吉本興業と霜降り明星・せいや、文春ネット記事めぐり東京地裁に提訴 損害賠償求める

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 21:45配信

スポーツ報知

吉本興業

 吉本興業は21日、文芸春秋に対し損害賠償を求め東京地裁に提訴したことを公式ホームページで発表した。

 文芸春秋が提供している「文春オンライン」が6月18日に配信した霜降り明星・せいやに関する記事の内容が「到底看過できない極めて悪質なもの」としてプライバシー侵害と名誉毀損(きそん)に当たるとしている。

 配信記事については、吉本はプライバシー侵害を理由として記事の削除を求める仮処分申請を東京地裁に申し立てていた。地裁の決定を待たずに10月18日に記事が削除されたため、21日に仮処分申請を取り下げたことも併せて発表した。

 以下、発表全文

 霜降り明星「せいや」に関する文春オンライン掲載記事についてのお知らせ

 株式会社文藝春秋(代表取締役:中部嘉人)が提供するオンラインサービス「文春オンライン」において2020年6月18日に配信された、当社所属タレントである霜降り明星「せいや」(以下、タレント)に関する記事(以下、本件記事)について、以下のとおり、お知らせいたします。

 本件タレントは、プライバシー侵害を理由として本件記事の削除を求める仮処分命令を東京地方裁判所に申し立てておりましたところ、10月18日、裁判所の決定を待たずに、本件記事は削除されるに至りましたことから、本日、仮処分申立ては取り下げました。

 これまで本件記事の拡散を防ぐ観点から、仮処分命令申立ての事実を公表しておりませんでしたが、この度本件記事が削除されるに至ったことに鑑みまして、皆様にご報告させていただきます。

 当社及び本件タレントとしては、本件記事は削除されたとはいえ、その内容は到底看過できない極めて悪質なものであり、本件タレントのプライバシー及び名誉を著しく毀損するものであることから、本日、東京地方裁判所に対して損害賠償請求等を求める訴訟を提起いたしました。

 本件タレントを支えてくださるファンの皆様及び関係各位には、大変ご心配をおかけしておりますが、引き続き同社の責任を追及してまいりたいと考えております。

 皆様、何卒、ご理解とご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

報知新聞社

 

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志村けんさん、15頭の競走馬を所有していた「千鳥」大悟は「知らない事実でした」

2020年10月22日 03時46分02秒 | 社会・文化・政治・経済

10/21(水) 8:45配信

スポーツ報知

「千鳥」の大悟と「アンタッチャブル」の柴田英嗣が20日深夜放送のMCを務めるフジテレビ系「志村友達」(火曜・深夜0時55分)に出演した。

【写真】鞍上は武豊!所有馬アイーンベルの走り

 この番組は、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎のため死去したコメディアンの志村けんさん(享年70)が生前、フジテレビ系の深夜帯で出演を続けてきた冠番組シリーズの新番組で志村さんは96年10月の「志村X」から20年3月に終了した「志村でナイト」まで17作品に出演。通算18作目となる「志村友達」は当初、志村さんが豪華ゲストとトークする内容の番組だったが、急な悲報で一度も収録は行われなかった。

 スタジオで志村さんにまつわる「志村けんクイズ」を実施。その中で「志村けんの所有馬ではないのは?」と5択の中からひとつを選ぶクイズが出題された。志村さんは15頭の競走馬を所有しており、賞金を獲得したのは5頭で最高が「アイーンベル」の665万円、残る10頭は獲得賞金は0円だったことが明かされた。

 これに大悟は「馬見る目はなかったんだ」と笑わせ「これは知らない事実でしたね」と明かした。柴田も「大損だったそうです」と笑わせていた。

 


競艇八百長事件、元選手に実刑判決…地裁「社会の信頼を著しく侵害」

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 14:21配信

読売新聞オンライン
 競艇での八百長を巡る贈収賄事件の判決が21日、名古屋地裁であり、西前征志裁判官は、モーターボート競走法違反(収賄など)に問われた元競艇選手の西川昌希被告(30)に懲役3年、追徴金3725万円(求刑・懲役4年、追徴金3725万円)の実刑判決を言い渡した。また、親戚で同法違反(贈賄など)と所得税法違反に問われた津市、会社員増川遵(じゅん)被告(53)に懲役3年、執行猶予5年、罰金1100万円(求刑・懲役3年、罰金1100万円)を言い渡した。

 判決によると、西川被告は昨年全国で行われた計20レースで故意に着順を遅らせる八百長をし、見返りに増川被告から総額3725万円の賄賂を受け取った。また、増川被告は18年までの3年間で競艇の払戻金など計約1億1300万円を隠し、所得税約3500万円を脱税した。

