朝ドラ『エール』モデル・古関裕而と古賀政男のライバル関係「人気作曲家の明暗を分けた戦争」

2020年10月02日 22時01分50秒 | 社会・文化・政治・経済

10/2(金) 12:27配信

婦人公論.jp

古賀政男(左/昭和34年12月頃)と古関裕而(写真提供:古関裕而の長男・古関正裕さん)

NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)だ。ドラマでは、世相は戦争一色に。戦時歌謡でヒットを飛ばした古山に対し、数々の名曲を生み出してきた作曲家・木枯正人(モデルは古賀政男。RADWIMPS・野田洋次郎が演じる)は世の中の空気に合わせられなくなっていってーー。遺族にも取材して古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、実際に古関と古賀は戦時下で評価が一変したという。

【当時の写真多数!】昭和8年、離婚騒動で体調を崩した頃の古賀政男

※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです

* * * * * * *

◆古関裕而と古賀政男の出会い

古関裕而が古賀政男と最初に会ったときは、まだ専属の作曲家ではなく、コロムビアの社員であった。レコード吹き込みのタイムキーパーを担当し、古関の作品にも立ち会っている。

古関は、「時折、うす暗い地下食堂でお茶を飲みながら互いに励まし合い、将来を夢みたものだった。彼は社員としてのかたわら盛んに作曲もやっていた」と、昔を振り返る。お互いに作曲家として売れることを夢見ていたのである。

明治37年(1904)11月18日に福岡県三潴郡田口村(現在の大川市)で生まれた古賀は、幼少期に父を失い、少年期に長兄の商店を手伝うため朝鮮半島に渡るなど、古関とは対照的に貧しく辛い生活を送ってきた。音楽学校への進学を夢見たが、明治大学商学部へ行くこととなった。しかし、天性の音楽センスは、古賀が創設した明治大学マンドリン楽部でも発揮された。昭和4年3月の卒業後に、コロムビアから声がかかり社員となった。流行歌の作曲家のノルマは、いかにヒット曲を生み出すかである。天才的な感性を持つ古賀は、コロムビアの重役たちが驚くほどの活躍を見せる。

当時はオリコンのようなシステムはなく、流行歌の正確な売り上げ数はわからない。どの曲がヒットしたのかがはっきりわかるのは、内務省が昭和13年2月に取り調べた「売上実数ヨリ見タル流行歌「レコード」ノ変遷」という史料である。そこには昭和3年9月から昭和13年1月までの間に10万枚以上売れた流行歌が記されている。

これを見ると、古賀は約2年間のうちに8曲で71万枚という好成績を残していることがわかる。そのほかにも、10万枚には至らなかったため売り上げ実数はわからないが、昭和6年6月の藤山一郎(柿澤勇人演じる山藤太郎のモデル)の「キヤムプ小唄」や同8年3月の松平晃「サーカスの唄」など、後年の懐メロ番組で取り上げられる名曲を生み出した。

表)古賀政男のコロムビアヒット曲

古賀の悲しく廃頽的なメロディーは、あっという間に国民の心をつかんだ。当時は、昭和恐慌と呼ばれる慢性的な不況下にあり、とくに地方農村部では生活に困窮する家庭も少なくなかった。古賀の楽曲は、そうした暗い世相のなかで歓迎された。その心地よいメロディーは、古賀メロディーと呼ばれ、後年には流行歌の生みの親とまでいわれるようになる。

◆レコードも発売前に内務省の検閲を受けることに

流行歌の王者である古賀政男は、昭和9年にコロムビアからテイチクへと移籍していった。レコード会社は変わっても、大ヒットを連発していた。ヒットに恵まれなかった古関とは対照的である。

表)古賀政男のテイチクヒット曲

治安や思想を監視する内務省は、流行歌がたくさん作られるようになると、その内容や影響力に注意するようになった。レコードの取締りは、昭和8年10月に治安警察法第16条の「安寧秩序ヲ紊(みだ)シ、若(もしく)ハ風俗ヲ害スルノ虞(おそれ)アリト認ムルトキハ、警察官ニ於テ禁止ヲ命スル」という基準で全国的に行われた。翌9年8月1日施行の改正出版法により、レコードも出版物と同じように、発売前に内務省の検閲を受けることを余儀なくされた。

そして、昭和11年12月に発売された古賀作曲の「あゝそれなのに」(作詞・星野貞志)は、ちょっとした騒動となる。

家の留守を預かる妻が会社勤めの夫を気遣っているにもかかわらず、帰宅が遅いものだから、外で浮気でもしているのではないか、と怒るものである。何が問題になったかといえば、歌詞のなかにある妻が夫に向かって「ねぇ」と語りかける対話調であった。

そこにレコードの内容を検閲審査する内務省警保局が目をつけた。「あゝそれなのに」は発売禁止や改訂盤を出すことは免れたが、販売促進を目的とした宣伝中止を余儀なくされた。

流行作曲家の使命は、とにかくヒット曲を生まなければならない。古関は「巷には、エロ・グロ・ナンセンスなどの言葉が流行し、またそれらを題材とした流行歌が氾濫した。若い私にはこの種の世界が馴染めず、作曲もやりにくかった。ディレクターから「もっと社会見学をしなくては」と、しきりに言われたが気も進まず、自分の手がけられる範囲のものだけをコツコツと作曲していた」と述べている。古関の音楽センスからして、売れ筋とはいえ廃頽的な「ねぇ小唄」は書きたくなかったのである。

◆戦時下の古賀政男との違い

ヒットに恵まれない古関裕而と、ヒットメーカーとして名高い古賀政男。そのライバル関係は、戦時下に一変する。

米英との関係が悪化すると、両国を仮想敵国と見なし、日本国内の情報が漏れないように注意すべきだという危機意識も持つ必要性が生じるようになる。昭和16年4月に読売新聞社は、国民に防諜を喚起する国民総意の歌「そうだその意気」と、「海の進軍」の歌詞募集を行った。古関は、海老沼正男が作詞した「海の進軍」に曲をつけることとなった。歌は伊藤久男(山崎育三郎演じる佐藤久志のモデル)、藤山一郎、二葉あき子が吹き込んだ。

