愛した彼女は、娼婦だった。
それは信じがたい事実であり、真田浩介はその事実に大きく打ちのめされてしまう。
「私のバックの中、絶対、見てはダメよ」赤坂の喫茶店のアメミヤのトイレに立つ際に
木村有紀子が念を押す。
「君のバックを勝手に開ける?そんな卑しい男ではない」と浩介は言いたかったが、沈黙した。
50代の想われる西洋人の男が、トイレから出てきた有紀子に身を寄せるようにして声をかけていた。
「ノー」と強い口調で彼女は相手の身を交わすようにした。
「困るのよね。勘違いされて・・・」座席に戻った有紀子は、不機嫌なままだった。
魅惑的な笑顔は戻らなかった。
「今夜、マンションに来る?」
「明日、神戸へ行くので」
「そうなの。帰りましょう。今日は送ってくれなくていいわ」
有紀子の水玉模様のミニスカートが赤坂の地下鉄の通気口で翻ったので、浩介はマリリンモンローの映像を想い浮かべた。
オードリーファンの有紀子は映画「ローマの休日」のオードリーと同じヘアースタイルをしていた。
浩介がマンションに泊っても、有紀子は身を許すことはなかった。
「私は貴方を知りたくない。知ったら私から離れていくから、今の関係のような男女の友情があるのよ。貴方を心から信じているわ。分かってね」懇願するようで、甘く鼻にかかった柔らかい口調は、何かを暗示するようであった。
「手つなぐと安心する」眠る前に有紀子は浩介の手を取った。
神戸から戻った浩介は、崇拝した漱石のモラルバックボーン(道徳的支柱)からの離脱する決意をしていた。
実は浩介は25歳まで守っていた童貞を神戸の街で捨てていたのだ。
相手の若い女は行きずりである。
駅ビルの丸い円柱に背をもたれるよいうにしていた少女と視線があった。
15歳で自殺した妹に面影が似ていた。
「遊んでくれへん?」と声をかけてきたので、浩介は戸惑った。
「ダメ、今日は、東京へ帰るから」
「ねえ、お願い。少し時間あるでしょ」女は浩介の腕を抱える。
豊かな乳房がセーター越しに伝わってきて、浩介の下半身反応し始めた。
慣れているのだろう、女が先に立って和風ホテル浩介を誘導する。
休憩3000円、泊り8000円を横目に自動ドアーの中へ。
料金を払うと部屋のキーを握った女に2階の部屋へ導かれた。
「ゆっくりと座っていてね」浩介が東京の人間を知って、女は関西弁ではなくなる。
女は風呂場へ向かう。
浴槽に湯が入る間、二人は冷蔵庫からビールを出して飲むことに。
「私、未成年だから一口だけ」
「ええ!未成年、それはまずいな」
「いいのよ。気にしないで。汚れた女よ」若いと思っていたが、まだ18歳だったのだ。
「身の上話は野暮ね!」自らマドカと名乗ってから、重く口を閉ざした。
「彼女いるんでしょ?」
「いないんだ」
「ウソ!若いのに」
風呂上がりのマドカを抱くと見破られた。
「あなた、初めての経験じゃないの」
屈辱で、浩介は沈黙した。
「そうなんだ。教えておげる」最後までマドカにリードされる。
「神戸に来たら、連絡してね」別れ際にマドカからメモを渡される。
浩介は新神戸駅ホームのごみ箱にメモを棄てた。
ホテル街の外れの古本屋でチェーホフの短編集を見つけた。
新幹線内で読み続けたチェーホフの短編集に刺激されていた。
浩介は崇拝した漱石のモラルバックボーン(道徳的支柱)からの離脱を想った。
明治期の文学者、夏目漱石の随想。
初出は「東京朝日新聞」[1911(明治44)年]。同年2月漱石は文学博士に推薦されたが、文部省宛に辞退の手紙を書いた。その手紙が新聞に掲載されたあとに、20年ぶりに恩師マードック先生から書簡が届く。「真率に余の学位辞退を喜」び、「今回の事は君がモラル・バックボーンを有している証拠になるから目出たい」と書かれていた。国家権力へのささやかな抵抗である。
参考
チェーホフの魅力とは何ですか
質問者:kos_kos質問日時:2007/03/11 13:14回答数:8件
ロシア文学のチェーホフの素晴らしさって何なのでしょうか。
とても惹かれる作家ではあるのですが、何をもって評価されているのか、また、どういう視点で読んだらよいのかがわかりません。
ロシア文学というと難しい感じがするのですが、学生時代(随分前ですが。。。)にロンドンのバービカンシアターというところで、「三人姉妹」の舞台をみたときには、お客がいたるところでゲラゲラ笑っていたのが印象的でした。
日本では、チェーホフというと「お勉強」という感じで、芝居を観てもこうはいかないよなあと思ったものです。
