10/20(火) 6:01配信
文春オンライン
「政治家は官僚に丸め込まれる」菅義偉首相が初当選以来、胸に刻んだ言葉とは から続く
2020年9月、第99代内閣総理大臣・菅義偉が誕生した。新首相の菅氏が2012年3月に刊行した著書『政治家の覚悟 官僚を動かせ』は、菅氏の政治家としての”原点”を綴った著書である。その内容を再収録した『 政治家の覚悟 』より、NHKや日銀改革に大ナタをふるい、「伝家の宝刀」である人事権を効果的に用いたエピソードを、抜粋して紹介する。(全2回の2回目。 前編 を読む)
[編集部注]
再収録にあたっては、いずれも原文をそのまま掲載した。社会状況や各種データ・数字、団体の名称、人物の肩書き、表記方法などは初出時のもの。ただし、誤字脱字などは改めた。年代は西暦で統一した。タイトル、文中の小見出しは編集部が適宜改めている。
◆ ◆ ◆
NHK改革への決意
©文藝春秋
人事権は大臣(※菅氏は当時、総務大臣)に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。
先に述べたNHK改革の際にも、私はこの改革に対する自らの決意を示すために人事権を行使しました。
受信料の義務化と同時に示した受信料の2割値下げは、NHKの抵抗が大きく、自民党内にも放送行政に深くかかわってきた議員を中心にNHKを代弁するかのような根強い反対論がありました。
総務省では、官僚と新聞社の論説委員が、法案の内容や政策の方針について意見交換する「論説懇」が開催されていました。その論説懇の席で、NHKを担当している課長が、
「大臣はそういうことをおっしゃっていますが、自民党内にはいろんな考え方の人もいますし、そう簡単ではない。どうなるかわかりません」
などと言ったそうで、参加していた知人の論説委員から、
「菅さん、大丈夫?」
と、心配する連絡が入りました。さっそく局長を呼んで調べたところ、懇談の議事録が残っていて、はっきりとその課長の発言が記載されていました。NHK改革が簡単か難しいかどうか訊かれてもいないのに、わざわざ自分から見解を述べた発言であることがわかりました。
NHK担当課長を更迭
NHK改革には、自民党の議員のなかにも反対論者がいることは、もちろん把握していました。だからこそ、省内で意思統一を図って立ち向かわなくてはなりませんでした。課長の発言は官僚の域を超えており、見過ごすことができませんでした。課長職という現場のトップがそのような意識では、改革に向けた姿勢が疑われ、組織はまとまりません。
私はすぐに動きました。
「論説委員の質問に答えるならいいが、質問もされていないのに一課長が勝手に発言するのは許せない。担当課長を代える」
すると幹部は、
「任期の途中で交代させると、マスコミに書かれ、大問題になりますよ」
「構わない。おれの決意を示すためにやるんだ。本気でNHK改革をやる、ということを示すためだ」
「課長職はそのままにして、NHK改革の担当者を上司に替えることで了解してもらえないでしょうか」
「ダメだ」
「大騒ぎになり、結果的に大臣にご迷惑をおかけしてしまいますが……」
「いいから、代えるんだ」と押し切りました。
人事権の行使はまわりから支持が得られ、納得されるものでなくては
彼らが懸念していたように、マスコミからたたかれました。ある雑誌などには、ナチスドイツでプロパガンダを一手に担った人物を引き合いに出して「安倍政権のゲッベルス」などと書きたてられました。
改革を実行するためには、更迭も辞さない。困難な課題であるからこそ、私の強い決意を内外に示す必要がありました。マスコミはこの種の話題を面白おかしく書きたてますが、それを恐れては必要な改革は実行できません。
結果として官僚の中に緊張感が生まれました。組織の意思が統一され、一丸となってNHK改革に取り組むことができたのです。
その後、私が内閣改造で総務省を去るにあたって、更迭した課長は本省に戻しました。現在も要職で活躍していて、私の事務所にも訪れてくれます。
人事権はむやみに行使するものではありませんし、感情に左右されてはなりません。更迭された当人は別にしても、まわりから支持が得られ、納得されるものでなくては、反発を招き、官僚の信頼を失うことになります。
ノンキャリアを局長に抜擢
省庁の人事は入省年次や前例をふまえて決められます。この慣例を破る人事は官僚から大きく注目されます。
中央省庁の官僚にはキャリアとノンキャリアがいて、キャリアが就く役職とノンキャリアが就く役職はそれぞれの省庁で厳密に分けられています。キャリアは課長、局長、事務次官といったピラミッドの頂点を目指して昇進していくのに対し、ノンキャリアはそこまで昇ることなく退官することが慣例となっています。
人数の上ではノンキャリアのほうが圧倒的に多く、組織を活性化するためには、ノンキャリアの人たちのやる気を引き出し、協力してもらえるようにしなくてはなりません。
私は、自民党の国会対策の仕事をしていたときに、総務省のあるノンキャリア官僚と接する機会があり、
「この人はよく頑張っているな」
と感心してみていました。仕事はよくできるし、誠実だし、人望も厚い。
