▽「誰の、どんな人の生命も等しく尊い」
全ての人に生存の権利がある。
人の命を脅かすのは<生命の魔性>である。
つまり、自分の利益や自分を守るために他者を犠牲にしてもいいという命の働きなのだ。
▽世の中は不公平だから、正義の人は不当な非難を受ける。
「社会が正視眼にならない限り」正義の人は理解され難い。
▽「人間の安全保障」こそが、世界平和と安全保障を実現するための唯一の道なのだ。
▽核兵器がなくならない背景には、核兵器使用の危険と、その計りしれない非人道的影響への理解不足がある。
「核抑止」という考え方は、実に不安定であり、軍備競争を招きやすく、人類滅亡へ向かう偶発的な核戦争をもたらしかけない。
▽原点を持つ人は強い。
▽感染症を題材にした文学作品には、人間の生き方や信仰者のあるべき姿を教えるものがある。
▽「不当な利得をむさぼること」(自分の分け前より多くをもつこと、過度)こそ、身体のなかに現れなら<病気>と呼ばれ、季節や年月のなかに現れるなら<疫病>と呼ばれる-プラトン
▽「生きることはどのようなことか」
老いは「人生の折り目」であり「道を折れることで、初めて人生の物語が始ります」
哲学者・船木亨著「死の病と生の哲学」。
▽「私はまだ人間について理解が未熟すぎて、長い目で見れば、楽に生きられる人なんて誰もいないし、自分もまた例外ではい、ということがわかっていなかった。
「引き裂かれた世界の文学案内」都甲幸治著
▽「危機の時代」に生きる人間は、事態をよりよい方向へ打開し、今を<偉業の行われる時代>に転じ、<黄金の時代の先駆者>となるのだ-歴史学者・トインビー
10/24(土) 6:01配信
現代ビジネス
異例の人事
「こんな細かい人事に介入するのは、歴代の総理でも初めて。安倍前総理も『そこまでしなくてもいいのに』と漏らしている」(官邸スタッフ)
【写真】エリート・安倍晋三が「庶民・菅義偉」にハメられ完敗した全内幕
前の官房長官秘書官4人を首相秘書官に横滑りさせる、親しい記者で元共同通信社編集委員の柿崎明二氏を総理補佐官に就けるなど、就任早々異例の人事を繰り出している菅義偉総理。
中でも霞が関と官邸関係者を驚かせたのが、首相秘書官室の事務仕事を担う女性職員を交代させたことだ。
「首相秘書官室の女性職員は、電話応対、来客へのお茶出しなど雑務全般をこなすほか、番記者とのやりとりも担当する。
総理が交代しても勤務を続けるのが通例で、官邸に出入りする様々な立場の人と知り合うので、いつしか『女主人』のようになる人も多い」(前出と別の官邸スタッフ)
この9月まで、内閣府出身の女性職員二人がこの任に当たっていた。ところが、菅総理はいきなりその二人をクビに。
入れ替わりで登用した新任者のうち一人は、官房長官室で自らに仕えてきた女性職員だった。内閣府幹部は「こちらの人材育成計画もあるのに、あまりに身勝手だ」と憤る。
不可解な人事の裏には何があるのか。冒頭の官邸スタッフはこう言う。
「菅総理は、安倍政権で自分が対立してきた今井尚哉・前政務秘書官と前任の女性職員が、今も連絡を取り合っているのではないかと疑って『飛ばした』と言われています」
手にする権力が大きくなるほど、猜疑心もまた膨らんでゆく。
『週刊現代』2020年10月17日号より
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10/21(水) 23:27配信
ABEMA TIMES
将棋の藤井聡太二冠(18)が10月21日、順位戦B級2組6回戦で村山慈明七段(36)に勝利、同級での今期成績を負けなしの5連勝とし単独トップに立った。大活躍の夏から一転、秋に入って黒星が先行していた藤井二冠は、過去0勝1敗だった村山七段に、戦法としても苦戦が続いていた「横歩取り」の出だしから、時間をじっくりかけて大きな1勝。最年少名人記録に必須の1期抜けに向けて、全10局の半分を無傷で折り返した。
【動画】無傷の5連勝を遂げた一局
最年少でタイトルを2つ獲得、八段に昇段も果たすなど「藤井フィーバー」再来と言われる大活躍を見せていた藤井二冠だが、9月に入って豊島将之竜王(叡王、30)、羽生善治九段(50)の2人に計3敗。過去3年連続で8割を超えていた年度勝率も、久々に7割台に落ちていた。
横歩取りの出だしから、両者とも時間を使って進めた一局は、対局開始から12時間経過した午後10時を過ぎても、まだ中盤の探り合いといった持久戦に。両者の持ち時間が10分を切ったところから、戦いが激化。少しずつリードを積み重ねていた藤井二冠が、最終盤は一気に突き放した。
対局後、藤井二冠は「横歩取りから力戦模様になったんですが、駒があまり前に出にくい将棋なので、どうバランスを取ればいいかわからなかったです」と振り返ると、5連勝で単独首位に立ったことについて「いい形で前半を終えることができたので、一局一局全力を尽くしていきたいです」と、今後の抱負を語った。
藤井二冠には、最年少での名人獲得の可能性が残されている。現記録保持者は谷川浩司九段(58)が持つ21歳2カ月で、これを更新するにはB級2組、B級1組を1期抜けし、初のA級で挑戦権を獲得、さらに名人戦で奪取する必要がある。
