アフガニスタン邦人(伊藤和也さん)拉致事件

2019年12月06日 05時20分49秒 | 社会・文化・政治・経済

約1万6500ヘクタールの土地に水を供給し、65万人の命を保った事業は、医師中村哲さんらの井戸掘り事業。

伊藤和也さん(31歳)は同僚だった。

アフガニスタンの人々の暮らしを根底から奪った干ばつ。

何よりも水は命のために必要だった。

アフガニスタン邦人拉致事件は、2008年8月26日アフガニスタンで人道支援活動を行う非政府組織ペシャワール会メンバーの日本人1名とパシュトゥーン人拉致された事件である。

拉致された日本人は、後に殺害された。


2008年8月26日午前6時30分 (現地時間) 頃、アフガニスタン東部に位置するナンガルハール州において人道支援活動を行っていたペシャワール会メンバーの日本人・

(当時31)がターリバーン拉致された。

車に同乗していたパシュトゥーン人もターリバーンに拉致されたが、自力で脱出した。そして拉致された直後の26日午前6時40分頃、拉致された伊藤を近くの村民が発見し、ターリバーンを追い詰めた。そこで1名が逮捕されたが、残る3名はクナル州へ逃走した。

殺害

その後、駆けつけたアフガニスタン政府の警備隊とターリバーンとの間で激しい銃撃戦が繰り広げられ、伊藤は午後2時から3時の間に銃で攻撃され死亡したと見られる。

また、27日に駐アフガニスタンアメリカ軍も巡回中、ターリバーンらしき人物を専用ヘリコプターで追跡したが見失った。

アフガニスタン政府に逮捕された容疑者は動機について「金目当てで犯行を決意した」と供述した。そして、伊藤さんが殺害された状況を詳しく語っており「政府警備隊が来たので、日本人(伊藤)を殺さざるを得なくなった」「(伊藤さんは) 別のターリバーンメンバーが殺害した」と話した。

ペシャワール会代表の中村哲医師は、2008年8月28日にカブールで開かれた会見において「拉致された日本人(伊藤さん)は、車でナンガルハール州近くを巡回する際にターリバーン4人の待ち伏せに合い、襲撃された」と発表した。

「暴力は何も解決しない」中村さんは伊藤さんのかんがいへの献身を追悼した。

これに対してターリバーンのムジャヒド広報官は拉致を認め、「この非政府組織が住民の役に立っていたことは知っている。しかし(ターリバーンの見解からすると)住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ。そして、全ての外国人がアフガニスタンを出るまで殺し続け、日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、我々は殺害を続ける」と声明を発表した。

殺害された伊藤さんはペシャワール会代表の中村医師により、銃弾が左側大腿動脈を貫通した際に大量出血が原因となって死亡したと断定された。

日本人の遺体を乗せた飛行機は2008年8月29日にアフガニスタンのカーブル国際空港から離陸し、アラブ首長国連邦ドバイに着陸した。

その後8月30日に中部国際空港に到着した。

中部国際空港には山本一太外務副大臣が出迎えた。

殺害された伊藤の遺体は静岡県浜松市浜松医科大学医学部附属病院に運ばれ、死因を調べるために解剖された。



「日本人まだ生きてる」襲撃犯叫んだ後、中村医師に3発

2019年12月06日 05時11分38秒 | 社会・文化・政治・経済

 アフガニスタン東部ジャララバードで4日、人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で、医師の中村哲(てつ)さん(73)が銃撃され、殺害された事件で、襲撃犯らが「日本人がまだ生きている」と叫んで中村さんを重点的に撃っていたことが、目撃者の証言で分かった。

現地で有名な中村さんを殺して他の支援団体も萎縮させ、現地政府に打撃を与える狙いだった可能性がある。

【写真】銃撃された中村医師らが乗っていた車両

 現場は飲食店やホテルが並ぶ幅20メートルほどの路上。住民(40)が朝日新聞現地助手に語ったところでは、4日午前8時ごろ、自動小銃と短銃をスカーフにくるんで持った男2人が様子をうかがい始めた。2人は顔は隠していなかった。

 そこへ中村さんらの四輪駆動車2台が差し掛かると、不審な白い車が進路を妨害。短銃の男が助手席の中村さんに近づき、窓越しに発砲すると、中村さんはダッシュボードに崩れた。

 さらに、白い車から降りてきた男たちも撃ち始め、中村さんの運転手や警備員も倒れた。

 住民によると、襲撃犯は7人はいたという。住民が動こうとすると、銃口を向けて「近づくな」と威嚇したという。

 銃撃がいったん収まると、意識を取り戻した中村さんが頭を上げた。これに男が気づいて「日本人がまだ生きているぞ」と叫ぶと、自動小銃を持った別の男がフロントガラス越しに3発、中村さんの胸付近を撃った。

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