「こういう人を抜擢すれば、もっと組織が活性化するのに」
ノンキャリアという理由だけで、配置を固定してしまうのはもったいないと思っていました。財務省ではノンキャリアでも能力があれば抜擢するし、たとえ組織内で目立たなくても、地道にやっている人にはそれなりに評価してポストを用意し、キャリア、ノンキャリアの壁をなくして組織で仕事をしていました。私はそれを感心してみていました。
総務大臣に就任した時、財務省のように組織力を活かせるような人事をしたいと考え、まっ先にあのノンキャリア職員が浮かんだのです。私は人事の責任者を呼び、
「ノンキャリアだけど頑張っているし、まわりの評判もいいので、地方の局長に出したい」
と命じました。
「わかりました」
すると翌日、責任者は沖縄の所長のポストを人事案として出してきて、
「ここもキャリアポストですし、本人にしてみれば3階級特進で、喜ばれると思います」
などと説明をはじめました。私は途中で、
「おれは、局長、と言ってるんだぞ」と不快感を表すと、
「失礼しました!」
責任者はすぐに退去し、新しい局長のポストを用意してきました。
官僚のやる気を引き出すための効果的なメッセージ
大臣が命じた人事ですら、慣例から大きく離れないように修正しようとする姿を目の当たりにして、官僚がいかに人事を重視しているかを再認識しました。
この人事は省内に波紋を投じ、大きな話題になったようです。ノンキャリアの人たちには、頑張って仕事をしていれば局長にだって就けるんだ、と歓迎されたそうです。一方、うかうかしておれないと、キャリアが気を引き締めることにもつながりました。
また、キャリアでも事務職と技術職にわかれ、技術職が就く最も高い役職も決まっていました。ここでも私は慣例を破り、優秀で人望も厚い技術職の人物を、旧郵政の筆頭局長、さらには事務次官級の総務審議官に就けました。彼は、前述した地デジの日本方式を南米に売り込むのに大活躍してくれました。
私は、人事を重視する官僚の習性に着目し、慣例をあえて破り、周囲から認められる人物を抜擢しました。人事は、官僚のやる気を引き出すための効果的なメッセージを省内に発する重要な手段となるのです。
日本郵政総裁をめぐる人事
私が総務大臣に就任した時点では、日本郵政公社と民営化準備会社として日本郵政株式会社が並立する状態でした。
日本郵政公社は、民営化に移行する2007年10月まで実務と民営化準備を担当し、日本郵政株式会社は、民営化後の経営戦略などを担当することになっていました。
民営化までのトップは日本郵政公社総裁の生田正治さんで、民営化後のトップは日本郵政株式会社社長の西川善文さんでした。
官僚は、情報収集能力においては抜群の能力を発揮します。生田総裁と西川社長に関する情報も、逐一、私のもとに届けられていました。その中で、気がかりだったのが、
「生田総裁と西川社長の両方から違った内容の指示が出て、どっちの意見を聞くべきか、現場に混乱が生じています」
との報告が急増したことでした。それでも私は、生田総裁の任期は3月いっぱいでしたから、その後は混乱も解消されるだろうとみていました。ところが、
「生田さんはやる気まんまんで、4月以降も続けて10月の民営化の直前まで総裁として指揮をとるつもりでいますよ」
「生田総裁は次の株式会社の人事まで決めて、それから退任するそうです」
という報告が入ってきました。そういう情報を得るにつけ、私はかつての国鉄改革を思い起こしました。民営化に向けて努力していた幹部が、それぞれ分割民営化後の会社経営に携わったことでうまく軌道に乗り、国鉄民営化が成功したのです。
「郵政民営化を仕上げるには、2頭立てではダメだ。西川さんに一本化しなければ」
と考え、人事は大臣の仕事だと決断します。
あずかった組織を活性化させ、一体感をもたせ、統率しなければならない
生田さんは、小泉前総理が起用した経緯がありましたので、まず竹中前総務相に相談し、竹中さんを通じて小泉さんに私の思いを伝えてもらって了解をいただき、西川一本化路線がスタートしました。
郵政民営化の成功が最大の目的です。そのためには、指揮系統に乱れがあってはなりません。4月に西川さんが総裁となり、10月の新会社移行後も社長となって経営の指揮をとる。それが成功へつながると考えました。
もっとも、生田さんは公社総裁として幾多の功績を残され、貢献していただいた経緯から、尊重しなくてはなりません。私はずいぶん悩み、腐心した末、ひとつのシナリオをつくりました。
3月末で任期が切れるにあたって、生田総裁のほうから今後についての相談があり、それを受けて、「ごくろうさまでした」とねぎらい、西川さんにバトンタッチする、というものです。
生田さんにお会いして了解をいただき、閣議で西川社長の総裁兼務人事が決定したのでした。ところが、生田さんはご不満であったらしく、その後、新聞紙上でご見解を述べておられました。
人事は本当に難しく、かなりの神経をつかいました。
大臣はあずかった組織を活性化させ、一体感をもたせ、統率しなければなりません。人事もそのために活用するのであって、まちがっても恣意的に利用してはなりません。
菅 義偉/文春新書