみがつきまとっている。
これが、震災後一年七か月の姿・・・。
この船は震災のあの日(2011年3月11日)、海岸から約700m離れた気仙沼鹿折地区の鹿折唐桑駅前に
打ち上げられた第十八共徳丸。
船主は北海道、解体には億単位の費用が!!
忘れないためにも残しておこうという意見と、親族を亡くした家族にしてみれば
まだ精神的に安定していないのに、これがあると苦しみにしかならないという意見と。
最終的にはもうじき決定しなくてはならないのだという。
閉店間際の仮設商店街・復興マルシェで、少しでも買い物をする!ことしかできなかった。

気仙沼、ホテル観洋からの朝日
釜石などは、交通の便がいいこともあり、早くから芸能人なんかがボランティアに入り
マスコミ的にもクローズアップされていたが、気仙沼のようにまだまだ取り残されている地域も
あるのは確かだ。
こんな一泊二日ボランティアの私たちにも、とても感謝して下さり
前回も、忘れ去られるのが一番怖いと伺ったが、今回も同じ気持ちをおっしゃっていた。
今回は27日陸前高田で、地元ガイドさんにバスで移動しながらお話を聞いた後、作業をし
気仙沼ではもう夕方で作業はなく、地元の方に現地でお話を伺い
翌日28日は、南三陸で瓦礫撤去、分別作業。
天気予報通り雨のため、午後からの作業は中止となり 仮設商店街「さんさん商店街」でゆっくり買い物をし
ホテル観洋(南三陸)の露天風呂で汗を流してから、新幹線駅・くりこま高原へ。
こんな日程なら私たちも何とか協力できる。
南三陸で一緒に作業した中に、兵庫県はあの丹波篠山市からいらしたという
おじ様方や数人のお若い方々総勢19名。
なんと!26日18時に、バスで篠山を出発 車内泊(17時間)
27日朝、南三陸着後 炊き出しの作業をし、仮設住宅に配布されたとか!?
そこで
「生まれ育ち長い間ここで苦労してきて今!こんな目にあい、この先、生きているうちに新しい我が家に住めるわけでもなく
これでお終いかと思ったら涙も出てこない。」と、
云うおばあ様の言葉に、何ぼにも可哀想で気の毒で俺は何も言えなかったと・・・おじ様のお話。
ほんとに胸のつまる現実。
添乗員さんからも聞いていたが、最近はボランティアの人数はぐんと少なくなってきたけど
宿泊施設・ホテルが少なく、ボランティアプランセッティングに苦労しているとか。
篠山市のみなさんも近くの宿泊を確保できず、27日は古河の駅前のホテルまで行き
28日、また南三陸まで戻ってきての作業だったのだ。
篠山市主催ボランティアで、今回は12回目だという!!
そんな皆様には、心強く!嬉しく!思わず感謝したい心持ちになった。