著者について
89年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。
専攻は日本近現代史。主な著書に『徴兵制と近代日本』(吉川弘文館)、『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)、『戦争の論理』(勁草書房)、『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)などがある。
さて、多くの読者は戦争を中心に据えつつ近代日本の歴史を解説した本と受け取るのではないかと思う。本書にそういう要素があるには違いないが、評者には本書の思想的な側面が気になって仕方がない。それこそが面倒ではあるが評者がこのレビューを書いた動機である。
本書の内容に関して驚くべきことをまず一つ指摘するなら、戦争熱を煽った新聞等マスコミに関する記述が皆無ということだ。日清戦争(第1章)には新聞の論調に触れた箇所は多少あったが、評者の関心事でもあった太平洋戦争のあたりとなると、当時の新聞による扇動に関する記述は全く無い(正確を期すなら、被害状況の紙面への記載に関しては若干の記述がある)。これは書物のタイトルを考えれば不思議なことであり、加えて結構な分量の本であることも考えればますます怪しい。ずいぶん偏った書物である。意図的に知らぬふりを決め込んでいると見るべきだろう。ちなみに、本書(文庫版)は新潮社が出しているが、元の(文庫版でない)書籍は朝日出版社の刊行とのことである。
序章から最終章の5章までの部分(以下、本レビューでは本体部分と呼ぶ)は高校生を相手に行った講演をまとめたものらしい。本体部分への追加の体裁で、「おわりに」、「文庫版あとがき」、そして「解説」と題した記述(以下、これら3つを追加部分と呼ぶ)が掲載されている。なお、「解説」は本書の著者とは異なる人の執筆になる。
本体部分では歴史を題材にして読者を偏狭なものの見方(思考様式)へと誘導する記述(※後述)が繰り返されている。これは読者の思考・判断能力を低下させるためのお膳立てのように思える。そうした上で、追加部分に割と露骨にイデオロギー色を伴う教示が示されている。読者がそれら教示を素直に受け入れるなら、左翼勢力にとって好都合なことだろうと思う。なお、追加部分ほど鮮明ではないが本体部分にもイデオロギー的な主張がたっぷり入っていると評者は感じる。
最も露骨なのは「文庫版あとがき」中の改憲に関する著者の見解を示した箇所であろう。抜粋しつつ引用すると、『(前略)日本国憲法が、護憲と改憲、双方の立場からさかんに議論されるようになった(中略)ならば、憲法を論ずるためには、その前提として(中略)戦争(注:太平洋戦争のこと)について考える必要がある(中略)「あの戦争」はいまだ解かれれいない問いにほかなりません。』要するに、太平洋戦争の解明が改憲論議の前提条件であると主張し、そしてその条件は整っていないと訴え、改憲論議に釘を刺しているのだ。評者は憲法であれ一般の法規であれ、欠陥がある、あるいは現状のまま放置したのでは何らかの望ましくない結果を招きかねない、との認識があるなら改定を検討すべきと考えるが、著者は理屈をこねまわしてでも改憲へ向けた動きは阻止したいようだ。
学者の肩書を持つ人がそんなことを書いて恥ずかしくないのか、と感心させられた箇所もある。何と!ある種の文献を読まぬよにとの若者たちに向けたアピールがある。「おわりに」からの抜粋だが、『そのような本では(中略)過去の戦争を理解しえたという本当の充実感(中略)得られないので同じような本を何度も何度も読むことになるのです。このような時間とお金の無駄遣いは若い人々にはふさわしくありません。』言葉遣いは穏便だが要するに、他の説には耳を傾けるなというのがその意図するところと読める。まるで原理主義的な宗教のようだ。
(※)レビューの最後に、上で後述としておいた偏狭なものの見方への誘導について記しておこう。著者は、戦争とは敗戦国の国体(憲法など)を変更するものだ、という見方を極端に重用している。歴史についてのそうした見方を自然法則の類似物(人間の意思がどうあれ逃れられないルール)であるかのように錯覚させたいのだろうか、著者は「歴史は科学である」とも主張する(この主張はマルクス主義に特徴的なものだ)。また、戦争を経ての国家の体制や社会の変化について「新たな社会契約」といった表現を著者は好んで用いている(それは評者の感覚では日本語表現として異様な不自然さを漂わせるレベルに達している)。社会契約説は一般には前向きに評価されている思想であるが、社会契約なる表現の乱用は当事者間の自由意思に基づく約束事という本来の意味の契約概念を忘れさせる困った効果があるように思う。こういった見方に慣らされ、思考様式が固定してしまった人は戦争を経て敗戦国に出現した体制等(ここで、暗黙?のうちに焦点とされているのは日本国憲法である)について、「逃れられない法則のもたらした結果でありそれ以上考えても仕方がない」とか、「歴史の必然であってその正当性を云々する性格のものではない」とか、あるいは「契約の一種と理解できるのだから当然正当なもの」といった安易な考えによって素直に受け入れ、そして、そのまま思考停止に陥るのではないかと危惧する。