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10/23(金) 21:44配信
産経新聞
男性が転落し、女性に衝突した大阪・梅田の現場周辺=23日午後7時48分、大阪市北区(永田直也撮影)
大阪・キタの中心地にある商業施設「HEP FIVE(ヘップファイブ)」(大阪市北区)で23日夕、男性が転落して下にいた女性に直撃した。意識不明の重体で搬送された2人のうち男性は死亡。大勢の人でにぎわう金曜日の繁華街に悲鳴が響き渡り、周辺は騒然となった。
23日午後5時50分ごろ、JR大阪駅近くの赤い観覧車がシンボルマークの商業施設周辺に、ドーンという大きな衝撃音が響き渡った。直後に「キャー」という悲鳴が続き、何人もの通行人や買い物客が耳を塞ぎながら、施設内に逃げ込んだ。中には涙を流す人もいた。現場は、規制線が張られて施設内への立ち入りができなくなり、大阪府警の警察官が慌ただしく出入りしていた。
施設内の洋服店に勤務する20代の女性は「衝撃音はとにかく大きく、重たかった」と振り返り、「一歩間違えれば、自分も巻き込まれたかもしれない」と表情をこわばらせた。
周辺は居酒屋などが軒を連ねる商店街が広がり、深夜まで通行量が多い。その中でもヘップファイブは待ち合わせ場所としても知られる。大阪市北区の60代の女性会社員も「都会の真ん中でこんなことが起きるなんて怖い」と言葉を失っていた。
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10/23(金) 13:00配信
朝日新聞デジタル
佐賀県警本部
福岡県太宰府市で昨年10月、女性が暴行されて死亡し、遺体が遺棄された事件で、女性の家族が事件前、佐賀県警に複数回、女性の身の危険について相談していたことが捜査関係者への取材でわかった。佐賀県警は事件化せず、女性はその後、事件に巻き込まれた。佐賀県警は23日、当時の対応に問題がなかったか調査していることを明らかにした。
【写真】高畑さんの遺体が見つかった乗用車が止まっていた駐車場
事件発覚は昨年10月20日早朝。太宰府市内の駐車場に止まっていた乗用車内で無職高畑(こうはた)瑠美さん(当時36)=同市青山1丁目=の遺体が見つかった。福岡県警の司法解剖によると死因は外傷性ショックで、全身に多数のあざや刺し傷があった。
高畑さんの遺体を車に乗せて運んだとして、福岡県警は男女3人を死体遺棄の疑いで逮捕。3人のうち、高畑さんと同居していた無職山本美幸被告(41)と無職岸颯(つばさ)被告(25)が起訴された。山本被告の知人でトラック運転手の田中政樹被告(47)=同県筑後市上北島=も遺体の遺棄を指示したとして同容疑で逮捕、起訴された。
その後の調べで、山本被告らは日常的に、木刀で高畑さんの尻を殴ったり、バタフライナイフで太ももを刺したりするなどの暴行を加え、抵抗できない心理状態に追い込んだうえ、親族や知人に金を無心させていたことが判明。山本、岸両被告は傷害致死と監禁の罪で起訴され、さらに山本被告は高畑さんや別の女性から計約250万円を脅し取ったとして恐喝の罪でも起訴。山本、田中両被告は、別の男性に対する恐喝未遂の罪で起訴された。
福岡県警は調べを進める中で、高畑さんの夫が事件発覚前、高畑さんの実家に近い佐賀県警鳥栖署に複数回にわたり相談していたことを確認。捜査関係者によると、高畑さんが親族に数百万円を無心していたことや、その背後に山本被告らがいることを繰り返し署員に訴えていた。ほかにも、暴力団組員を名乗る田中被告から金を支払うよう電話で脅された内容を録音し、署に持ち込んでいたという。だが、鳥栖署は事件化しなかった。
高畑さんの母親は朝日新聞の取材に、「(佐賀県警は)まともに取り合ってくれなかった。話を聞いてもらえたら、あんなことは起きなかったかもしれない」と無念さをにじませた。
佐賀県警の鈴木知広警務部長は23日、定例会見で「ご遺族に対し心からお悔やみ申し上げる。現在事実確認をしており、調査結果については可能な限り早く明らかにしたい」と話した。
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10/23(金) 19:31配信
FNNプライムオンライン
増え続けるわいせつ教師による児童生徒への性暴力。わいせつ教師を二度と教壇に立たせないための教員免許法改正や制度改革が進む一方、いまだに確立できていないのが被害者やその家族に対する保護・支援制度だ。「ポストコロナの学びのニューノーマル」第16回は、千葉県で発生した事件を取材した。
【画像】被害にあった小6女児の手記
小6女児の手記が語るわいせつ被害の後遺症
「私は××先生にセクハラ(?)をされました。そういうことをされて、最初は遊び半分かな?と思っていたけど、2回目もされて『こわい』と思いました。ねれなくなったり、学校に行けなくなったりしました。学校に行けなくなって、でも、クラスの子たちとあいたいけど、やっぱりこわくて、行けなくて、『かなしい』なと思い始めました。」(××は教師の実名。他は原文ママ)