この作曲について古関は、「曲は短調だが、多分にグランド・マーチ風の四分の四拍子で、堂々たる艦船を表現したつもりである。私としては、終わりの四小節のメロディーが気に入っていた」という。曲調は短調だから暗いメロディーだが、「多分にグランド・マーチ風の四拍子」を用いているため、全体的に勇ましく「堂々たる艦船を表現」することに成功している。

この裏面になった「そうだその意気」は、「国民総意の歌」というとおり、一億国民の意識を戦時体制下で一つにする目的があった。歌詞は6000篇が集まったものの、優秀なものがなく、作詞は西条八十、作曲は古賀政男と流行歌の王者に依頼することとなった。「そうだその意気」は、霧島昇、松原操、李香蘭が吹き込んだ。

この企画を立てた陸軍省防衛課中佐大坪義勢は、西条の歌詞に注文をつけるくらい入れ込んでいた。吹き込みには、軍関係者、コロムビアの重役、部長、西条八十、新聞記者が並んだ。古賀政男のピアノ伴奏が終わると、軍関係者は「軟弱だ。戦意を高めるどころか、なんだか悲しくなるじゃないか」とケチをつけた。これに対して古賀は「私は、心を打ちこんで作曲したつもりですが、この詞にはこの曲しか作れません。気に入らなければ、他の人に頼んでください」と反論した。「そうだその意気」は、昭和16年5月に書き換えることなくそのまま発売された。

◆流行歌づくりの天才と、流行歌づくりの苦労人

古賀の最大の魅力である悲しく廃頽的なメロディーが、戦時歌謡には仇となったのである。日中戦争下では、昭和12年に古賀が作曲した「軍国の母」(歌・美ち奴)や「銃後の赤誠」(作詞・島田磬也、歌・奥田英子)のような、暗く廃頽的なメロディーの戦時歌謡が生まれた。だが、戦争が長期化して軍部が国民の戦意高揚を目的とした強く勇ましい楽曲を要求するようになると、作曲家はその要求に応えなければならなかった。

古賀は、日中戦争下においても、昭和15年に「春よいづこ」(作詞・西条八十、歌・藤山一郎、二葉あき子)、「蛇姫絵巻」(作詞・西条八十、歌・志村道夫、奥山彩子)、「新妻鏡」(作詞・佐藤惣之助、歌・霧島昇、二葉あき子)など、戦争とは無関係な映画主題歌などでヒットを飛ばしていた。

だが、翌16年12月にアジア・太平洋戦争に突入し、そうした作品が生み出しにくくなると、古賀の活躍の場は少なくなる。一方で古関は、数多くの戦時歌謡を作曲している。アジア・太平洋戦争は、流行歌づくりの天才と、流行歌づくりの苦労人との明暗を逆転させたのである。

刑部芳則

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人気女優の偽アダルト動画作成で逮捕受け芸能事務所が声明

2020年10月02日 21時46分03秒 | 事件・事故

10/2(金) 18:44配信

中日スポーツ

大手芸能事務所「エヴァーグリーン・エンタテイメント」の声明文

 芸能事務所でつくる日本音楽事業者協会は2日、人工知能(AI)技術を使った精巧な偽動画「ディープフェイク」による芸能人偽ポルノの作成、公開が摘発されたことを受け、「芸能界全体における問題としても看過できない事態となっています。今回の被疑者逮捕によってディープフェイクポルノの撲滅につながることを切に願います」との声明を出し、弁護士のコメントも発表した。

【写真】押収された偽アダルト動画の作成機材

 また、大手芸能事務所「エヴァーグリーン・エンタテイメント」もSNSでの誹謗(ひぼう)中傷、悪質動画の拡散撲滅へ強い姿勢を示した。「誹謗中傷の発信者や悪意のある虚偽を拡散する者等、アーティストに直接・間接的な被害をもたらす可能性がある全てのことに対し、専門の法務法人と共に、可能な全ての法的措置を講じる所存です。また厳罰や、情報開示手続きの迅速化など、未来に向けての法整備が早急に行われることを願います」とコメントした。

中日スポーツ

人気女優の偽アダルト動画作成で逮捕受け芸能事務所が声明
10/2(金) 18:44配信

中日スポーツ

大手芸能事務所「エヴァーグリーン・エンタテイメント」の声明文

 芸能事務所でつくる日本音楽事業者協会は2日、人工知能(AI)技術を使った精巧な偽動画「ディープフェイク」による芸能人偽ポルノの作成、公開が摘発されたことを受け、「芸能界全体における問題としても看過できない事態となっています。今回の被疑者逮捕によってディープフェイクポルノの撲滅につながることを切に願います」との声明を出し、弁護士のコメントも発表した。

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中日スポーツ

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大下剛史氏「あまりにダラしなさ過ぎる!」 補強すら及び腰…巨人独走許したセ5球団に苦言

2020年10月02日 06時58分03秒 | 野球

10/2(金) 5:15配信

東スポWeb

大下氏は巨人・原監督の手腕を高く評価した一方で…

 他の5球団は何をやっているのか。今季の補強期間が9月30日に終了。期限ギリギリまで補強の手を緩めなかったのがセ・リーグ首位・巨人だ。本紙専属評論家の大下剛史氏はこの攻めの姿勢を高く評価する一方、動きが鈍かった5球団を「だらしがない」と一刀両断。巨人独走を招いた要因の1つである他球団の消極的な姿勢に警鐘を鳴らした。 

【写真】〝鬼軍曹〟時代の大下氏


 巨人は1日の広島戦(マツダ)で投打がかみ合い5―3で勝利。先発サンチェスが6勝目をマークし、マジックを21と減らした。原監督は「ピッチャーは頑張ったと思いますよ。(中川)皓太にしてもね。よく頑張ったと思いますよ」と粘った投手陣をほめた。

 V2に向け視界良好の巨人だが前日9月30日に新規選手契約可能期間、トレード可能期間が終了。新型コロナ禍による過密日程など異例となったシーズンで、補強にもっとも積極的に動いたのが原巨人だった。

 開幕後に楽天からウィーラー内野手、高梨雄平投手を獲得すると9月には澤村拓一投手とロッテ香月一也内野手との〝格差トレード〟を敢行。リミットギリギリの同29日に田中貴也捕手を楽天に金銭トレードで放出した。