 判決で西前裁判官は「モーターボート競走の公正、社会の信頼を著しく侵害した」と指摘した。

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「日本一ヒット曲を生んだ男」の唯一無二の功績  作曲家・筒美京平

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 13:11配信

東洋経済オンライン

小泉今日子さんの『なんてったってアイドル』などを手がけた作曲家・筒美京平さんが亡くなられました。筒美京平さんの功績、その大きさと重さを考察します。 小泉今日子 1986年(写真:時事通信)

 作曲家・筒美京平が10月7日、誤えん性肺炎で死去した。80歳だった。

 音楽評論家として、氏の巨大な功績を追い続けてきた私だが、そんな私の予想を超えた大きさで、筒美京平の死は、取り扱われた。

しかし、一定の年齢以下の層や、意識的な音楽ファン以外の層にとって、筒美京平の功績は、非常にわかりにくいのではないだろうか。当の筒美京平自身が、徹底的に裏方に徹し、メディア露出や積極的な発言を好まなかったから、なおさらである。

 そこで今回は「月間エンタメ大賞」の特別編として、筒美京平の功績、その大きさと重さを、私なりに捉えてみたいと思う。

■小室哲哉をしのぐシングル売り上げ枚数

 筒美京平の功績を一言で言えば「ヒットシングルを量産し続けたこと」に尽きる。

 生涯で3000曲弱の作曲を手がけ、売りも売ったり、作曲家としての売り上げ枚数は7560万枚に上るという(オリコン調べ)。筒美京平に続くのは、作曲家・小室哲哉で7184万枚。筒美京平と僅差なのだが、筒美京平と小室哲哉では活躍した時代が異なる。小室哲哉が最盛期を迎えた90年代は、いわゆる「CDバブル」で、音楽ソフト市場が爆発した年だった。

 日本レコード協会によれば、音楽ソフトの生産金額がピークを迎えたのは1998年で6075億円。その前年1997年に、作曲家・小室哲哉の最高売り上げとなった安室奈美恵『CAN YOU CELEBRATE?』が230万枚を売り切っている。逆に、作曲家・筒美京平としての最高売り上げ枚数(124万枚)となったジュディ・オング『魅せられて』がリリースされた1979年は、1998年の半分以下、2626億円にとどまる市場規模だった。

 つまり小室哲哉の時代に比べて、まだまだ市場が小さかった時代において、小室を超えるヒットシングルを、ロングテールに積み重ねたということが、筒美京平のすごみなのである。

 では筒美京平は、どのような方法論でヒットシングルを生み出し続けたのか。

 方法論の本質は、その時代その時代における最新の音楽潮流を、筒美京平一流の鋭いアンテナでキャッチし続け、日本の「お茶の間」になじむように加工することだった。

 ロック時代に合わせた強いエイトビートをバックに、まるで小唄のような和風の歌い方を乗せて大ヒットした、いしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)。フォーク/ニューミュージック的なサウンドと、これまでの歌謡界には見られなかった型破りな歌詞が見事にマリアージュした、太田裕美『木綿のハンカチーフ』(1975年)。

当時、世界的に大流行し始めていたディスコサウンドを、抜群の歌唱力を持つ女性新人歌手の歌に導入して大ヒットとなった、岩崎宏美『ロマンス』(1975年)。エキゾティック・ブームを先取りした大胆なメロディーとアレンジで、作曲家・筒美京平の最高売り上げとなったジュディ・オング『魅せられて』(1979年)。

 と、どの曲も、当時最新の音楽動向を捉えつつ、それを見事に「お茶の間化」することで、大ヒットとなったのだ。筒美京平の才能の根幹は、この「お茶の間化力」だったと、つくづく思う。

■作詞家との柔軟なコラボで市場変化に立ち向かった

 さらには、その時々の有能な作詞家と刺激的にコラボレーションすることでエネルギーを得ながら、音楽市場の変化と戦い続けたことも、ヒットシングル量産の大きな要因と思う。

 先のいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』を作詞したのは橋本淳。筒美京平を作曲の世界に導いたキーパーソンであり、筒美とコラボした楽曲数は500曲を超えるという。橋本×筒美が生んだ、高度経済成長期に合うバタ臭い音楽性は、初期・筒美京平のブレイクに大きく寄与した。

