10/3(土) 14:11配信
読売新聞(ヨミドクター)
ココロブルーに効く話 小山文彦
息苦しい日々が続いています。新型コロナウイルスの感染拡大は、想像をはるかに超えた「負の変化」を、我々の日常にもたらしました。そんな中、人気にも実力にも恵まれた俳優らが相次いで自らの命を絶ちました。もちろん、本当の理由はご本人にしかわかりませんし、周囲が無責任な邪推をすべきではありません。
ただ、なぜ自分から死へと向かってしまう人がいるのか。本当に自殺の連鎖は起こりうるのだろうか。こんな時代だから、もう一度、考えてみたいと思います。
「トンネルビジョン」と呼ばれる心理的な視野狭窄
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2019年の日本国内の自殺者数は2万169人(厚労省、警察庁)。減少傾向にあるとはいえ、やはり大変な数になります。これに未遂も加わるわけですから、やはり看過できない状態が続いています。
生と死――。両方の間には途方もない断層があります。心穏やかに生きている人にとって、どんな困難がやってきても、死へのスイッチを押す決断にまでは至らず、万が一、そこに考えが及んでも、必ずためらいが生じます。それでも、自死への「勢い」が「迷い」に勝ってしまうときには、「トンネルビジョン」と呼ばれる、心理的な視野狭窄(きょうさく)に陥っていることがほとんどです。
人生において難しい局面になり、ほとんど明かりの見えない暗がりに包まれたと感じたとき、「自分にできることは何もない。思い当たるのは、死を選ぶことだけ」といった心理に陥ってしまう人がいるのです。
平常なら押さない「死へのスイッチ」を選ばせてしまう連鎖
今回、人気俳優らが次々に自死を選んだことに、誰もが驚き、悲しみ、そして「なぜ、連鎖的に発生してしまったのか……」と疑問を感じています。もちろん、本当の理由はそれぞれ異なるはずなのですが、周囲から見れば、「容姿に恵まれ、仕事も順調そう。恋愛や家族関係の問題もなさそうな人ばかり」だったので、なおさらです。
本当に、自殺の連鎖はあるのでしょうか。
それぞれの人にとっての「生と死」のギャップは異なります。トンネルビジョンに陥って、あっけなく死へのスイッチを入れてしまった人にとっては、本来は大きな断層がある「生と死」のギャップが小さく見えてしまっているのです。
それに加え、自殺が連鎖してしまう背景を考えると、すでに死へのスイッチを押してしまった人はほかにもいて、「自分だけではない」と考えてしまうことが挙げられます。「死を選択するのは、自分だけではない。あの人だって……」と。
先んじてそのスイッチを押した人が、自分がよく知っている人だったり、有名人だったりすれば、さらに「生と死」のギャップは小さくなってしまうはずです。自死へのハードルを下げてしまう結果になり、「あの人がやったのだから、自分にもできる」と考えてしまう部分もあります。
さらに、日本人の特性も考えられます。とくにネガティブな行動について、私たち日本人は、自分だけが突出してしまうことを避けたがる傾向があり、それが抑制、禁止、自己規制として働くことで、「早まったことはしない」というブレーキの役割を果たします。それが、「あの人もやった」という前例の記憶が、本来なら簡単に押せないスイッチを、押させてしまう可能性もあるはずです。
自殺が連鎖してしまう可能性には、「自分だけではない」との心理が影響していると考えられるのです。
身近な人との結びつきだけで救えるのか?
芸能人などは典型的ですが、常に日の当たる場所にいることで、絶えず多くの周りの目にさらされることになります。その結果、ほっと安らげるような、「ストレスから隠れられる場所」が乏しくなっていくことは想像できます。スマホを持つことが当たり前の時代になり、誰もが通信機能のついた高性能カメラを持ち、さらにSNSなどで簡単に広く情報を発信できることで、著名人にとっては、以前にもまして、物理的にも心理的にも「隠れ場所」が少なくなった実感があるはずです。
著名人であれ、一般人であれ、誰かが自死を選ぶと、よく言われるのは、「身近な人との結びつきがあれば、救えたのではないか」ということ。ライフライン(命綱)のように結びつけられているだれかの存在があれば、どこかの瞬間に救い出されたかもしれないとの考え方です。
言うことは簡単ですが、人間の心理はそんなに単純なものではありません。
自立している大人の場合、それぞれの立ち位置に見合った振る舞いが求められます。
親になれば、子どもから頼られ、お手本としての役割(ロールモデル)になります。逆に、子どもの立場では、親やきょうだいらから愛情や期待を受けていることで、かえって弱ってしまっている自分を簡単にさらけ出せなくなる人もいます。
これは、日本独特の「恥の文化」にもかかわることかもしれませんが、愛情や期待に見合わないとか、不甲斐(ふがい)ないと思い込んでいる実情をさらすことなどが、とてつもなくつらいものになることは理解はできます。それは、本来は「隠れ場所」となるべき場所が、そうではなくなってしまうことにもつながりかねません。