この手記は教師からわいせつ被害を受けた、当時小学校6年生の女児が書いたものだ。2017年から複数回被害を受けた女児はその後不登校となった。手記はこう続いている。
「でも、今は、学校に少しずつ行けるようになったので、かなしいとは思わなくなりました。それよりも、今は、そのやられたことを思い出すということの方がつらいです。まだ、教室でべんきょうはできてないけどおくれている分をおいつかせて、教室で、べんきょうができればいいなと思います。」
この手記を書いた女児はその後PTSDと診断され、いま彼女は中学1年生だが2,3週間に1回程度保護者同伴で保健室に登校する以外は学校に行くことができない。両親はネット学習などで授業に遅れないようにしているという。
教師と教育委は「不登校の正当化」と否認
この事件を担当する村山直弁護士は、千葉市の学校内における性暴力防止のための有識者会議、「子どもへの性暴力防止対策検討会」のメンバーでもある。村山氏によると被害者の両親は2018年に発覚後学校に相談したが取り合ってもらえず、警察に被害届を出したものの書類送検されたのは半年以上経った後だった。結局検察の事情聴取で「女児の記憶が薄れてきている」などとして不起訴となり、2019年1月両親は県と自治体の教育委員会、教師を相手取って民事訴訟を起こした。
事件の概要を村山氏はこう語る。
「女児は『教師が学校の体育館のトイレの個室に女児と2人になる状況を作り、胸を直接さわられた』と被害を訴えています。しかしこの教師は個室に2人で入り身体の接触があったことは認めていますが、直接胸に触ったことは否認しています。また自治体の教育委員会も『女児は自らが登校しないことを正当化するための理由として、わいせつ行為を誇張している』と教師と一緒になって否認をしています。」
村山氏によるとこの教師はわいせつ行為を始めた2017年当初、女児の肩に手をかけたり、あごをくすぐったりしていたが、徐々にエスカレートしてわきの下をくすぐるなどし、2018年2月にトイレ内でのわいせつ行為に至ったという。
自治体の教育委員会は取材に対して「係争中なのでコメントは控えさせていただきます」と答えた。また千葉県の教育委員会も「継続中ですのでコメントは控えさせていただきます」と答えた。
「学校で性暴力はあってはならないから対応できない」
両親は村山氏とともに県と自治体の教育委員会と話し合いを行い、教師を別の学校に異動させてほしいと要望を出した。しかし教育委員会側は「本人が否認している」と、教師をそのまま学校にいさせた。村山氏らが再三教育委員会に申し入れをした結果,ようやく教育委員会は教師を研修の名のもとに異動させた。わいせつ行為が発覚してから半年後の2018年夏だった。
村山氏は教育委員会には監督義務と調査・環境調整義務の違反があったと主張する。
「学校と教育委員会は子どもの安全に配慮し、安心して学習できる環境を作る義務があり、これに違反しています」
しかし千葉県の「子どもを虐待から守る」条例には学校内の性暴力が含まれないという。
「県の発想は『学校では性暴力はあってはならない。だからそのようなことがあるのを前提とした対応はできない』というものです。しかし実際に起きているわけです」(村山氏)
アンケート用紙に児童が名前を書く欄を設ける
教育委員会側はこの問題を受けて、学校で児童を対象にアンケート調査を行ったと主張する。しかし調査は学校内で行われアンケート用紙には児童が名前を書く欄を設けていた。これについて村山氏は「学校のアリバイ作りでしかない」としたうえでこう語る。
「昨年、複数の児童に強制性交をした千葉市の元教師に対して、懲役14年の実刑判決が言い渡されました。これを受け我々有識者会議では市の教育委員会に対して子どもがSOSを出せる仕組みが必要である旨提言し、今年6月から「子どもにこにこサポート」という子どもたちが教師からの暴力について直接手紙で相談できる仕組みが作られました。これは性暴力だけでなく体罰なども含まれますが、設置後3か月間で既に約50件の声が寄せられ、その後も相談件数はどんどん伸びていると聞いています」
教育委以外の第三者性のある組織の設置が必要
ただこれでもまだ仕組みとして課題が残ると村山氏は語る。
「通報の窓口は千葉市の教育委員会です。教育委員会は教師を採用し監督する立場であり、第三者とはいえません。埼玉県などは第三者委員会がこうした声の窓口になっていますので、やはり第三者性のある組織を設置すべきであると考えています」
前述の千葉市のケースでは、10年近くにわたって性暴力が行われてきた。
「それに気づけなかった問題は当該教師だけでなく、学校や教育委員会にもあります。しかし問題発覚後も、自分たちが加害者の立場であるという発想がないのではと思うこともありました」(村山氏)
学校や教育委員会について村山氏は「そもそも児童生徒の安全に配慮する義務を負う立場であるという意識が足りない」と語る。