・日本の日清戦争から第二次世界までの戦争の過程としては、主に北ロシアに対する、列強からの国防の観点から進んでいる。実際に占領地にしてきた朝鮮、満州などは、ロシアからの国防の拠点になっている
・しかし、ロシア革命、中国の辛亥革命から国が変わった影響から、従来までの戦争で獲得した利権が失われる影響があり、強行姿勢に突入して欧州列強からの反発が強くなってきたことが第二次世界対戦勃発のきっかけとなる
・軍部の力が強くなったポイントとして、軍部が農民向けの政策を唱えていたことがポイント。農民の所得増加など聞こえの良い政策を説いたことから、当時50パーセントほどの国民を占める農村層からの支持が強くなり、民主主義国家ではあったが政党の影響力が弱くなっていく
・日本が戦争に突入した背景として、被害者で国内で語られることは多いが、多くの近隣国家及び国民に対して被害を出したことに目を向けるべき
・何より満州への移民政策では、国が一定以上の移民を行った自治体に対して、補助金を支給していた。満州での引き揚げ民の対ソ連侵略の責任として、国の政策もそうだが実際の国民レベルまで、政策に加担していた事実を、忘れてはいけない
■感想
・実際に政治、経済が安定していない不況な状態で、極端な発言から貧困層の人気を集める旧陸軍の手法は、現代のトランプに通じるところがある。
・国が中庸ではなく極端な方向性に傾いているときは、冷静に状況を国民レベルが判断することが大切
・日本が戦争を突入した背景として、隣国の影響からの被害者的な側面ももちろんあるが、東南アジアの利権などに目が眩んでいたことと、国民レベルが冷静な判断力がなくメディアに煽られ軍の政策に加担してしまったこと、周辺諸国への多大な被害をもたらしたことは、今後忘れてはいけないと思う。
捏造では無いと信じられる、知らなかった事実の数々、愚行と光明、また一つ、歴史の見方が変わりました。
山本夏彦のコラムのタイトル。タイトルのつけ方が絶妙で、それを並べるだけで、そのまま社会批評になり、風刺にもなった名人芸。私もこうやって人の言葉を並べただけでも、いっぱしの批評家みたいな気分になれるかというと、そんなことばありません。。しかし今の世の中、学者にもこういう人多いでしょう、他人の言説を並べ立てるだけでいっぱしの学者顔してる人やテレビのコメンテーター。
小林秀雄賞を取ったというこの作品の性格、「一言で言え」と謂われれば、これは歴史書というより左翼自虐史観による教宣書かと。
ほかにも多々問題があるのですが一つだけ指摘すれば、第4章の初めに、著者自らこう書いています。
「満州事変には『起こされた』という言葉を使い、日中戦争には『起こった』という言葉を使ったことに注目してください」
なぜこのような奇妙な注釈をするのか、読み進めればすぐに解ります。著者が、日本によって『起こされた』と見ることは詳細に語り、共産党が深くかかわったと言われてきたことには『起こった』こととして省筆、つまり省いているのです。(ウジが湧くと言ったって、ハエが卵を生まなければかってに生まれるわけも無し、戦争がかってに『起こった』はずもない事くらい中・高生だって解るでしょうに)
一例をあげれば、西安事件、通州事件は省略、第2次上海事件も1万人もの日本人居留民が、通州事件のように残虐な殺され方をする危険があったことも省略して、中共軍の戦果ばかりで、南京攻略戦も省略。米国を戦争にを引きずり込むための宣伝工作も省略、という具合。実は作者が省筆したところこそ、日中戦争の核心というべきところにもかかわらず、詳細な事実を隠し、日本悪し、中共良しを強く印象付けることで、結果として嘘と同じ効果を生むならやはり、自虐史観かと。
作者は隣国に対して過激で乱暴で失礼なことは言わないとどこかで述べていますが、(故山本夏彦ならきっとそれを称して「猫なで声」と言ったかも)でも考える史料が不足していたり、一面的な資料ばかりでは、考えることすら十分にできませんね。
先日のホルムズ海峡でのアメリカではなく日本タンカーへの攻撃、それと盧溝橋事件での一発の銃声。ーーー 識者ならこのことの類似性に気づかれたことと思います。戦争を引き起こそうとした一発です。誰が何のために?
