松田敏子フラワーデザイン・徒然ローズガーデン

予定より長生きしている今を憂いながら、怒りながら、笑いながら楽しむ。

東北ボランティア・2

2012-10-29 17:55:48 | その他
27日、陸前高田での作業終了後

気仙沼で、震災時と現在の状況を地元の方に案内してもらいながら、お話を聞いた。

気仙沼は地形上、同じ町内でも直接は被災していない家もあり、大きな火災も伴った被災地ということで

最近は、町民の間で感情的な問題が生じていることを辛そうにお話された。

いつになったらみなさんが笑顔で暮らせるようになるのか、まだまだ大きな苦しみと悲しみがつきまとっている。

これが、震災後一年七か月の姿・・・。







この船は震災のあの日(2011年3月11日)、海岸から約700m離れた気仙沼鹿折地区の鹿折唐桑駅前に
打ち上げられた第十八共徳丸。
船主は北海道、解体には億単位の費用が!!

忘れないためにも残しておこうという意見と、親族を亡くした家族にしてみれば

まだ精神的に安定していないのに、これがあると苦しみにしかならないという意見と。

最終的にはもうじき決定しなくてはならないのだという。

閉店間際の仮設商店街・復興マルシェで、少しでも買い物をする!ことしかできなかった。



気仙沼、ホテル観洋からの朝日



釜石などは、交通の便がいいこともあり、早くから芸能人なんかがボランティアに入り

マスコミ的にもクローズアップされていたが、気仙沼のようにまだまだ取り残されている地域も

あるのは確かだ。



こんな一泊二日ボランティアの私たちにも、とても感謝して下さり

前回も、忘れ去られるのが一番怖いと伺ったが、今回も同じ気持ちをおっしゃっていた。




今回は27日陸前高田で、地元ガイドさんにバスで移動しながらお話を聞いた後、作業をし

気仙沼ではもう夕方で作業はなく、地元の方に現地でお話を伺い

翌日28日は、南三陸で瓦礫撤去、分別作業。

天気予報通り雨のため、午後からの作業は中止となり 仮設商店街「さんさん商店街」でゆっくり買い物をし

ホテル観洋(南三陸)の露天風呂で汗を流してから、新幹線駅・くりこま高原へ。

こんな日程なら私たちも何とか協力できる。




南三陸で一緒に作業した中に、兵庫県はあの丹波篠山市からいらしたという

おじ様方や数人のお若い方々総勢19名。

なんと!26日18時に、バスで篠山を出発 車内泊(17時間)

27日朝、南三陸着後 炊き出しの作業をし、仮設住宅に配布されたとか!?

そこで

「生まれ育ち長い間ここで苦労してきて今!こんな目にあい、この先、生きているうちに新しい我が家に住めるわけでもなく

これでお終いかと思ったら涙も出てこない。」と、

云うおばあ様の言葉に、何ぼにも可哀想で気の毒で俺は何も言えなかったと・・・おじ様のお話。

ほんとに胸のつまる現実。


添乗員さんからも聞いていたが、最近はボランティアの人数はぐんと少なくなってきたけど
宿泊施設・ホテルが少なく、ボランティアプランセッティングに苦労しているとか。
篠山市のみなさんも近くの宿泊を確保できず、27日は古河の駅前のホテルまで行き
28日、また南三陸まで戻ってきての作業だったのだ。

篠山市主催ボランティアで、今回は12回目だという!!
そんな皆様には、心強く!嬉しく!思わず感謝したい心持ちになった。
コメント (2)
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