「学校や各教師は子どもが安心で安全な学校生活を送れるよう配慮する法的義務を負っていることを認識して頂きたいです。また教育委員会は『起きてはならないことだから起きることを前提とした制度は作れない』などと対策を講じない理屈を考えるのではなく、子どもを守るための体制作りをするよう強く願います」
「教師の不祥事」ではなく「子どもの人権侵害」だ
この事件で被害者両親の支援を行っているNPO千葉こどもサポートネットの米田修理事長は、こうした問題に約30年にわたって取り組んでいる。
「今回ご両親はたまたま専門の村山先生に出会いました。弁護士にも様々な分野の方がいるので、これは奇跡的な話です。村山先生は教育委員会に調査を求めましたが、なかなか教育委員会側が対応しませんでした。そこで知人を介して紹介され、私もサポートに入って学校と教育委員会に話し合いを行いました」
米田氏は「教育委員会や学校には我々と認識の違いがある」と言う。
「こうした問題が起こると必ず『教職員の不祥事』、つまり個人の問題として処分しようとします。しかしそれは違うと私はずっと言ってきました。これは教師の不法行為による『子どもの人権侵害』なのです。そしてその責任の主体は、教師を採用し学校を設置し管理運営している自治体・教育委員会です。本来教育委員会や学校は、被害者であるお子さんを保護し、受けた心身のダメージのケアをすぐやるべきです。しかしそういう体制は教育委員会側にないのが現状です」
学校内のわいせつ行為は「空白地帯」
いま家庭内の子どもへの虐待の対応には、児童相談所など公的な体制整備が行われている。
しかし米田氏は「教師による暴力は『空白地帯』になっている」と語る。
「現行の児童虐待防止法ではすべての虐待を禁止しています。しかし児童相談所などが法的措置をとることができる児童虐待は、保護者など家庭内の虐待に限定されています。つまり教師による学校内の虐待は対象外となっているのです」
憲法では教育を受ける権利が定められており、学校や教育委員会は子どもが安心して学ぶ場を提供する義務があるはずだ。
「体罰や暴言、わいせつ行為などは、教師による子どもへの学校内虐待として、子どもの権利擁護の視点から対応策を整備する責任が自治体にあります」(米田氏)
被害者家族を支援するワンストップ体制を
今回の事件では両親が自ら学校に足を運んで話し合い、弁護士を探し警察に相談した。しかし米田氏は被害者家族にこうした負担を強いる状況を変えるべきだと主張する。
「ほとんどの被害者の親は法律も制度も知りませんし、教育委員会の役割さえ分かりません。ですから被害を訴えた段階で、ワンストップで自動的にすべてにつながる子どもの権利擁護体制が必要です。性犯罪であれば刑法上の対応を警察に、もし身体的な被害を受けているのであれば医療機関につながり、児童福祉とも連携するというものです」
教師によるわいせつ行為を起こさないための予防や再発防止策はもちろん重要だ。
しかしまずは被害を受けた子どもの心身をケアして保護し、被害者の家族を国や自治体が連携して支援することが必要である。そして第三者が検証を行い、長期的には法制度を見直すことが求められる。
国連が掲げる子どもの権利をこの国が守れないのなら、大人たちの怠惰であり恥ずべきことだ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】
鈴木款
2020/09/25 14:20
許すな わいせつ教員
被害940人超…昨年度まで5年間
2019年度までの5年間にわいせつ・セクハラ行為で懲戒処分を受けた公立小中高校などの教員が1030人に上り、このうち約半数の496人が、自らが勤務する学校の児童生徒(卒業生を含む)を対象としていたことが読売新聞の全国調査でわかった。1人の教員が複数の教え子にわいせつ行為を繰り返す例もあり、学級担任など自校教員から被害を受けた子どもは少なくとも945人に上ることも判明した。
教員の指導的な立場を悪用したわいせつ事案が学校現場で広がっている現状に、専門家からは「学校での権力構造を背景にしており、深刻だ」と調査強化を求める声が上がっている。
読売新聞は8月下旬~9月上旬、全都道府県・政令市の計67教育委員会に対し、2015~19年度にわいせつなどで懲戒処分となった教員について調査。5年間で計1030人の教員が処分され、このうち496人が自校の児童生徒や卒業生を対象としていた。
「指導」や「面談」と称して教え子を呼び出す事例が目立ち、千葉市では18年、男性教員(当時34歳)が勤務先の2小学校で担任クラスの女子児童7人に計15回、わいせつ行為などをしたとして懲戒免職となった。
被害児童に口止めをするケースもあり、高知県では16年、小学校の男性教員(当時29歳)が、修学旅行先のホテルで男子児童の下半身を触るなどして懲戒免職になった。県教委によると13年9月以降に計14人の男子児童が被害に遭ったが、男性教員はこのうち数人に対し、誰にも言わないよう何度も念押ししたという。