米国大統領は報復を思いとどまり、イランも革命防衛隊を処罰しましたが、米中貿易戦争の始まりといわれる今、イランを支援しているのが、ロシア・中共・北朝鮮等であることを見れば、米・イランが戦争を始めれば、誰が損害と不利益を被るか、誰が漁夫の利を得るか、誰が戦争を起こそうとしているか、想像してみて下さい。予想はつくでしょう?
原発は停止中の上に、石油が止まれば、日本はたちまちエネルギーが枯渇しますしね。配給された金縛り憲法の下では、制約が多すぎて海外邦人を助けるのもままならない。(反原発や平和憲法という嘘)
イランを蒋介石に見立て、米国同盟を日本に見立てれば、、かつてあったこと、共産党と争っていた蒋介石が日本と闘うように仕向けられ、ついには両方消耗し、後に共産党が消耗した国民党を追い出し中華人民共和国成立。それが盧溝橋事件から日中戦争の後の結果でしょう。ーーー、それと同じではないかと思えば、米国・日本・イランが消耗し、そのあとは誰が得をするか?
過去から現在を見、現在から過去を見れば、過去の事件の真相もおのずと浮かび上がるのではないでしょうか?
歴史は繰り返すといいますが、歴史から正しく学んだ者は同じ間違いを繰り返さないのに比べて、奢れるものは成功に酔い何度でも同じ過ちを繰り返しますね。
米中貿易戦争といわれることが今後も長く続くなら、次に予想されるのが、通州事件や上海事件の再来かもしれせんし、だとするなら、(すでに人も企業も人質にとられている国もあるし、海外駐在者も多数いるし)自分たちは何を、どのように、備えなければならないか。賢明な作者や読者にはもうお解りなのでしょうか?答えを聞きたいものです。
(「対話を」などと馬鹿の一つ覚えは謂わんといてください。人は、醉っぱらっても、感情が激しても、欲に驅られても、飢えていても、理性を失いただの動物に戻ることは誰でも経験してるでしょうから、言葉が有効なのは心ある人にだけ、ってこともわかるでしょうよ。熊・虎・鰐を相手に対話ができるなら、やってみて。裸の人間が道具も無しに野獣から身を守れるわけも無いことぐらい子供にも解るだろうに。)
結局、肝心なところを省略された歴史本では、読んでも現在の意味すら解らなくなる上に、間違った答えを導くだけでしょう。
イザヤ・ベンダサンなら、愚者は自分が吐いた言葉に躓く、とでも言ったことでしょうか。(クソ、とか、フン、とか言うな!!)
奇しくも今年、小林秀雄賞選考委員二人(二人とも「反権力」がポーズの団塊世代でしたね)が相次いで亡くなりました。ご冥福を祈りますが、選考委員の死が、故アイリス・チャンを連想させたので、選考委員を思い浮かべながら、この本を読みました。
個人的には本書の前段が面白かったです。特に「人は歴史を誤用する」という部分は衝撃でした。歴史において安易に相関関係を描く事は戒めようと思いました。
結論から申し上げますと、この本にはその答えは書いていませんでした。
よって、星は一つマイナスで4個としました
それでも日本人は「戦争」を選んだ - J-Stage
(Adobe PDF)海軍の近代化思想. はそのまま明治政府に引き継がれる(『日本海. 軍史』15 頁) 。我々は幕末の徳川幕府は無能. であったという見方に陥りやすい。しかし、. 幕府は艦船の購入、人員 ..