 今季の巨人の特徴は澤村、田中貴の放出に見られる「飼い殺し」の撲滅だ。原監督は「ぜひ(トレード)してあげなよと。貴也には大チャンスですよ」と快く送り出すと「チームが一番なのは間違いない。しかしそこにはみんな個人事業主。限られた年数の中での個人事業主という夢追い人である」と新天地での飛躍を願っていた。

 この姿勢に大下氏は「本当に素晴らしいこと」とうなずくと「自分のところで囲ってその選手の先のことは知らないという、飼い殺しという言葉は悪いが、どちらかといえばそれが巨人の伝統だった。外から見ていてもよくそう思っていた。移籍すれば活躍できるのになと思って、そのまま終わった選手が過去の巨人にはたくさんいた」と、伝統球団の歴史を振り返った。

 大下氏は巨人の新たな動きについて「原監督の決断が大きい。選手の兼ね合いがあって先発では9人しか使えないし、ベンチ入りも今年は26人だが例年なら25人しか使えない。そう考えたら外に出してやって活躍させた方が選手のためになる。当然、選手は確保しなければいけないが、チャンスがあると思って監督は(外に)出してあげている。選手を見た時にそのまま巨人にいても伸びない、出した方が本人のためになるというね。自軍の戦力とかより上の視点からの考え」と分析した。

 巨人は育成5選手を支配下にするなど補強面であらゆる手を打った。対照的に5球団の動きは鈍く、阪神がオリックスから小林慶祐投手を獲得し、広島がDJ・ジョンソン投手を金銭で楽天に放出、ヤクルトが四国アイランドリーグ香川の歳内宏明投手を獲得したぐらいだ。

 大下氏は「社会状況による影響は当然、ある」と球団によって減収の影響は大きいとしながらも「原監督の采配がいいのはもちろんだけど、その前にもともと、戦力が違う。その状況で巨人だけが補強を続けている。他の5球団は本気で巨人に勝とうとしていたのか? 申し訳ないがそうは見えない。シーズン中の補強がほとんどないというのは、あまりにもダラしなさ過ぎる」と巨人独走を許した5球団に苦言を呈した。

 そこには野球ファンへの思いがある。「今年のセ・リーグはCSがなく巨人の優勝が決まれば残りはすべて消化試合。ようやく各球場の収容人数の半分が見に来られるようになったのに、それが気の抜けた試合ではお客さんがかわいそうだ」(大下氏)。今オフこそは補強面での5球団の巻き返しを期待したいが…。

東京スポーツ

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中2からだった自殺願望、アイドル・岡田有希子が逃れられなかった生きづらさ

2020年10月02日 06時52分14秒 | 事件・事故

4/13(月) 20:00配信

BEST TIMES

■生きづらさから逃れるために


 春は自殺の季節だ。特に日本では、3月から5月にかけて、子供や若者を中心に自ら命を絶つ人が増える傾向にある。

学校の児童や生徒の自殺については、夏休み明けの9月1日に多発することが知られているが、自殺対策白書(14年)の「18歳以下の日別自殺者数」によれば、それに次ぐのが4月の8日と11日。そして、86年の4月8日に、18歳で自殺したのがアイドルの岡田有希子である。

 デビュー3年目の彼女は前月、高校を卒業しており、社会人として本格的なスタートを切った矢先の死だった。所属事務所のサンミュージックが入っているビルの屋上から飛び降り、即死。ただ、遺書はなく、理由は謎につつまれた。

 もっとも、自殺の理由が単純であることはまずない。彼女の場合もおそらく、プライベートな問題も含め、複合的なものが考えられる。ままならない恋愛だったり、両親の不和だったり、 母の病気だったり。また、彼女は中学2年のときにも実家でガス自殺まがいの行動をしていた。母が帰宅すると、ガスの元栓がゆるんでいて、彼女がこう説明したというのだ。

「途中でニオイに気づいて消した。だけどあのままでいたら自殺じゃなく、自然に死ねたのにね。だけどやっぱり死ねなかった」(「愛をください」岡田有希子)

 当時、彼女は教師からのひいきを級友に嫉妬されたり、コンテストへの応募を周囲に反対されたりして、不安定な精神状態だった。また「人間が怖い」とも口にしていたため、母は「自殺しようとしたんじゃないだろうか」と「直感」したらしい。

 そして、じつは自殺の数時間前にも自宅でガス自殺未遂をしていた。

 それゆえ、専務だった福田時雄は、自殺未遂で迷惑をかけた自責の念から、パニックに陥り、飛び降りてしまったという見方をしている。ただ 、彼女がひどく疲れていて、死への衝動に身を委ねたい状態だったのも事実だろう。そこには、仕事における重圧もやはり作用していたのではないか。

 この重圧については、5日にアエラドットから配信された記事「岡田有希子さん没後34年。“アイドルは生身の人間”だと示した特別な存在」に書いた。事務所の先輩である松田聖子が85年に結婚したため「ポスト聖子」の期待をかけられ、人一倍マジメな性格だった彼女にはそれも負担だったと思われるのだ。

 ちなみに、仕事に疲れたり、飽きたりすると、女性の芸能人は恋に逃げがちだ。聖子もそうだし、安室奈美恵などもそうだった。これは長い目で見ればステップアップにもつながり、悪いことではない。彼女の場合も、報じられた年上俳優との関係が事実なら、そういう方向で何かを打開しようとしていたのだろう。

 しかし、彼女の試みは成功しなかったようで、結果、死に逃げるかたちとなった。それは運や巡り合わせより、その性格によるところが大だったかもしれない。中学時代にも自殺未遂まがいの行動をしたように、生きづらさから逃れるために死を考えるような性格だったのだ。

 また、芸能人は大なり小なり、生まれ育った環境からの脱却を願ってデビューする。彼女の場合は、父方が教育者の多い家系で、本人も優等生だった。その環境や立場の息苦しさが芸能や芸術への憧れを強め、猛反対を押し切っての芸能界入りにつながっていく。

 ただ、芸能人になったところで生きづらさが完全に消滅するわけではない。結局、彼女はまた死にたくなってしまったということだろう。偏差値世代の挫折などともいわれたそんな彼女のありように、子供や若者たちが共鳴したのが「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた現象だ。この年の初めから目立ち始めていた若年層の自殺は、彼女の死によってさらに激増する。