自校教員から被害を受けた児童生徒らは計945人に上るが、「プライバシーへの配慮」などを理由に石川、広島、徳島、愛媛の各県と名古屋市の5教委は被害者数を非公表とした。このため実態はさらに多いとみられる。教え子以外では、SNSで知り合った他校の生徒や、学校の同僚などへのわいせつ行為などで処分された事例があった。
文部科学省によると、児童生徒らへのわいせつ・セクハラ行為で処分を受けた公立学校の教員は18年度、過去最多の282人に上り、同省は厳罰化に向け法改正などを検討している。
NPO法人「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止関東ネットワーク」代表の入江直子・神奈川大名誉教授(教育学)の話「学校で教員は絶対的な権力者であり、子どもは声を上げにくい。『わいせつをする方が悪い』という教育を徹底して声を上げやすくし、子どもや親から相談があれば客観的かつ迅速に調査する体制を整えるべきだ」
◆学校でのわいせつ・セクハラ行為=文部科学省では、わいせつ行為を「強制性交や公然わいせつ、わいせつ目的をもって体に触ることなど」、セクハラを「児童生徒らを不快にさせる性的な言動など」と定義している。同省では、児童生徒に対してわいせつ行為をした教員を原則、懲戒免職とするよう各教育委員会に要請している。
教員からわいせつな行為を受けた方、お子さんが被害に遭ったという保護者の方、「許すな」取材班までご連絡ください。メールアドレスは sos@yomiuri.com 。郵便は〒100-8055 読売新聞社会部 ファクスは03-3217-8363
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2020/10/21 23:13
西日本スポーツ
◆日本ハム1-9ソフトバンク(21日、札幌ドーム)
パ・リーグ首位のソフトバンクが逆転勝利。終わってみれば大勝で工藤監督就任後初、球団9年ぶりの10連勝を飾った。2位ロッテが連夜のサヨナラ負けを喫し、ソフトバンクに優勝マジック(M)「8」が点灯した。
【関連】強すぎる!工藤監督初の10連勝、ソフトバンクに優勝マジック「8」点灯
セ・リーグは巨人がヤクルトに敗れ、引き分けを挟んで3連敗でM7のまま。9月15日に早々とM38を点灯させたが、ここ9試合で1勝と足踏み状態だ。
ソフトバンク、巨人ともに現日程での最短優勝は25日。両リーグ同日優勝決定は過去に1951年9月23日(セ巨人、パ南海)、54年10月19日(セ中日、パ西鉄)、58年10月2日(セ巨人、パ西鉄)の3度あるが、62年ぶり4度目の珍事となるか。
朝の散歩で、3人がそれぞれ話題を。
株の話は、西村さんである。
当方も、家人が株をやっているので応じる。
元、会社の経営者である鈴木さんは、経営していた会社が倒産者2度の経験があり、上場して持ち株が100倍になった過去の話をする。
亡くなった奥さんも、株をやっていたそうだ。
鈴木さんは遺産相続(預金、貯金)の引き継ぎの面倒さんに、呆れていた。
妻の死とともに、夫といえど金の引き出しは自由にできなくなるのだ。
つまり、妻の委任状などなければ、必要な葬儀代も下ろせなかったのだ。
「自分の会社が倒産して家を2度も手放したので、私の預金、貯金がほとんどないので」と言う。
ちなみに、わが家では家は妻の名義であり、生命保険は息子が受取人になっている。
酒が飲めない鈴木さんと日本酒党の西村さんなので話は噛み合わないが、過去の宴席の話題なども。
また、ゴルフで散歩に参加しない日もある鈴木さんとは、ゴルフ談議となる。
西田さんと当方はゴルフなやらない。
女子プロとやったことある鈴木さんは、「女子プロは飛ばすね。昔の女子プロは余り飛ばなかったけれどね」と感嘆していた。
「彼女たちは、陸上の短距離選手のような足の筋肉をしている」と表現した。
「昨日、ゴルフで疲れたけれど、ビタミン剤を飲んだらすっきりした」と効能効果を絶賛した。
「8000円するけど、あれは効くね」
「高いのですね」と当方は呆れた。
聞けば、当時の東大講師(内科医師)が完全否定した薬剤であったのだ。
10/23(金) 22:43配信
西日本スポーツ
8回2死二塁、柳田は左越えに2ランを放つ(撮影・栗木一考)
◆ソフトバンク8-1西武(23日、ペイペイドーム)
ソフトバンク・柳田の規格外の一発に、自軍の工藤監督も困惑気味だった。
【写真】こんな体勢で…柳田衝撃ホームランの瞬間
8回2死二塁。柳田は西武・田村の外角低めのシュートに体勢を崩され、泳いで左翼へ高々と打ち上げたが、これが左翼ホームランテラスまで届いた。
工藤監督は「わかんないです、正直。なんであんなに飛ぶのかな」と首をかしげ「ベンチに帰ってきたときに『芯でした』とは言っていたけど、あれだけ(体勢を)崩されても飛ぶのかと…。相手からしたら本当に嫌だろうな」と、あきれたように続けた。
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10/23(金) 22:30配信
東スポWeb
