仙厓
1750~1837年
臨済宗古月派の僧
日本最古の禅寺である博多聖福寺の住職として活動した。
禅の境地をわかりやすく説き示す
軽妙洒脱でユーモアにとんだその書画は
人々に広く愛されてきた。
◯△□
江戸時代 紙本墨画 28.4×48.1㎝
3つの図形のみを描いたシンプルな図。
左端には「扶桑最初禅窟~日本最古の禅寺」聖福寺の 仙厓が
描いたとする落款を記すのみで、画中に作品解釈の手がかりとなる賛文がなく
仙厓禅画の中では最も難解な作品とされる。
◯が象徴する満月のように円満な悟道の境地に至る修行の
階梯を図示したとも
この世の存在すべてを3つの図形に代表させ
「大宇宙」を小画面に凝縮させたともいわれ
その解釈には諸説ある。
一円相画賛
江戸時代 紙本墨画 26.0×42.0㎝
丸い円を描くことは円満な悟りの境地の表明であるとして
古来より禅僧の間で好んで描かれてきた。
しかし「これを茶菓子だと思って食べよ」という賛文からは
大切な円相図をいとも簡単に捨て去ってしまおうとする
仙厓の態度を読み取ることができる。
禅においては常により高い悟りの境地を求め続けるべきであり
画賛の完成はさらに深い悟りの追求へのスタートでもあるのだ。
本図は禅僧 仙厓の真摯な求道精神を示している。
指月布袋画賛
江戸時代 紙本墨画 54.1×60.4㎝
子供たちと戯れる布袋さんのほのぼのとした情景のようだが
「月」を暗示する賛文 '' を月様幾ツ、十三七ツ ''
の存在から、禅の根本を説いた教訓 「指月布袋」の図であることがわかる。
月は円満な悟りの境地を
指し示す指は経典を象徴しているが
月が指の遥か彼方、天空にあるように
「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達出来ず
厳しい修行を通して獲得するものであることを説いている。
出光美術館、出光コレクション第一号の作品。
座禅蛙画賛
江戸時代 紙本墨画 40.3×53.8㎝
こちらを向いて、にやりと笑っている一匹の蛙
ちょうど座禅をするような姿勢で日々を過ごしている蛙を題材に
禅の何たるかを説いている。
'' 座禅して人か佛になるならハ '' の賛文の通り
座禅という修行の形式にばかりこだわり
求道の精神を見失っているようでは悟りというものは
一向に訪れることはないと説く。
ともすると形式ばかりにとらわれていた当時の弟子たちに向けて発せられた
仙厓の微笑ましくも手厳しい警鐘なのである。
堪忍柳画賛
江戸時代 紙本墨画 47.0×59.7㎝
しなやかに枝を風になびかせる柳の大木を描き
その横に ''堪忍 '' の大きな文字を添えている。
吹き付ける風の中には耐え難い風もあるだろうが
柳はいずれの風もさらりと受け流してやり過ごす。
仙厓の感性は柳の姿にも人生の手本としての教訓を読み取り
我慢出来ないこともじっと堪え忍ぶことの肝要を説く図としてまとめあげた。
それは処世訓であるばかりでなく、禅の修行にも重要な忍辱の教えに通じる
仏教の根本の教えでもある。
老人六歌仙画賛
江戸時代 紙本墨画 43.2×53.9㎝
年を重ねると顕著になってくる老人たちの日頃の立ち居振る舞いの特徴や
口うるさい言動などを 「歌仙」に喩えて詠んだ先人の歌を
仙厓流に再構成して 賛にまとめている。
「老い」は仕方のないことと諦めず、輪廻の長いサイクルからすると
ほんの一時の辛抱でしかないと肯定的にとらえ、
「老い」を謳歌することを提案した 仙厓流の「老い」への指南書である。
その証拠に、描かれている老人達は皆おおらかで、のびのびとして微笑ましい。
以上 出光美術館参照
今朝の朝刊「折々のことば」
'' よしあしの中を流れて清水かな '' 仙厓
葦の茎が折り重なるように茂る間を清水が流れる図に添えられた句。
水辺に生える「葦」は 「あし」とも 「よし」とも読む。
それを「悪し」 「良し」 に引っかけて
善と悪が複雑に入り混じる世間、清がすぐ濁に染まり
裏返る世間のはざまを、清きままに生きることの険しさと尊さを詠む。