■いきなり生々しい人間じみた姿を


メディアや世間はその現象に畏れおののき、彼女の死は「怪談」となる。まずは、死んだはずなのに歌番組に映っていたという噂が広まった。古くは菅原道真や平将門の怨霊伝説が示すように、こういうことは珍しくない。ただ、彼女は祀られるかわりに、禁忌となり、生前の姿や業績は十数年にわたって芸能界的に封印された。

 また、死の14年後にはチーフマネージャーをしていた男性が同じビル内のトイレで自殺。メディアは「呼び寄せたのか」と報じた。さらに 、彼女が卒業した堀越高校芸能コースの同期には、若死にが相次いでいる。20人足らずのなかで、本田美奈子と菊地陽子(ともに白血病 )、松本友里(自殺)が40代前半までに旅立った。

 とはいえ「怪談」だったのは彼女の死そのものかもしれない。いつも可愛い服を着て笑顔で歌っていた少女が突然、ビルから飛び降りて地上にたたきつけられ、血液や脳みそまで飛び散った遺体写真がメディアを通して紹介された。お人形のような偶像だったはずのアイドルが、いきなり生々しい人間じみた姿をさらけだしたのである。

 ただ、生身の彼女を知る人にとって、その死は怪談ではない。それぞれが懐かしい思い出を抱えながら生きている。たとえば、ある業界人は彼女とたわむれに結婚の約束をした話を語った。「私って結婚できない気がするなぁ」「じゃあ、僕と結婚しようか」といった流れで指切りをしたのだという。

 このエピソードを聞いたとき、渡辺淳一の自伝的小説「阿寒に果つ」を思い出した。天才少女画家と謳われながら、18歳で自殺した加清純子をモデルに書かれたものだ。渡辺にとって初恋の人だったというが、他にも多くの男性と交友していた。小説は渡辺自身を含め、彼女と関わった人々がそれぞれの思い出を語る構成になっていて、若くして自殺するような女性ならではの不安定で儚い魅力が浮き彫りにされている。

 渡辺といえば「失楽園」をはじめ、自殺の話を好む作家だが、そこにはこうした原体験も影響しているのだろう。かく言う筆者(宝泉)もまたしかり。デビュー前に偶然街で出会ったり、インタビューをしたり、追悼本を作ったりという程度の関わりだったが、21歳で遭遇した岡田有希子の死が、その後の人生にもたらした影響は小さくない。

 たとえば、拙著『痩せ姫 生きづらさの果てに』に登場する22歳の拒食志向のある女性は、名前の読みが彼女の本名(佐藤佳代)と同じだった。それゆえ、親近感を覚えたようで、こんなことを口にした。

「18歳で人生のときを止めることができたことをうらやましく思います。ものすごく不謹慎ですけど」

 じつは生きづらさと死をめぐる構図において、自殺願望と拒食志向は通じるところがある。このふたつは筆者にとって重要なテーマで、前者については34年前に目にした彼女の悲劇と無縁ではない。その最期にどこか導かれるようにして、執筆活動を続けてきたという意味で、彼女は人生の恩人でもある。

 とまあ、最後に自分語りをしてしまったが、なんにせよ、彼女はアイドルとしても生身の人間としても素敵な存在だった。だからこそ、彼女を覚えている人たちのなかで今も生き続けているのだ。

文/宝泉 薫


1986年アイドル自殺で30人以上の若者が後追いで亡くなる

2020年10月02日 06時47分39秒 | 事件・事故

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年(昭和42年)8月22日 - 1986年(昭和61年)4月8日)は、日本のアイドル、歌手、タレント、女優である。本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称はユッコ(Yukko)。
愛知県一宮市生まれ、同県名古屋市熱田区育ち。名古屋市立向陽高等学校を経て、堀越高等学校卒業。
サンミュージックに所属していた。
1984年に音楽賞などの新人賞を総なめにして「ポスト松田聖子」と期待されていたが、1986年に飛び降り自殺した。
当時は若者の相次ぐ自殺が社会問題となり、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた。

急死
『Heart Jack』がスタートして3日後の1986年4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。
2階上のマンション住民がガス臭に気付き、管理人が110番と東京ガスに通報した。
レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり泣いていたという。
北青山病院(東京都港区北青山)で治療を受け、当時東京都新宿区四谷にあったサンミュージック本社に戻った直後、12時15分に本社ビルの屋上から飛び降り自殺した。
享年20(満18歳没)。
遺書とみられる鉛筆書きの便箋が残されていた。
サンミュージック専務・福田時雄は「岡田が何に悩んでいたかは分からないが、感情の起伏が激しい子だった」と答えた。
ウェルテル効果とみられる若者の相次ぐ自殺が顕著となり、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた。
岡田を可愛がっていた共演者の近藤真彦と中森明菜が思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思い留まるよう訴えた。
4月21日にはサンミュージックの先輩・森田健作がワイドショー『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ)の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えた。
岡田の死は国会でも取り上げられ、4月9日の衆議院文教委員会では江田五月の質問に文部大臣・海部俊樹が答弁した。
同年2月1日に「中野富士見中学いじめ自殺事件」が起こっていたこと、若者の自殺の連鎖が止まらないこともあり、4月25日に衆議院文教委員会と参議院特別委員会で「青少年問題」として議題に取り上げられ、最善策を審議することとなった。
1986年(昭和61年)の日本国内における若者の自殺は800件を越えた。

自殺の原因については様々な噂が出たものの、真相は不明である。
岡田が相澤宅で下宿していた時期と重なる桑田靖子・滝里美・橋本美加子は女性週刊誌『週刊明星』(集英社)の取材で、岡田の多忙による睡眠不足や男性との交際が苦手だったこと、好きな芸能人については語ったものの、岡田が悩んでいることには気付かなかったという。
2000年(平成12年)には、岡田の元チーフマネージャーであった取締役制作部長が首吊り自殺をしている。
2013年(平成25年)12月10日放送の単発特別番組枠『カスペ!』(フジテレビ)では、サンミュージック社長・相澤の死去までの10日間を追ったドキュメンタリー『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が特集され、「伝説の美少女アイドル」として岡田の話題も取り上げられた。
そこでは、相澤が岡田の死を止められず生涯悔やんでいたこと、岡田がサンミュージックの後輩・酒井法子にプレゼントしていた写真パネルを社長室に飾っていたこと(後述)、毎年手帳を新調するごとに岡田の写真を表紙裏に貼って絶えず持ち歩いていたことが紹介された。


