一昨日に続いて都響プレミアムコンサート
多摩および島しょ地域において、オーケストラ公演やアンサンブル公演を実施
地域の人々との触れ合いを大切にしたコンサート
全て無料公演で、クラシック音楽を気軽に楽しむことができる。
従ってすべて応募になる。
たまたま友人と別々に2名参加で応募したら、どちらもチケットが取れたというわけ。
一日おいて「運命」を2回聴いたことに。
日本にクラシック音楽を印象付け広く知れ渡ることになったのが
ベートーヴェンのこの「運命」との話。
クラシック音楽全盛期は18~19世紀
古典派を代表する3人
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン
ハイドン ・・・1732年~1809年
モーツァルト・・・1756年~1791年
ベートーベン・・・1770年~1827年
ベートーヴェンはハイドンより38歳年下、モーツァルトより14歳年下。
ハイドンとモーツァルトは24歳違い。
初めての交響曲を書くにあたり、ハイドンとモーツァルトの偉大なる交響曲は
大きなプレッシャーとなったベートーヴェン。
そこで、交響曲では使われていなかった楽器、3種を取り入れ盛大な音に!!
第4楽章のみ ピッコロ、トロンボーン、そしてコントラバスファゴットの3つの楽器が登場。
あの「じゃじゃじゃじゃ~ん」というメロディをはじめ
何しろ音が大きいということで、当時は気ちがい扱いすらされていたとの話。
そうは言われているが、第2楽章は賑わいの中にも穏やかで
やすらぎすら感じられ、私は気にいっている。
ベートーヴェンが16歳の時、31歳のモーツァルトに弟子入れを申し出
即興演奏をした際、才能を認められた。
しかし母マリアの突然の訃報によりボンに帰ったため、弟子入りは叶わなかった。
1792年、ベートーヴェン22歳の時、60歳のハイドンに弟子入りを許可されたが
ハイドンにとっては重要な時期で
英国への演奏旅行や代表曲の制作を行っていたため
ベートーヴェンにまで目が行き届かなかったようで
一年にも満たない弟子入りとなり、当人も
「ハイドンから学んだことは何もない。」と言っていたと。
ハイドンとモーツァルトは親交があったという。
こんな機会がない限りこんな事まで調べることもなかっただろう・・・。
おもしろいけど、どうせすぐに忘れてしまうであろうことも確実