実は、チェーホフって、何かユーモラスなところとかがあって、そこが魅力的なのかなとも考えました。
チェーホフの魅力や読み方について教えていただける方、また、「チェーホフは嫌い」という方でも、いろんな方のご意見を伺いたいです。ご回答をお待ちしています。
回答 (8件)
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No.4ベストアンサー
回答者: noname#118935 回答日時:2007/03/11 18:43
よくご存知なのに、知らないふりの、そんな気のする質問ではあります。
チェーホフはもともとユーモア雑誌にチェホンテという名で作品をのせていました。
ロンドンっ子もげらげら笑うんですね。ロシア人だけかと思ってたので興味ぶかいです。
興味ぶかいといえば、ハービカンシアターでは笑えましたか。
もし語学力に問題がなくて、笑えなかったのなら、笑いの起きない日本の舞台も、翻訳の問題ではなく、文化のちがいからくる感性のちがいなのでしょうか。
それにしてもふしぎですね。どこが魅力かわからないのに、とても惹かれる作家だなんて。
三浦哲郎も、「最初はとくにどこがいいのか、わからなかった。好きになったのは神西清の訳文が好きだったからかも」ということだそうですが、こちらは最初から、戯曲以外の全作品に吸い込まれてしまった口です。
絵や音楽とおなじに理屈ぬきにひとつの作品に魅了され、そこから、べつの作品にも興味をそそられてという順序で、わたしにとってのひとつの作品は、「ワーニカ」でした。
この小編をきっかけに、あとはむさぼるようにチェーホフ全集(中央公論)を読みすすみました。これを読み終えるともうチェーホフの作品は読むものがないんだと、最後の一巻がさびしかった。
チェーホフのなによりの魅力は、描く人間に親しみと共感を覚えることです。ひょっとすると、人間嫌いでもチェーホフの描く人間には愛情を覚えるかもしれない。そして、そこから人間嫌いが癒されていくこともあるのではないか、と思ったりもします。
それに自然の描写も無類にみずみずしくて、景色の中にじっさいいるような気持ちにさせられ、そこに話が展開するんですから、臨場感があって、小説を読みながら芝居を見てるんでしょうね。
チェーホフと出会えてラッキーでした。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
>よくご存知なのに、知らないふりの、そんな気のする質問ではあります。
いえいえ、本当に知らないんです。
自分の質問を後から読み返してみて、妙に文学に詳しい人だという印象を与えてしまうんじゃないかなと思って心配していました。
バービカンシアターも、たまたま旅行にいって、ミュージカルとかオペラを沢山観たのですが(安い席で)ストレートプレイも観ないとな、と思ったので頑張ってみました、という感じです。
日本で調べてみたら、たまたま「三人姉妹」をやることがわかって、これなら文庫本読んでいけばわかりそうと思って観たのです。
特に文学好きというわけでもありません。
ミュージカルやオペラの方がずっと好きで、文学に傾倒する人の気持ちがわからないなあという感じもしています。
どこがそんなにおもしろいんだろう、と。
しかし、チェーホフはなんとなく好きで、深く理解できたらもっと好きになるかもと、ずっと昔から思っていたのです。
>興味ぶかいといえば、ハービカンシアターでは笑えましたか。
英語も全然わからなくて、自慢じゃないですが、もちろん笑えませんでした。
ご回答参考になります。
確かに描く人間に親しみや共感覚えますよね。
自然の描写ももっと味わってみたいと思います。
ありがとうございました。
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お礼日時:2007/03/12 08:54
No.8
回答者: nico-robin 回答日時:2007/03/16 09:10
こんにちは。
No.5 からの補足回答です。
村上さんのどのエッセイにチェーホフについての言及が出てくるか、
というご質問ですが、残念ながら、
私もはっきりとは覚えていません。
村上さんの著作はほぼすべて読んでいますが、
読者との電子メールをやりとりした3冊の本の中ではなかったかと思います。
kos_kos さんはお読みになりましたか?