性暴力を受けた少女は「交際」と信じた 教師のわいせつはなぜ裁かれなかったか

2020年10月02日 04時16分06秒 | 事件・事故

2020年10月1日 20時41分 FNNプライムオンライン 
性暴力を受けた少女は「交際」と信じた 教師のわいせつはなぜ裁かれなかったか 

中3の少女に起きた性暴力
中学の卒業式の前日だった。

「美術展のチケットがあるんだ。」

15歳の石田郁子さんはその日、美術の男性教師に誘われて美術館に出かけた。
美術科のある高校への進学も視野に入れていた石田さんは、受験のために絵を描いてはその教師に見てもらっていた。
上達を褒められ、嬉しくなってまた描いて見せるという日々。


この教師をXと呼ぶことにする。
当時28歳のXは他の生徒にさほど人気があるわけではなかったが、石田さんにとっては美術の知識の豊富な、たまに冗談を言うおもしろい先生で信頼していた。


美術館で腹痛を訴えた石田さんをXはなぜか自分の一人暮らしの自宅に車で連れて行った。
Xの自宅で画集などを見ていた石田さんの顔に、突然Xが顔を近づけてくる。

「このままでは唇がくっついてしまう」

そう思って咄嗟に避けた。が、その直後、
「いきなりキスしようとしたのは悪かった。実は好きだったんだ。」
Xはこう言って石田さんに一方的にキスをした。
そして過呼吸になり、泣き出した石田さんを横にして体を触った。
石田さんの頭は空っぽになり、何が起こったのか全くわからない状態になってしまった。

性被害ではなく「交際」と信じた少女
Xは約5年に渡り石田さんに性暴力をふるい続けた。
だが当時の石田さんは自分が「暴力」を振るわれているとは思っておらず「交際」していると信じていたのだ。


Xは巧妙に石田さんの心理を操っていた。

「そのうち結婚を前提としたお付き合いになるだろうね。」
「好きな気持ちが強いからこそ、服を着てない状態で触れたい、性的なことをしたいんだ。」
そう言い続けた。

15歳といえば、精神的・社会的にまだまだ未熟だ。
石田さんは男性と付き合ったこともなく、常にXからの指示で行動していた。
それはまさに「教師」と「生徒」の支配関係に他ならない。


振り切れた少女の“はかり” そして・・・
石田さんの感情と記憶は、覆い隠された不安によって急速に躍動を失っていく。
それまでの中学生らしい「楽しくて気楽な気持ち」から常に「不安やシリアスな気持ち」へ。
なぜ楽しくないのか、当時の石田さんはわからなかった。
Ⅹの部屋の間取りや家具などはよく覚えているが、自分が一体どんな感情だったのか思い出せない。


「重すぎるものを乗せると‘はかり‘が止まってしまうように、私の気持ちの‘はかり‘も振り切れてしまっていたのでしょう」と石田さんは振り返る。


大学2年のとき、Xとの関係は終わった。
石田さんが性交痛を訴えると連絡が来なくなったのだ。

この教師Xは、まだ北海道札幌市の中学で教壇に立っている。

大人になって“性暴力”と気づいた
Xの行為が犯罪だと知ったとき、石田さんは37歳になっていた。
偶然傍聴した裁判の例があまりにも自分のそれと似ていたことに衝撃を受けた。
養護施設の職員が施設に通う16歳の少女にわいせつな行為をした罪に問われたものだが、加害職員は「恋愛だった。同意があった。」と言ったのだった。

石田さんは裁判所から泣きながら帰った。
なぜ涙が出るのか、なぜ具合が悪くなるのか、わからなかった。

「それまで大した問題ではないと思っていました。学校の先生が悪いことをするという発想がありませんでした。犯罪って、テレビに出てくるような悪い人たちだけのものだと思っていたんです。」

石田さんは初めて、事の重大さに気づいたのだった。
被害から20年以上が経過していた。


教師との再会
傍聴から7カ月後、石田さんは故郷の札幌で加害教師Xを呼び出した。
証拠をとるためだった。

そうとは思わないXは、久しぶりの石田さんとの時間に、むしろ楽しそうにやって来た。
当初こそ積極的にしゃべっていたXだが、石田さんがXの過去の行為について事実確認を始めると、それを認め謝罪をしたうえでこう言った。

「やってしまったものだから、ね、それを、ね。思いつくことが本当ないんだけれども、では、あなたのカウンセリングのね、費用を払うとか」

石田さんはこの音声データを札幌市の教育委員会に提出し、Xへの適切な処分を求めた。
しかし教育委員会の返答はこうだった。

「その教師が否定しているので事実かどうかわからないので懲戒処分はできない。」

Xは教育委員会に「石田さんが昔から精神的に不安定であり、性的に逸脱している人間で、この音声データの受け答えも石田さんの作り話に合わせただけ」と主張したという。


PTSDを発症 提訴したものの
「自分が普通に生きることすら否定されたような気持ちになりました。」

石田さんはこの後数年間、絶望の中、ただただ「生活するだけ」の日々を送った。
見る目がなかった自分がバカなのだと自信を失い、自分が嫌になっていた。

教育委員会との面談の頃からフラッシュバックも起こり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した。

それでも、石田さんの胸にはひとつの思いが芽生え始めていた。

提訴だ。黙っているのはもう耐えられなくなっていた。


「加害者の教師が嘘をつけば懲戒処分を免れるという加害者に有利な状態はおかしい。その教師が今でも中学校で生徒と接していて、生徒が何も知らないで学校に行っていて、教育委員会も黙っている。この情景を想像して、黙っているのに我慢できなくなりました。私が提訴に至った一番の理由です。」

2019年2月。
札幌市と加害教師Xを相手取り、石田さんは損害賠償を求める裁判を起こした。
2016年に診断されたPTSD(心的外傷後ストレス障害)発症時を起点とした。
本来なら15歳の少女に性的暴行をしたXの行為そのものを問いたかったが、刑事法でのわいせつ行為の公訴時効は7年、民事でも20年の壁に阻まれた。

結果は、石田さん側の敗訴。

判決では、「石田さんがPTSDかどうかは疑わしく、過去のわいせつ行為を基準とすると訴える権利を行使できる期間は過ぎている」とされた。
加えて、「大学生になっていた石田さんは性行為の意味を十分理解している」とされた。


