約1万6500ヘクタールの土地に水を供給し、65万人の命を保った事業は、医師中村哲さんらの井戸掘り事業。
伊藤和也さん(31歳)は同僚だった。
アフガニスタンの人々の暮らしを根底から奪った干ばつ。
何よりも水は命のために必要だった。
アフガニスタン邦人拉致事件は、2008年8月26日にアフガニスタンで人道支援活動を行う非政府組織ペシャワール会メンバーの日本人1名とパシュトゥーン人が拉致された事件である。
拉致された日本人は、後に殺害された。
2008年8月26日午前6時30分 (現地時間) 頃、アフガニスタン東部に位置するナンガルハール州において人道支援活動を行っていたペシャワール会メンバーの日本人・
車に同乗していたパシュトゥーン人もターリバーンに拉致されたが、自力で脱出した。そして拉致された直後の26日午前6時40分頃、拉致された伊藤を近くの村民が発見し、ターリバーンを追い詰めた。そこで1名が逮捕されたが、残る3名はクナル州へ逃走した。
殺害
その後、駆けつけたアフガニスタン政府の警備隊とターリバーンとの間で激しい銃撃戦が繰り広げられ、伊藤は午後2時から3時の間に銃で攻撃され死亡したと見られる。
また、27日に駐アフガニスタンアメリカ軍も巡回中、ターリバーンらしき人物を専用ヘリコプターで追跡したが見失った。
アフガニスタン政府に逮捕された容疑者は動機について「金目当てで犯行を決意した」と供述した。そして、伊藤さんが殺害された状況を詳しく語っており「政府警備隊が来たので、日本人(伊藤)を殺さざるを得なくなった」「(伊藤さんは) 別のターリバーンメンバーが殺害した」と話した。
ペシャワール会代表の中村哲医師は、2008年8月28日にカブールで開かれた会見において「拉致された日本人(伊藤さん)は、車でナンガルハール州近くを巡回する際にターリバーン4人の待ち伏せに合い、襲撃された」と発表した。
「暴力は何も解決しない」中村さんは伊藤さんのかんがいへの献身を追悼した。
これに対してターリバーンのムジャヒド広報官は拉致を認め、「この非政府組織が住民の役に立っていたことは知っている。しかし(ターリバーンの見解からすると)住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ。そして、全ての外国人がアフガニスタンを出るまで殺し続け、日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、我々は殺害を続ける」と声明を発表した。
殺害された伊藤さんはペシャワール会代表の中村医師により、銃弾が左側大腿動脈を貫通した際に大量出血が原因となって死亡したと断定された。
日本人の遺体を乗せた飛行機は2008年8月29日にアフガニスタンのカーブル国際空港から離陸し、アラブ首長国連邦のドバイに着陸した。
その後8月30日に中部国際空港に到着した。
殺害された伊藤の遺体は静岡県浜松市の浜松医科大学医学部附属病院に運ばれ、死因を調べるために解剖された。