阪神は23日の巨人戦に4―5と敗れた。これでゲーム差は13・5に開き、24日の試合も敗れると優勝の可能性が完全消滅する。
試合後、矢野燿大監督も「それにしても足引っ張り過ぎだわな。勝てるわけない。余りにも簡単なミスというか…難しい打球じゃないんでね」と苦虫をかみつぶしたのが、相変わらずの〝防御網〟の緩さだ。
この日は先発・西勇輝投手の足を守備陣がこれでもかと引っ張った。一塁で先発したマルテが一塁手としてはプロ野球ワースト記録の1試合4失策。内訳となった2回の3失策、4回には自ら4号弾で奮起したかに見えたが、マルテは5回にも松原聖弥の打球をファンブルする始末。結果的に西も失策が起きた回に痛打を浴びるという悪循環だ。
5回には女房役の梅野隆太郎捕手まで悪送球を犯し、この日は計5失策となり、2009年7月7日の広島戦(新潟)以来、球団11年ぶりの醜態をさらした。今季失策数は12球団断トツのワースト79にまで膨らんだ。これはリーグ最少の巨人の35失策の倍以上。2連覇目前の宿敵と猛虎の〝力の差〟は、こんなところにも象徴されている。
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10/23(金) 17:05配信
Number Web
1985年、夏の甲子園での桑田と清原。決勝で宇部商を破り、2年ぶりの優勝を果たす photograph by AFLO
人の「記憶」を信用しすぎるのは危険だ。
なぜなら、時間の経過とともに脳内で緩やかに変化していくから。例えば学生時代の同窓会で修学旅行の思い出を話せば、泊まった旅館で出てきた夜飯のディテールが微妙に食い違うし、盛り上がったあの日本シリーズを野球ファン同士で語り合っても、巨人の清原和博が西武の松坂大輔から放った特大ホームランは何年の第何戦だったか曖昧だ。
【秘蔵写真】貴重な桑田・清原のPL卒業式&31年前、夏の甲子園での元木大介の写真
秋の風物詩、プロ野球ドラフト会議もそうだろう。後追いで記憶をもとに様々な関係者がコメントをする内に当時の現実とは微妙にズレた、もうひとつの事実ができ上がっていく。35年前のあの「KKドラフト」のように。
NTTから鉄アレイのような重さ約3キロの携帯電話ショルダーホンが発売された1985年(昭和60年)、ドラフト会議の注目はもちろん夏の甲子園を制覇したPL学園の“KKコンビ”、清原和博と桑田真澄だった。甲子園歴代最多の13本塁打を放ち憧れの巨人入りを熱望する清原、甲子園通算20勝も退部届けを出さず早稲田大学進学を表明していた桑田。当時の巨人で指揮を執る王貞治監督が持つ868号の世界記録を同じユニフォームを着て追い抜く未来を、清原本人もファンも夢に見た。だが、蓋を開けてみたら憧れのチームは、なんと進学表明をしていた桑田を単独1位指名する。6球団が1位入札した清原は、最終的に西武ライオンズが交渉権を獲得。巨人と盟友に裏切られた傷だらけの18歳のキヨマーは、会見場で悔し涙を滲ませた。
「巨人の桑田指名は予測不能のサプライズだったわけではない」
この一連のストーリーはすでに知れ渡っていると思うが、当時のドラフト前のスポーツ新聞や週刊誌を確認すると、もうひとつの事実が浮かび上がってくる。「巨人の桑田指名は決して予測不能のサプライズだったわけではない」というファクトだ。夏前には巨人スカウト部次長の息子がPL野球部に入部したと書く『PLの桑田、清原を狙う巨人スカウトのマル秘作戦』(「週刊サンケイ」85年8月8日号)という記事が確認できるし、アイドル雑誌「セブンティーン」85年8月20日号では『いよいよ開幕甲子園特集』で、KKコンビがチェッカーズや吉川晃司とともに誌面を飾っている。
当時の世間のふたりへの注目度の高さが分かるが、PLの先輩たちが自然体で語るふたりの素顔は対照的だ。
「桑田は普段からおとなしいけど……」
「桑田は普段からおとなしいけど発言力があるっていうか、みんなから一目おかれてますわ。清原の方が寮をぬけだして遊びに行ってもうたり、悪ガキみたいなことばっかりしとる。でも、清原はからだのワリに気が弱い。1年のときなんか、ホームシックで家に電話しては涙ボロボロ」
桑田の周囲に流されない意志の強さとしたたかさ、そして清原の憎めないやんちゃさと涙もろさ。ふたりへのアンケートで「大切にしているもの」について、清原が「高校入学したとき、お母さんが買うてくれた時計。それと(中森)明菜のポスターや」なんて無邪気に答えるのに対して、桑田は「去年の夏、知り合いからもろた王さんのサイン色紙」とのちの喧噪を予感させるかのような回答をしている。
「1億円のスーパーヒーロー清原和博が告白『ボク、巨人が大好きや』」(「週刊現代」85年9月21日号)では、自身が巨人ファンであることを公言しつつ、実際に入りたいか聞かれると「たしかにファンだけど、仕事とファンであることは別問題じゃないスか、やっぱり」なんつって清原はクレバーに返す。まさかドラフトで涙を流すような雰囲気は微塵もない。
18歳の清原が流した涙のインパクト