「行為の理解」と「被害の認識」は別の話だ
「裁判官は、こんなに時間が経過してからPTSDになることが本当にあるのかと。事件があったのかということと論点がずれているように思います。それに大学生になっていたから分かるだろうと。かなり乱暴な判決で、非常に傷つきました。」

性的な意味を理解することと、被害を認識することは異なる問題だ。

なお一審勝訴の加害教師Xは裁判で石田さんについて、「中学時代は顔も名前も覚えていない大勢の生徒の一人」で、「石田さんが大学に入ってから石田さんの方から『ずっと好きだった』と告白され付き合い性交した」と主張している。

石田さんは一審を不服として控訴し、現在は高裁での判決を待つ身だ(12月15日判決予定)。先日行われた第二回期日は私も傍聴したが、石田さん側は証拠調べや証人尋問を求めたが、裁判長は「次回は判決を言い渡します」と述べてわずか数分で終わった。

性暴力が、その後の人生を狂わせた
石田さんのこれまでの話を読み、皆さんはどう感じただろうか。

石田さんが遭ってしまった性暴力、その後の生活、そして裁判での戦い。
日本の社会が抱えるいくつもの深い問題が、石田さんの人生をさらに難しくしているのではないかと私は思う。

知人からの性被害はそれが「犯罪」だと気づくまでに時間がかかることもある。
ときには数十年かかるというケースはこれまで多く報告されている。
にもかかわらず法で裁くためには時効の壁がある。
気づいた時にはもう加害者を罪に問うことができないことが多い。


2017年に110年ぶりに刑法が改正されたが、教師などの対等ではない関係を利用した性行為について、「暴行や脅迫」がなければ被害者が同意したとみなされ罪に問うのが難しい現状。

法律では性交同意ができる年齢を「13歳」としていて、石田さんは当時、15歳だった。
もし同じようなことが15歳のあなたにふりかかったら。娘、妹、大切な誰かだったら。
「ああ恋愛なんだね」と言えるだろうか。

証拠を提出して訴えたにもかかわらず「加害教師が否認しているから処分できない」という教育委員会、教育界に問題はないのか。
誰のために存在する組織なのだろか。

日本の性教育が大きく遅れているため教師などから性暴力を受けた際にすぐに気づけないとの指摘もある。実際性教育について日本は「後進国」と呼ばれている。

石田さんが戦っているのは、ざっと挙げただけでもこれだけ多くの、手ごわい制度や慣習や法律だ。
これまでも多くの被害者が直面し、苦しみ、問題だと指摘してきたことだ。

なぜ、被害者がここまでの負担を引き受けなくてはならないのだろうか。
被害に苦しみ、PTSDに苦しみ、心無いバッシングも受けることさえある。
そのうえ裁判でのハードルは高い。

石田さんが実名を公表し顔を出して訴えなくてはならなかった現実を、私たちは今度こそ直視し、訴えに真剣に耳を傾けなければならないと思う。
2017年の法改正で3年後をめどに検討を求める付則がつけられた。
教師など対等でない立場を利用した性行為を罪に問えるかどうかなどの「積み残し」を今まさに法務省で検討しているところだ。
注視していきたい。

【執筆:フジテレビ アナウンサー 島田彩夏】

FNN「Live News days」では、子どもの性被害をめぐる問題について皆さんのご意見を募集しています。ツイッターのハッシュタグ、 #デイズ子どもを守ろう までご意見をお寄せください。

 


杉田水脈議員、ブログで謝罪も…発言そのものの撤回には言及せず 杉田水脈議員、ブログで謝罪も…発言そのものの撤回には言及せず

2020年10月02日 03時59分59秒 | 事件・事故

FNNプライムオンライン

 
「女性はいくらでも嘘をつける」と発言した杉田水脈議員
1日にブログで、女性を蔑視する意図はなかったなどとして謝罪
ただ、発言そのものの撤回については言及しなかった
 
◆杉田水脈議員、批判のあった発言を謝罪
 
女性を蔑視する意図はまったくございません
渦中の人物、自民党の杉田水脈衆院議員(53)。
微笑む姿をブログのトップ画像にしているが、10月1日の更新内容は笑えないものだった。
 
9月25日、自民党の会合に出席した杉田議員は、性暴力などをめぐり「女性はいくらでも嘘をつける」と発言。批判の声が広がった。しかし26日には、「女性を蔑視する趣旨の発言はしていない」とブログで発言を強く否定。
 
そして30日も...。
 
 
杉田水脈議員(「女性はいくらでも嘘をつける」という発言はあった?)ないです」
 
「発言はしていない」ときっぱり。
 
また、幹部との面談後にはこのように述べた。
 
杉田水脈議員「ブログでしっかりと書いていきたいと思っております」
 
そして、一夜が明けた10月1日、そのブログの中で一転して発言を認める事態となった。
 
「事実と違っていたことをお詫びいたします。女性を蔑視する意図はまったくございません。(中略)嘘をつくのは性別に限らないことなのに、ご指摘の発言で女性のみが嘘をつくかのような印象を与えご不快な思いをさせてしまった方にはお詫び申し上げます」(杉田水脈議員の10月1日のブログより)
 
誤った印象を与えたことについては謝罪。
ただし、発言そのものの撤回には言及しなかった。
 
これに対し野党側は...。
 
立憲民主党・安住淳国対委員長「嘘ついてごまかしていて、議員としての資質が問われる」
 
政府与党内からも「必要な説明を行うべきだ」という声が上がる中、自民党からはこれで十分とする声も聞かれた。
 
自民党・中谷元元防衛相「政調会長が話をしてですね、その後ブログなどで対応したということでありましたので、本人なりにですね、こういう形でケジメをつけて自分でいかれたと思います」
 
街の人はこう見ている。
 
20代女性「男尊女卑じゃないけど、そういう考え方を持ってる人なんだなって。なんかかわいそうな人だなみたいな」
 
60代男性「女性は嘘をつくってことをまさに自分が体現したということじゃないですか。皮肉っぽい言い方をすればですね」
 
70代女性「議員だからね、言うべきことではないわね...と思いますけど」
 
杉田議員の事務所によると、今回の件を説明するため、あらためて記者会見などを開く予定はないという。
------------------------------------------------------------
 