普段、身近な人に与えたり、受けたりしている愛情に見合うような価値を自分に見いだせなくなるとしたら、「身近な人との結びつきがあれば、避けられた」などと、紋切り型には言えないはずなのです。
「一人で何役もこなさなければならない」ストレスへのケア
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人にストレスが襲い掛かる場所は一つとは限りません。職場や家庭、日ごろ生活をしている社会全体にもそれが潜んでいることは、誰もが理解できるはずです。
もともと本人が何かを抱えている状況に、別の場所からさらなるストレス要素が加われば、ストレスによる反応(不調)が一気に早く進んでしまうことがあります。
仕事のストレスを抱えて疲労している人に、家族の健康問題だったり、自分の大事な存在を失ったりなどの事態が加わると、予期せぬ反応が起きる可能性は一気に高くなります。家庭、職場、街……、誰もが一人でいくつもの役割をこなして、それぞれの場所でストレスが加わっているという視点こそが求められるのです。
身近な人との結びつきが大切なのは言うまでもありません。さらに一歩踏み込んで、誰もがお互いに社会や家庭内でいくつもの役割をこなしていることに目配りし、それについての労いを言葉で伝え続けることで、アンカー(錨)のように人を安定させることにつながります。
自己愛の振れ幅
自分が自身に対して持つ存在価値は絶対的なものではありません。時と場合、環境によって大きく揺れ動くものであり、そのリスクも見逃せないと思います。
ストレス対策の中では、自尊感情や自己重要感、つまり自己愛は大切な要素です。それが十分に備わってはいても、状況によって大きく上下に揺れ動きやすい人の場合は要注意です。
芸能人やスポーツ選手など、常に称揚や期待を受ける立場にある人はもちろんのこと、どんな人生にも浮き沈みはあります。外部から見たら、羨望を抱いてしまうような状態だったとしても、当人にしてみれば、自分のピーク時と比較してしまい、主観的な評価はずっと低くなりがちになります。
自己評価の物差しは当人の中にしかありません。周りから見れば「十分な高さ」であったとしても、当人にとってのピークの到達点に比較して、自分がいる場所がずっと下方に見えてしまうこともあるのです。
常に評価される立場の芸能人やスポーツ選手などはもちろん、社会人として大きな成功を収めている人にしても、「いつまでもこの栄華が続かないかもしれない」と予期不安を抱くとともに、それを払拭(ふっしょく)するためにも自身を磨き続けなければ、という観念を持ちます。その労力は大変なことです。
そんな自分への厳しさゆえ、同様の水準を維持できない他人に対して、厳しい言動となって、衝動的に強い攻撃性となって表れてしまうこともあります。今回の俳優さんらの自死連鎖とは無関係かもしれませんが、厳しさゆえの衝動性、攻撃性が表れやすい状況であると気づいたら、当人ならいったん機関停止のごとく、その活動を止める勇気も必要でしょう。周囲のだれかがそうなっていたら、上手に伝えてあげることが必要です。なぜなら、自殺の心理には、他人に向けるのとほぼ等しい攻撃性が、自身に向けられることもわかってきているからです。
当たり前に享受してきた「日常性のピンチ」に
世間の評価は、成功か失敗か、売れたか売れなかったかといった二元論的に陥りがちです。当人にとっての自己評価は、どうしても揺れ動きます。だからこそ、周囲は一時的な結果だけを刹那的に判断するのではなく、その人の絶対的な価値をしっかりと認めてあげる配慮こそが大切なのです。結果だけでなく、努力や潜在力に対する評価が、その人の力を伸ばすことは自己効力理論からも説明されています。
現在のコロナ禍は、まだまだ先が見えません。行動範囲が制限されてしまうような窮屈な社会で、大切な人や信頼できる人に自由にアクセスできないことは、今までは当たり前に享受してきた「日常性のピンチ」です。誰も経験したことがない状況で、これから人々の心がどう動いていくかなど、まったく予想はできません。
人の死は絶対的なもので、悲しみを抱える人がいる限り、それぞれを比較することは不適切です。とはいえ、病気や事故とは違って、自死には必ず背景や理由があるため、周囲に与える衝撃や不安は、やはり計り知れないものがあります。それが連鎖すればなおさらです。
最近放映された人気ドラマのセリフではありませんが、誰もが「生きていればなんとかなる」という考え方を共有して、こんな窮屈な時代でも、手の届くところに大事な存在を感じられるように努めながら、一緒に乗り切っていきたいものです。
小山 文彦(こやま・ふみひこ)
小山文彦
東邦大学医療センター産業精神保健職場復帰支援センター長・教授。広島県出身。1991年、徳島大医学部卒。岡山大病院、独立行政法人労働者健康安全機構などを経て、2016年から現職。著書に「ココロブルーと脳ブルー 知っておきたい科学としてのメンタルヘルス」「精神科医の話の聴き方10のセオリー」などがある。19年にはシンガーソング・ライターとしてアルバム「Young At Heart!」を発表した。