村上さんのお人柄が滲み出ている本で、
もともと村上さんの本がお好きであれば、惚れ直すと思いますよ。
『そうだ、村上さんに聞いてみよう』
『これだけは、村上さんに言っておこう』
『ひとつ、村上さんでやってみるか』
以上の3冊です。
読んで損はしません。
チャオ。
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この回答へのお礼
再登場ありがとうございます。
>読者との電子メールをやりとりした3冊の本の中ではなかったかと思います。
>kos_kos さんはお読みになりましたか?
いやあ、まだ読んでないんですよ。でも是非読みます。
前から気になっていた本でした。
チェーホフについて書かれているなら、なおさらです。
私が今までに読んでいて好きな村上さんのエッセイは、
『村上朝日堂』
『村上朝日堂の逆襲』
『遠い太鼓』
という感じです。どれも古い!!
何度も繰り返して読んでます。
あと最初に出会った村上作品は、「中国行きのスロウボート」です。
文学好きではなかったのですが、この短編集は友人に薦められて、とりあえず読んでみたら、本当に素晴らしかった。
チェーホフの話が村上春樹さんの話になってしまいました。
でも、チェーホフ好きの現代作家としては筆頭にあげられるような方のようなので、よいでしょうかね(笑)
チャオチャオ。
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お礼日時:2007/03/17 02:28
No.7
回答者: El-Alma 回答日時:2007/03/16 02:08
チェーホフの魅力は、作品に於ける安定感だと思います。
どの作品も、ロシアの実社会を写実的に描く中に、
人間や社会に対する毒を適度に注入しています。
また、チェーホフの作品は、全体として、トルストイの影響が多分にあると思います。トルストイが短編を書いたら、こんな感じかな、と思います(特に『犬を連れた奥さん』など。)
しかしまあ、やはりどの作品もいたって安定感があり、ペイジ数も短いので、安心してゆったりと読める作家です。『谷間』などの、感慨深い作品と共に、『イオーヌイチ』などの、コメディー調の強い作品も魅力です。
ただ、ドストエフスキーなどが好きな人には、ややもすれば毒気が足りない、などと思われる方もいるかとは思いますが、ロシア文学の入り口として、誰にでも取っ付き易い作家であることは間違いありません。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
>チェーホフの魅力は、作品に於ける安定感だと思います。
安定感ですか。考えたことなかったです。
>人間や社会に対する毒を適度に注入しています。
これは、なんとなくわかります。
安心して読める、という感覚は確かにありますね。
自分がチェーホフに惹かれたのも、「短い」というのは確かにありました(笑)。
短い時間で確実に楽しめる良質のエンターテイメントという感じでしょうかね。
誰にでもとっつきやすくて、しかも奥が深い、そういうところが大きな魅力となっているんだと思います。
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お礼日時:2007/03/17 02:05
No.6
回答者: tabataba3 回答日時:2007/03/15 21:47
ほとんど参考にならないとは思いますが、
わたしもNo.4の方と同じで、チェーホフ全集を読んで最後の一巻を読み終えて悲しくなった経験があり、なつかしく思い、書かせていただきます。
高校生の時でした。何の予備知識もなく、星新一のような感覚で読んでいました。短編としてとてもよく出来ていて、一つひとつの話がとても面白かったという記憶があります。ロシアの華麗な貴族社会の世界を楽しんだ面もあります。形而上学的なところがないので、軽い読み物という感じが当時はしていました。
ただ、感受性の強い頃にチェーホフに浸ったせいか、厭世的でシニカルな面に影響されてしまったような気もします。ユーモアは感じられたけれども、笑った覚えはないですね。ロシア人とは笑いのツボが違うのかもしれません。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
>ただ、感受性の強い頃にチェーホフに浸ったせいか、厭世的でシニカルな面に影響されてしまったような気もします。
そうそう、チェーホフって「厭世的でシニカル」という感じがしていました。
だから、ロンドンの芝居で笑いが多かったのが意外だったんです。
「厭世的でシニカル」といわれたとき、村上春樹を思い出しました。
そう思うと、チェーホフと村上さんは共通点多いかもしれません。
私も村上さんの厭世的でシニカルな面に影響されてしまったような気がしてます。
実は、「チェーホフの魅力」について私がすごく気になっている理由がもうひとつあるんです。
4年くらい前の年末だったと思うんですが、NHKか教育テレビで、中村獅童がチェーホフの魅力を紹介した番組があったんです。
それを観ていたんですが、途中で電話がかかったりして観れなくて、最後に中村獅童の「私もチェーホフの魅力がわかってきたような気がしてきました」とかいうフレーズで番組が終わってしまい、そこだけ観て、「なんだよ俺はわかんないままだよ」とすごく悔しい思いをしたことがあるんです。
どなたか観ていませんでしたかね?