ー小倉智昭氏、自民党の杉田水脈衆院議員の「女性はいくらでもうそをつける」発言に「古い考え方のおっさんがする発言で驚くんだよ」

2020年10月1日 9時30分

 1日放送のフジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜・前8時)で、性犯罪などをめぐって、自民党の杉田水脈衆議院議員が「女性はいくらでもうそをつける」と発言したとされる問題を報じた。

 杉田氏は先週開かれた党の会合で、性犯罪などをめぐって「女性はいくらでもうそをつける」と発言したとされ、杉田氏本人は否定している。

これについて下村政務調査会長が30日午後、党本部で杉田氏本人から事情を聴き、この中で杉田氏が「女性の蔑視を意図した発言はしていない」と説明したのに対し、下村氏は「一連の報道を招いたことは、今後の自由かったつな議論を萎縮させかねず、発言の真意が正確に伝わるよう、より丁寧に説明することが必要だ」と述べ、口頭で注意したことを明かした。

杉田氏は記者団に対し「注意を受けたので、今後はブログでしっかり書いていきたい」と述べたが、その後の記者団からの質問には応じなかった。

 小倉智昭キャスターは今回の問題に「杉田議員のこれまでのヤジだとか発言とかいうのは古い考え方のおっさんがするような発言で驚くんだよね」とコメントしていた。

外部サイト


岐阜の歯科医「ネット中傷で名誉毀損」 同業他院に賠償命令 名古屋地裁判決

2020年10月02日 03時57分37秒 | 事件・事故

2020年10月1日 18時7分 毎日新聞 

 インターネット上の中傷記事で信用を傷つけられたとして、岐阜市の歯科医院「コメット歯科クリニック」が、岐阜県各務原市の歯科医院院長らに1億円の損害賠償を求めた訴訟で、名古屋地裁(加島滋人裁判長)は1日、「社会的評価を低下させた」として、院長と名古屋市のインターネット広告業者に慰謝料など240万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

判決によると、2014年1~2月、院長から依頼されたインターネット広告業者がネット掲示板「2ちゃんねる」などに「患者をだまして高額なお金を得る、詐欺行為」「まるでカルト宗教」といったクリニックを中傷する記事を投稿した。
判決はこれらの投稿を「人格攻撃であり、意見や論評の域を逸脱している」などと指摘し、名誉毀損(きそん)の賠償責任を負うとした。

 クリニックは投稿により収益が落ち込んだと訴えていたが、判決は「投稿の閲覧回数などから収益減少に結びついたとは認められない」と退けた。

 クリニックの金光琢磨院長は「私どもの名誉を挽回する判決で評価している。ネットによる中傷の犠牲者が今後出ないよう、社会に警鐘を鳴らしたい」と話した。一方、院長とインターネット広告業者はそれぞれ判決を精査して対応するとした。【井口慎太郎】


日本学術会議」会員 任命見送りは「不当な政治介入」と松宮教授

2020年10月02日 03時53分26秒 | 事件・事故

2020年10月1日 15時6分 共同通信 
 立命館大法科大学院の松宮孝明教授は1日、政府が「日本学術会議」会員への自身の任命を見送ったことについて「学問の自由に対する不当な政治介入だ」と批判した。共同通信の取材に答えた。

外部サイト

 


菅首相、日本学術会議「推薦候補」6人の任命拒否 「共謀罪」など批判、政治介入か

2020年10月02日 03時45分54秒 | 事件・事故
 
首相 学術会議候補6人の任命拒否
 
 
2020年10月1日 14時57分 毎日新聞 
 
 政府から独立した立場で政策提言をする科学者の代表機関「日本学術会議」が新会員として推薦した候補者105人のうち、6人を菅義偉首相が任命しなかったことが明らかになった。「学者の国会」と呼ばれ、高い独立性が保たれる学術会議の推薦者を首相が任命しなかったのは、現行の制度になった2004年度以降では初めて。
 
<学術会議に政権の人事介入 揺らぐ独立性>
 
 政府は拒否した理由を明らかにしていないが、6人の中には、安全保障関連法や「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法を批判してきた学者が複数含まれている。関係者の間では、学問の自由への政治介入との見方が広がっている。
 
 日本学術会議法は「優れた研究、業績がある科学者のうちから会員候補者を選考し、首相に推薦する」と定めており、推薦に基づき首相が会員(210人)を任命する。任期は6年で3年ごとに半数を改選している。
 
 関係者によると、推薦されながら任命されなかったのは、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)▽岡田正則・早稲田大教授(行政法学)▽松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)▽加藤陽子・東京大教授(日本近代史)▽宇野重規・東京大教授(政治学)▽芦名定道・京都大教授(哲学)――の人文・社会科学系の6人。学術会議は今年9月末で会員の半数が任期満了を迎えることから、8月31日に6人を含む計105人の推薦書を首相あてに提出したが、9月末に学術会議事務局に示された任命者名簿には6人を除く99人の名前しかなかったという。新会員99人は1日付で任命された。
 
 1日に東京都内で開かれた学術会議総会で、9月30日付で退任した山極寿一・前会長は「(1949年の)創立以来、自立的な立場を守ってきた。説明もなく任用が拒否されることは存立に大きな影響を与える」と危機感をあらわにした。9月30日に、菅首相に対し文書で理由の説明を求めたという。一方、加藤勝信官房長官は1日の記者会見で「個々の選考理由は人事に関することでコメントを差し控える。直ちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べた。【池田知広、柳楽未来、岩崎歩】

外部サイト

「日本学術会議」をもっと詳しく

  • 立命大・松宮教授「不当な政治介入だ」自身の任命見送りで政府を批判
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「すくえた命」太宰府市主婦暴行死事件(4) 届かなかったSOS 動かなかった警察