 筒美京平の「第1期黄金時代」とも言える1971年に日本レコード大賞を獲得した尾崎紀世彦『また逢う日まで』や、岩崎宏美『ロマンス』でコラボした作詞家は阿久悠。高度経済成長から、オイルショック、低成長時代へと移っていく中で、厳しい時代を生き抜く、自立した女性のイメージが残る作品群が印象的である。

 70年代後半からの、主にフォーク/ニューミュージックの市場を攻略する局面でのパートナーが、伝説のロックバンド=はっぴいえんど出身の作詞家、松本隆だった。都会的で個性的な筆致を武器に、太田裕美『木綿のハンカチーフ』から、桑名正博『哀愁トゥナイト』(1977年)を経て、近藤真彦『スニーカーぶる~す』(1980年)前後の「第2期黄金時代」を、筒美と共創することとなる。

 80年代になって、筒美京平のそばに現れるのが秋元康。コラボした曲は案外多く約100曲にのぼるという。稲垣潤一『ドラマティック・レイン』(1982年)がコラボの端緒となり、80年代特有の軽薄短小な気分に合わせて、アイドルがアイドルを対象化する小泉今日子『なんてったってアイドル』(1985年)も、このコンビの作品だった。

 以上に見られるように、その時代その時代で、最も勢いのある作詞家と果敢にタッグを組み続けた、逆に言えば、旬の作詞家とコラボし続けられる柔軟性を持っていたことも、筒美京平がヒットシングルを量産し続けられた大きな要因だと考えるのだ。

 少しばかり教科書的に、筒美京平の功績をひもといてみたが、ここまでを読んでも、作曲家・筒美京平の真の功績や価値は、十分に伝わらないのではないかと懸念する。とくに80年代、『スニーカーぶる~す』以降、筒美京平が名実ともに「王道」となった中で、幼少時代を過ごした40代の人々にとっては。

 逆に90年代以降の、主に「渋谷系」ムーヴメントにおいて、小沢健二やピチカート・ファイヴとのコラボに象徴される「筒美京平リスペクト」の気運を知っている30代の方々には、もろもろが違和感なく伝わっているのかもしれないのだが。

 私は80年代に青春時代を過ごした口だが、70年代の筒美京平作品も、子どもながらにリアルタイムで聴いていた世代でもある(54歳)。その世代感覚から思うのは、1979年=『魅せられて』までの作品群のほうに、ひきつけられる度合いが強いということだ。言い換えれば、1979年と1980年の間、『魅せられて』と『スニーカーぶる~す』の間あたりに「筒美京平フォッサマグナ」があるということ。

 確かに80年代以降にも、好きな筒美京平作品は山ほどある(小泉今日子『夜明けのMEW』など)。ただ、筒美京平作品が、音楽シーンの中で、明らかに斬新だった、まだまだ異端だったのは、筒美が40代になる前に生み出した1979年までの作品群だったと思うのだ。

 このあたりは意見が分かれるところかもしれないが、まだ未聴の方がいるならば、まずは本稿で述べた60~70年代の筒美京平作品に耳を澄ませ、「お茶の間化力」を駆使しながら、キレッキレの作詞家との刺激的なコラボの中で、斬新でハイカラなヒット曲を量産し続けた筒美の本領を感じてほしいと思う。

■今後現れることのない無二の作曲家

 ビーチ・ボーイズに『ペット・サウンズ』(1966年)という独創的な傑作アルバムがある。山下達郎は、そのライナーノーツにこう書いている。

『ペット・サウンズ』のような響きを持ったアルバムは、あらゆる意味でたった1枚きりであり、このような響きは今後も決して現れることはない。それゆえにこのアルバムは異端であり、ゆえに悲しい程美しい。
 筒美京平を強くリスペクトする山下達郎のこの文章になぞらえながら、筒美に対する私の思いを記して、本稿を終わりたい。

 ――筒美京平作品のような響きを生み出せる作曲家は、あらゆる意味でたった1人きりであり、あのような響きは今後も決して現れることはない。それゆえに筒美京平作品は、一見王道に見えて、でも、だからこそ異端であり、ゆえに悲しい程美しい。

スージー鈴木 :評論家

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「女性を刺した、死にたい」妻に言い残し、男は自殺…“散々家庭でもめた”末に 群馬・30歳女性刺殺