>ほとんど参考にならないとは思いますが、
とんでもないです。非常に参考になりました。
もっといろんな意見をお聞きしたいです。
ありがとうございました。
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お礼日時:2007/03/16 12:55
No.5
回答者: nico-robin 回答日時:2007/03/13 11:54
こんにちは。
私はあまりチェーホフは読んでいませんので、
村上春樹さんにバトン・タッチ。
村上さんのエッセイを読んでいると、
ドストエフスキーとチェーホフへの言及がよく出てきます。
そして、その魅力が端的に語られています。
あまりの説得力に、思わず読みたくなってしまうほど。
私もドストエフスキーはとても好きなんですが、
チェーホフについては、まあそのうち・・・・・・といった段階です。
というわけで、気が向いたら村上さんのエッセイをどうぞ。
龍さんではなく、春樹さんですからね。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございました。
>村上さんのエッセイを読んでいると、
>ドストエフスキーとチェーホフへの言及がよく出てきます。
村上春樹さんは私の数少ない「好きな作家」の一人です。
ただ学生時代(昔々)はよく読んだんですが、最近は全然読んでません。
エッセイも結構読みましたが、チェーホフの記述は記憶がないです。
どのエッセイにチェーホフについての言及があるか教えていただけませんか?
教えていただけると大変ありがたいです。
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お礼日時:2007/03/14 00:45
No.3
回答者: ANASTASIAK 回答日時:2007/03/11 16:19
私は短編がすきですが、劇においても、チェーホフは現在と
いうものを描いた作家です。そこがゴーリキーなどとちがう
ところ。ゴーリキーは明日のために現在を捨てていったが、
チェーホフは現在を描いて移ろいやすい現在こそ人々の真
実の永遠だとした作家。それが現代にあってチェーホフの
作品を読む我々に共感をもたせるゆえんだと思いますね。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございました。
>チェーホフは現在を描いて移ろいやすい現在こそ人々の真
>実の永遠だとした作家。
なるほど、そういう視点でみると当時としては特異な作家になるんですかね。そして今でも十分読み応えがあると、何か少しわかってきた感じがします。ありがとうございます。参考になりました。
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お礼日時:2007/03/12 08:38
No.2
回答者: makopun2 回答日時:2007/03/11 13:26
チェーホフにあまり詳しくないのですが・・・・
「繊細さ」? 「情緒性」?
日本人好みなのだと思います。
チェーホフの影響を受けたといわれる作家、マンスフィールド、太宰などが大好きです。
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この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
>「繊細さ」? 「情緒性」?
>日本人好みなのだと思います。
確かに私もそんな風に感じます。
でも、イギリス人も相当気に入っている様子でした。
イギリス人と日本人は似ているのかもしれません。
アメリカ人はどうでしょうね。。。
ちなみにロンドンで舞台を観たといっても、私は英語に堪能なわけではないので、微妙な言葉のニュアンスとかで笑っていたかどうかはわかりません。
日本から文庫本を持っていて、内容を頭に入れておいてから観れば少しは理解できるかなと、そういう感じで観ました。
それでみんな沢山笑うんで、「どこで笑ってんだろう」「笑うとこないだろ」って思ったのを覚えています。
きっと、「繊細」とか「情緒」とか、そういう部分を理解していないと笑えない「笑い」だろうなと思います。
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お礼日時:2007/03/11 15:52
No.1
回答者: Hell_Cat_999 回答日時:2007/03/11 13:17