一方ですでにKK同時獲得を狙う巨人に、それを阻止すべく動く西武という図式もさかんに各媒体で書かれていたし、王監督が即戦力投手を希望しておりスポーツ新聞に「巨人、長富浩志(NTT関東)獲得へ」と出たこともある。桑田の父親がインタビューで「プロに行く可能性がまったくないとは言えない」と語り、可能性のある球団として「巨人」をあげたのもこの頃だ。ドラフト1週間前の11月14日には、PLの清原の元へ巨人スカウトが挨拶に訪れたが、1時間半にも渡る会談でも最後まで球団側から「必ず1位に」という確約を貰えなかった様子はスポーツニュースでも流れた。なお、11月20日ドラフト当日の報知新聞一面は「巨人の1位指名は伊東昭光(本田技研)」である。
こうして振り返ると、巨人が清原を指名しない予兆は確かにあったのだ。同時に桑田のプロ入りも常に噂されていた。だが、時間の経過とともに「巨人に裏切られたキヨマー」というストーリーだけが語られてしまう。指名されなかったのは事実、同時に時間の経過とともに消えた過去があるのもまた事実である。見るものはどうしても夢破れた清原目線で肩入れしたくなる。それだけ18歳の少年が流した涙は強烈なインパクトを持っていた。
「……残念ていうしかないです」4年後の事件
さて、この4年後にも、似たような騒動が起きる。1989年11月26日、平成最初のドラフト会議である。この年、日本一に輝いた藤田巨人は斎藤雅樹や槙原寛己や桑田といった若さ溢れる盤石の投手陣を築いていたため、目玉選手の野茂英雄(新日本製鐵堺)ではなく、六大学リーグの三冠王スラッガー大森剛(慶大)か、高校ナンバーワン遊撃手で甲子園のアイドル元木大介(上宮高)のどちらを1位指名するかで揺れていた。同年限りでの中畑清の引退で、球団はスター内野手を欲していた事情もある。
まだ巨人戦が毎晩テレビで地上波中継をしていた時代、ドラフト前にふたりとも意中の球団としてあげたのは「巨人」。子どもの頃に一緒に写真を撮ってもらった王貞治に憧れた元木のもとには、巨人スカウトから1位指名の話があったはずが、いざ蓋を開けてみると巨人1位は大森、元木は野茂を抽選で逃したダイエーが外れ1位指名する。
「……残念ていうしかないです……。別になにも考える……ていうか頭に浮かんでこないです」
うつむきがちに言葉を絞り出す、元木大介。傷心の17歳はマスコミの過剰な取材から逃れるようにダイエーを拒否してハワイでの浪人生活を選ぶ。ここでも、ヒールになったのは大森である。ドラフト前に「巨人以外なら日本石油かアメリカに留学するって。ボクもその前に巨人じゃなきゃ東京ガスに行くと、同じようなことを言っている。“同じことを言いやがって。高校生のくせに”と思いましたよ。元木はボクより顔はいいかもしれないけど、そんなにカッコイイと思わないです」と『週刊ベースボール』のインタビューで高校生相手に大人げなく宣戦布告をかまし、「ボクは、一流企業で働いて安定した生活をすればいいとも考えたんですが、折角ここまでやったんだから、それならばどこか一つに決めようって。やっぱり、一番人気があって、注目される巨人がいいでしょう」と今なら炎上しそうな際どい台詞を口にする。結果、六大学の三冠王は悪役のマイナスイメージを背負ったままプロ入りするハメになった。
「二軍ホームラン王の大森」と「翌年ドラ1の元木」の“その後”
ただ、当時の大森はサービス精神旺盛で確信犯的にこの手のコメントを発していた節がある。練習が大嫌いで、趣味はファミコンをぼんやりやること。夜の素振りなんて絶対にやらないと豪語。過去の週べインタビューでも「今の六大学に打てないピッチャーなんて一人もいません。ぼくの予定ではこうなるはずだったんです。田淵さんの22本塁打(六大学記録)も破るつもりだったんですから。ちょっと遅かった気もするくらいです」なんてお気楽なビッグマウスを炸裂させている。
もちろん当時の時代背景もあった。未曾有の好景気のバブル真っ只中で、野球部の同期たちは空前の売り手市場の就活で一流企業へ就職していく。俺らが世界の中心にいる感。要は若さ故の勘違い。あの頃、日本列島全体が勘違いしていたんだと思う。翌年に8球団から1位指名されロッテ入団を拒否した小池秀郎(亜細亜大)も、西武・ヤクルト・巨人を逆指名する際「普通に会社に就職するのでも、まず学生側が会社訪問して話は始まるわけでしょう。逆指名っていうのは、そういうことだと思います」という強気なコメントを残している。今振り返れば、彼らなりに不条理な大人の世界や理不尽なドラフト制度と戦っていたのかもしれない。
大森は雑誌『現代』90年6月号の新時代の4大アスリート特集で、相撲界の若花田と貴花田、そして野球界のゴールデンルーキー野茂英雄とともに取り上げられるほど注目され、二軍のホームラン王も獲得したが、一軍定着はできず。やがて同い年でポジションも被る清原和博のFA移籍で完全に出番を失い、巨人を去ることになる。一方で元木は翌90年のドラ1で悲願の巨人入り。“クセ者”として長嶋監督に重宝され、東京ドームで15年間のプロ生活をまっとうした。
もし、桑田真澄が早稲田大学へ進学していたら……