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 18:54配信

FNNプライムオンライン

群馬・高崎市で、新潟県の会社員・大沢佳那子さんが車の中で刺されて死亡した事件。

自殺したとみられる36歳の男は、事件後いったん自宅に戻り、妻に「女性を刺してしまった。死にたい」と言い残していたことがわかった。

事件の夜、男が妻に言い残したことは

死亡した男の妻:
いつもと全然様子が違って、何かやらかしたんじゃないかと感じ取れるような

--事件が起きた日は戻らなかった?
死亡した男の妻:
はい、そうです。「またか」という感じでした。外泊が多いです。
誰と会っているか、それも承知しておりました。

--誰というのは特定の人?
死亡した男の妻:
そうですね。被害にあわれた方と会っていたと思います…具体的に言ってくるわけではないけど、なんとなく分かりますよね。
もう散々もめて、私たちの家庭も大変で、女性の関係でとても大変な時期を過ごしたので、今更もめるとかそういう段階でもなく

被害者は男の暴力など警察に相談
警察は10月21日午後、男が妻と2人の子供の4人で暮らしていた自宅の家宅捜索を行った。

同じグループの会社に勤務していた男と大沢さん。
2020年6月以降、大沢さんは男にホテルで殴られたなどと新潟県警に計4回相談していた。

警察は大沢さんとの交際関係のもつれから、男が犯行に及んだとみている。

母親「普通に生活していると…」
男の母親が取材に応じ、息子と殺された大沢さんとの関係について話した。

--女性問題はいつ聞いた?
死亡した男の母親:
お嫁さんの方から聞いたのは、(2019年の)10月だったと思います。「そちらとは別れる」「家庭を続けていく」という話に落ち着いたということを最終的には聞いて、(以降は)普通に生活していると思っていたので…今回この事件が起きたときに、被害者の方がその方とは思わなかった

千葉県内の宿泊施設で自殺したとみられる36歳の男。
警察は容疑が固まり次第、被疑者死亡のまま殺人の疑いで書類送検する方針だ。

(「イット!」10月21日放送)

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死亡宣告後に葬儀場で“生き返った”女性、2カ月後に死去

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 17:45配信

女性自身

20歳のティメーシャさんにはもともと脳性麻痺があった。

今年8月、米ミシガン州デトロイトでティメーシャ・ボーシャンプさんという女性が死亡宣告後に生き返ったニュースが話題となった。しかしそれから約2カ月後の今月18日、ついに彼女は帰らぬ人となってしまった。NBC Newsなどが報じている。

20歳のティメーシャさんにはもともと脳性麻痺があった。8月23日に深刻な呼吸困難を起こしたため、家族が911に通報。駆けつけた救急隊員が30分間にわたり心肺蘇生を試みるも反応が認められず、これを電話で医師に報告すると、医師はリモートで彼女の死亡を宣告したという。家族が悲しみに暮れる中、ティメーシャさんは遺体袋に入れられ、葬儀場へと運ばれた。防腐処理をするため、葬儀場スタッフが遺体袋を開けたところ、彼女は目を開け、呼吸もしていた。ティメーシャさんの奇跡的な生還を家族は大いに喜んだが、彼女の意識が回復することはなく、18日に病院で息を引き取った。

遺族は「最愛の娘の死に打ちのめされています。ティメーシャが死を宣告されるのはこれで2回目ですが、今回はもう彼女は帰ってきません」との声明を発表。

ボーシャンプ家は現在、サウスフィールド市と4人のファーストレスポンダーを相手取り、5000万ドルの連邦訴訟を起こしている。救急隊員が誤って死亡を宣告したために、脳へ酸素を供給する措置が遅れ、致命的な脳損傷を引き起こしたとの主張だ。代理人は話題性の高い事件を数多く手がけ、医療過誤にも強い有名弁護士ジェフリー・ファイガーが務めている。ちなみに、ファイガーは「マイ・シャローナ」で知られるザ・ナックのフロントマン、故ダグ・ファイガーの実兄である。

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俳優死去の報道、自殺増に影響か 対策団体が分析

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 19:26配信

共同通信
 一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」は21日、1~8月の自殺者数の動向を分析した中間報告を公表した。昨年比で7月以降増加したのは、人気俳優の死去報道が影響した可能性が高いとした。来年3月に確定値を基にした分析結果を公表する方針。

 警察庁の統計(速報値)をみると、1~6月の月ごとの自殺者数は前年同月比で最大17.7%減少。逆に7~9月は最大15.7%増加している。

 センターが7月の動向を日別に分析した結果、17日までは前年と比べて少なかったが俳優故三浦春馬さんの死去が報じられた18日以降増加。報道から1週間は前年同期間や前1週間と比べ多かった。

