「マラソンの普及と強化」を目的として
東京オリンピック銅メダリストの ”円谷幸吉選手と走ろう” を
合言葉に誰でも参加できる大衆マラソンとして
1967年よりスタートした伝統ある市民マラソン
早春の青梅路を思いっきり楽しめる 30㎞・10㎞(共に日本陸公認コース)の2部構成。
一般市民が参加可能なうえ、オリンピックや箱根駅伝などで活躍するランナーも
出場することから、全国から参加者が集まる人気のレース。
私より先輩の友人が何回目かの参加予定。
それで青梅マラソンの存在くらいは知っていたが、調べてみる気になった。
円谷幸吉!? 記憶にあるある
1964年(昭和39年)東京オリンピック出場
それまでのマラソン経験は3回のみ。
初マラソンからオリンピック本番までの期間は7か月
東京五輪本番では男子10000メートルにも出場、6位入賞と健闘。
最終日の男子マラソン、君原選手と寺沢選手がメダル候補と目されており
円谷選手は注目されていなかったという。
しかしその2選手は入賞争いからも脱落。
円谷選手は、ゴールの国立競技場に2位で戻ってきたが、トラックでイギリスの選手に追い抜かれた。
とはいえ自己ベスト記録で3位となり、銅メダルを獲得。
これは東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなり
さらに男子10000mと合わせて2種目も入賞を果たして
「日本陸上界を救った」とまで言われた。
メキシコシティ五輪開催年の 1968年(昭和43年)
1月9日、彼は自衛隊体育学校宿舎の自室にて、カミソリで頸動脈を切って自殺。
その遺書が心にとどまる。
この遺書について、川端康成氏は
「相手ごと食べ物ごとに繰り返される “美味しゅうございました”という
ありきたりの言葉が、実に純ないのちをいきている。
そして、遺書全文の韻律をなしている。
美しくて、まことで、かなしいひびきだ。」と語り
「千万言も尽くせぬ哀切である。」と評した。
当時の関係者からは「ノイローゼによる発作的自殺」「円谷自身の力不足が原因」など
様々な憶測が語られる中
三島由紀夫氏はこれらの無責任な発言に対して批判。
「円谷選手の死のような崇高な死を、ノイローゼなどという言葉で片付けたり
敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい。
それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であった。」
と強い調子で批判し、最後に
「そして今では地上の人間が何をほざこうが、円谷選手は”青空と雲”だけに
属しているのである。」と締めくくった。
円谷選手の悲劇の後、日本オリンピック委員会や一部競技統括団体では、オリンピック出場選手などの
アスリートに対するメンタルサポートや、メンタルヘルスケアが実施されるようになっている。
そののち、川端康成氏、三島由紀夫氏、お二人とも自殺されたことになる。
おこがましくも、お二人の思いに全面共感する。
今年の青梅マラソンは 第50回となる。(雪のため、過去2~3回中止になっている)
2016.2.21(Sun) スタート
先輩の無事完走を祈念しよう。
因みにわが子は、本日!お台場にて 3㎞マラソンに行くと云い出かけた
いつ決めたん
出かけ際に初めて聞いたわ~
そういえば、数年前も2~3日前になって?「沖縄マラソンに行ってくる~」といった
調子だったなあ
今日はまた春を思わせる暖かで、いいお天気