さて、令和の今、この30年以上前の1985年と1989年のドラフト会議を振り返ったとき、もうひとつの世界線を考えずにはいられない。もしあの時、桑田真澄が巨人から指名されず早稲田大学へ進学していたら……と。そうしたら、桑田は大学4年時のドラフトをなんと89年に迎えることになる。
そして、89年に巨人が満を持して21歳の桑田を単独1位指名していたら、「外れ1位でもイヤ」と公言していた大森は、当初の予定通り社会人野球入りして92年のバルセロナ五輪出場を目指したのだろうか。ただ、その年のドラフトで巨人は松井秀喜(星稜高)に1巡目入札して見事引き当てているので、2位以下で同じ左の長距離砲タイプの大森を指名しなかった可能性は高い。となると、引退後にスカウトへ転身した大森剛が惚れ込み1位指名を主張した坂本勇人という逸材も、令和の巨人軍にいなかったのではないか……。
いつの時代もドラフト会議であらゆる人生の点と点が重なり合い、未来という線になる。
そんな運命の1日が、今年ももうすぐやってくる。
See you baseball freak……
(「ぶら野球」中溝康隆 = 文)
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10/23(金) 22:57配信
日刊スポーツ
DeNAアレックス・ラミレス監督(46)が、今季限りで退任することが23日、分かった。16年に就任し4年間で3度のAクラスに導いてきたが、今季はここまで借金2の4位。巨人が阪神に勝ち、優勝の可能性が完全に消滅した。後任は三浦大輔2軍監督(46)の昇格が濃厚。チームを知り尽くす「ハマの番長」に再建を託すことになりそうだ。
【写真】代名詞リーゼント姿のDeNA三浦大輔投手
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ラミレス監督が今季限りで退任する。本拠地の広島戦に快勝したが、首位巨人も阪神に勝ち、優勝の可能性が消滅。ラミレス監督は「しっかり準備をして臨んだが、残念ながら期待に応えることができなかった」と話した。
昨年10月7日、2位で進出したクライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージで阪神に敗退。南場オーナーから優勝を至上命令とされ、1年契約で臨んだ。戦力が充実しV候補とされたが、相次ぐ故障者に苦しんだ。先発では、18年新人王の東が2月に左肘のトミー・ジョン手術。8月中旬には今永、平良と左右の柱が相次いで離脱した。守護神の山崎が絶不調という誤算もあった。レイズに移籍した筒香に代わる中軸として期待されたオースティンも、故障で2度の戦線離脱に見舞われた。
采配を疑問視されることもあった。5・5ゲーム差で迎えた9月1日からの巨人3連戦(東京ドーム)では、先発のピープルズをリリーフに回し、3戦目には中継ぎのパットンを来日初の先発起用。ともに実らず3連敗を喫した。ここから勢いを失い、同13日に自力優勝の可能性が消滅した。
就任1年目の16年に3位でCS出場。17年はリーグ3位から日本シリーズに進出し、19年は22年ぶりの2位に導いた。野手を見抜く眼力に優れ、宮崎、佐野らが開花。テスト生から加入したソトは18、19年に本塁打王を獲得した。力量を評価する球団は編成面に関わるポストなどを用意し、引き続き球団に携わる可能性がある。
関係者の話を総合すると、後任は三浦2軍監督の昇格が濃厚となっている。大洋時代からチーム一筋25年、通算172勝のレジェンド。19年からラミレス監督の下で投手コーチを務め、今季から現職に就いた。イースタン・リーグでは39勝30敗で楽天と2・5ゲーム差の2位(22日現在)。若手を育成しながら好成績を残している。チームを知り尽くし、選手からの信頼も厚い「ハマの番長」は、再建にうってつけの存在と言える。新監督のもと巻き返しを図る。
◆三浦大輔(みうら・だいすけ)1973年(昭48)12月25日、奈良県生まれ。高田商から91年ドラフト6位で大洋(現DeNA)入団。97年に10勝3敗、勝率7割6分9厘でリーグ最高勝率。05年最優秀防御率、最多奪三振。15年にプロ野球記録の23年連続勝利。16年には投手最長の24年連続安打。16年引退。通算535試合、172勝184敗0セーブ、防御率3・60。引退後は19年にDeNA1軍投手コーチ。今季は同2軍監督。183センチ、88キロ。右投げ右打ち。
◆アレックス・ラミレス 1974年10月3日、ベネズエラ生まれ。大リーグのインディアンス、パイレーツを経て01年ヤクルト入団。08年に巨人、12年にDeNA移籍。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度、ベストナイン4度。08、09年にリーグMVP。13年に外国人初の通算2000安打。日本通算13年で2017安打、380本塁打。14年からBC・群馬のコーチ兼選手、オリックスの巡回アドバイザーを経て、16年からDeNA監督。180センチ、105キロ。右投げ右打ち。