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大阪高裁、異例の判決言い直し 刑期の差し引き換算誤る

2020年10月22日 03時46分02秒 | 事件・事故

10/21(水) 20:58配信

朝日新聞デジタル

大阪高裁が入る庁舎

 大阪高裁で14日にあった覚醒剤取締法違反事件の判決公判で、裁判長が被告に対し、刑期から差し引かれる日数を誤って100日分多く言い渡していたことが、高裁への取材でわかった。検察官が直後に間違いの可能性を指摘し、公判は中断。21日に改めて判決公判が開かれ、正確な日数が言い渡された。

 弁護人によると、判決の言い直しは異例。

 この公判は、大阪地裁で3月、覚醒剤取締法違反罪で懲役2年10カ月の判決を受けた30代男性の控訴審。

 判決確定までに拘置所などで身体的に拘束されていた期間を「未決勾留日数」と呼び、刑法では「全部または一部を刑期に算入できる」と定めている。

 男性裁判長は14日の判決で、被告に控訴棄却を言い渡し、一審判決で未決勾留日数と判断された240日分に、控訴審の130日分を加えた計370日分を刑期(2年10カ月)から差し引くと告げた。直後に検察官が「差し引かれる日数が多すぎるのでは」と指摘。裁判長は閉廷を宣言する前に判決を撤回し、日数を精査した上で21日に判決を言い直すことになった。

 弁護人によると、被告は別の薬物事件で「一部執行猶予」の有罪判決を2017年5月に受けたが、今回の一審判決後に執行猶予が取り消され、今年5月から服役した。

 服役期間は未決勾留日数に加算されないが、裁判長は21日の公判で「執行猶予取り消しの通知が届いていなかった」と説明。刑期から差し引かれるのは正しくは270日分だったと判決を言い直して閉廷した。

 判決は、裁判官が閉廷を宣言しない限り言い直すことができる。ただ、いったん閉廷してしまえば修正できず、上級審で再度言い渡すことになるという。(古田寛也)

朝日新聞社

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iPSがん治療 国内初の移植実施 千葉大など免疫細胞利用

2020年10月22日 03時46分02秒 | 医科・歯科・介護

10/22(木) 0:02配信

産経新聞

iPS細胞から作った免疫細胞によるがん治療の治験

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作製した「NK(ナチュラルキラー)T細胞」という免疫細胞をがん患者に移植する世界初の治験について、千葉大と理化学研究所の研究チームが移植手術を実施したことが21日、分かった。手術は成功したという。iPS細胞を使った再生医療の研究でがん患者に移植手術を行ったのは国内で初めて。

【写真】顕微鏡でみるiPS細胞

 移植手術は口やのどなどの「頭頸部(とうけいぶ)」にがんができ、抗がん剤などの効果がない患者に14日、千葉大付属病院で実施した。リンパ球の一種で、がん細胞を攻撃する働きを持つNKT細胞を健常者から採取しiPS細胞を作製。ここから再びNKT細胞を作って大量に培養し、患部に移植した。

 計3回移植し、安全性や有効性を2年間確かめる。本橋新一郎・千葉大教授は「安全性の確認を第一に進め、新しい治療法を早く患者に届けたい」と話した。

 頭頸部がんは鼻や口、のどなどにできるがんの総称で、国内患者は推定で数万人。NKT細胞を患者から採取して増やし、体内に戻す治療法もあるが、この細胞は体内にわずかしかなく増やすのに時間もかかる。iPS細胞を使えば十分な量で迅速に治療できる。

 NKT細胞はT細胞などに続く「第四のリンパ球」と呼ばれ、理研チームが昭和61年に発見した。多くの免疫細胞が司令塔役の細胞の指示で異物を攻撃するのに対し、指示なしで攻撃。他の免疫細胞を活発化させる働きも強く、高い治療効果が期待されている。

 千葉大などは今年5月、国の審査機関である医薬品医療機器総合機構(PMDA)に治験の実施を届け出て認められていた。計4~18人に移植を予定している。

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携帯乗り換え後もメールアドレス維持へ 総務省が要請、値下げ狙い

2020年10月22日 03時35分13秒 | 社会・文化・政治・経済

10/21(水) 20:46配信

共同通信

携帯電話の利用者が、付与されたメールアドレスを電話会社の乗り換え後もそのまま使えるよう、総務省が大手各社に要請する方針であることが21日分かった。契約先を変更するハードルを下げることで競争を活性化させ、料金の引き下げにつなげる狙い。同省は競争促進に向けた政策を取りまとめており、来週にも発表する見通しだ。

 NTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクでは、電話番号は乗り換え時に持ち運べるが、割り当てられたメールアドレスは使えなくなるため、契約先の変更をためらう要因の一つと指摘されている。

 総務省は、乗り換え先でも変更せずに使えるようにするなどの対応を促す。

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