2020年10月02日 03時39分53秒 | 事件・事故

テレビ西日本

2020年10月1日 木曜 午後8:15

▼瑠美さんの母親
「やはり警察が、もっと早く手を打ってくれたら、ここまではならなかった。それはずっとあります」
▼夫・裕さん
「あのとき動いてくれていたら、こんなこと何ひとつ起こらなかったんだろうな」
家族が高畑瑠美さんの異変を確信したのは、事件が起きる4カ月前だった。
▼瑠美さんの母親
「瑠美が交通事故を起こして、瑠美に示談金というか、そんな感じで渡しているんですけど、相手からもらった示談書の住所とか名前を調べたら全然偽物だった」
瑠美さんが事故を偽装し、家族から400万円近い金をだまし取っていたことがわかったのだ。
これに加え、勤務先からの電話が危機感をさらにあおった。
▼瑠美さんの母親
「瑠美が2カ月くらい無断欠勤とか、目がうつろだったりしておかしいから、何かやっているんじゃないかとか、迷惑電話が山本からかかってくると」
真面目で家族思いだった瑠美さんに起きた変化。
家族は鳥栖警察署を訪ね、瑠美さんに多額の金を無心されていることや背後に山本被告がいることを相談した。
しかしー。
▼遺族「瑠美を山本から引き離して欲しいんです。警察は動いてくれないんですか?」
▼警察「警察としては動けないです」
▼遺族「どうして?」
▼警察「家族間の問題でしょ?山本って人と一緒にいるのは瑠美さんの意思じゃないんですか?」
▼瑠美さんの母親
「それは事件にならないとか、証拠とかないし、家族間のことだからできないとか、そういう言い方しかしてもらえなかった」
それからほどなくして、瑠美さんは夫と暮らすアパートから出て行き、行方がわからなくなった。
事件が起こる2カ月前。
瑠美さんを探していた瑠美さんの妹は、ついに山本被告の家を突き止める。
するとそこに1台の車が現れた。
▼妹
「瑠美姉!瑠美姉!」
車を運転していたのは瑠美さんだ。
▼妹
「家のこととかお金のこととかしっかり説明して」
しかし、瑠美さんはうつろな目をしたまま、ほとんど反応がなかったという。
▼瑠美さん
「なんで家に来たん?山本さんと話して」
妹によると、瑠美さんはすでに、自分の意思で話すこともできなくなっていたという。
家族は自分たちでできることの限界を感じ、再び相談に訪れたが…
警察が動くことはなかった。
一方、その頃、山本被告たちからの金の要求はエスカレートしていた。
夫・裕さんの自宅や会社には山本被告の車がうろつき、暴力団を名乗る田中政樹被告からも金を支払うよう電話で何度も脅された。
恐怖におびえる中、裕さんはこの事態を打開しようと「ある行動」を取った。
▼夫・裕さん
「山本たちから電話がかかってきたときに、その会話を録音しました」
脅迫電話
▼山本被告「あなたに貸したお金はきちんと返済してくださいと約束しておりますので、返済をして下さい」
▼田中被告「弁護士入れたところで@×▼★□@×▼★□」
▼山本被告「これが脅しとか言うんやったらゾッとするわ、マジ」
ようやく手にした脅迫の動かぬ証拠。
これで、警察も「山本被告たちを捕まえてくれるはず」と被害届を提出しに行った。
しかしー
▼夫・裕さん
「録音時間が3時間ということで長い。恐喝にあたる文言が、どこの何分に、どういう風に言葉を発したか、わかりやすいようにして警察署に持ってきてくれと言われました」
音声データをすべて聞くことなく、被害届の提出を断ったばかりか、職務放棄とも取れるこんなやりとりもあったと遺族は主張している。
▼警察「このデータを文字に起こして、どれが恐喝で、どれが脅迫で、どれが強要に当たるのか、印を付けてきて下さい」
▼遺族「そんなの素人に分かるわけがないじゃないですか」
▼警察「いまはネットで調べられますから」
▼夫・裕さん
「警察署を出て行くときは放心状態に近かった。怖くて助けて欲しくて警察に行っているのに、警察が動いてくれなかったらどうしたらいいんだろうって」
4カ月の間に11回。
遺族が鳥栖警察署を訪ね、助けを求めた回数だ。
しかし、遺族のSOSもむなしく、この僅か1カ月後に瑠美さんは無残な姿で見つかってしまった。
▼瑠美さんの母親
「もう今まで見てきた瑠美じゃない姿をしていました。1番に頼るのは警察。警察を信頼しているから頼みに行くんですよね。人の命を預かる職業だからもっと真剣に私たちの言うことを聞いて欲しかった」
瑠美さんの死後、福岡県警がこの音声などをもとに山本被告らを恐喝未遂事件として立件した。
それだけに遺族は、佐賀県警の対応に今でも疑問を持ち続けている。


被告に取り込まれ…一家をのみ込んだ脅迫・洗脳 警察も予想外の対応 太宰府市主婦暴行死

2020年10月02日 03時37分23秒 | 事件・事故

9/30(水) 12:31配信

FNNプライムオンライン

「頼れる妻」が…幸せな家庭を襲った事件

2019年10月20日、福岡・太宰府市にあるインターネットカフェの駐車場で1人の女性の遺体が見つかった。

【社会】「マインドコントロールされていた」被害女性の兄が証言

佐賀・基山町の主婦・高畑瑠美さん。当時36歳。全身に木刀などで殴られあとがあり、無残で痛々しい姿は、対面した遺族が瑠美さんと分からないほどだった。

福岡県警はその後、男女3人を逮捕する。

太宰府市の無職・山本美幸被告(41)と岸颯被告(25)。筑後市の元暴力団組員・田中政樹被告(47)。3人は、傷害致死や死体遺棄などの罪で起訴され、いずれも起訴内容を否認している。

この事件は、「被害者と被告らのいびつな関係」がある特異なものだった。家庭を持つ瑠美さんが、山本・岸両被告と奇妙な同居生活を送っていたのだ。

瑠美さんは、なぜ赤の他人と同居していたのか?

1年にわたって事件の関係者への取材を重ねた結果、非常に複雑な人間関係と一家をのみ込んだ山本被告たちの脅迫や洗脳、そして支配の構図が浮かびあがってきた。

高畑瑠美さんの母親:
今でもまだ娘が亡くなっているとは思えません

高畑瑠美さんの夫・高畑裕さん:
助けてほしくて警察に行っているのに、警察が動いてくれないんだったら、どうしたら良いんだろう

福岡県警は、遺体が見つかった車に同乗していた太宰府市の無職・山本美幸被告ら男女3人を傷害致死などの罪で逮捕した。

夫と子ども2人の4人家族だった瑠美さん。長距離トラックのドライバーで、家を空けることが多い夫の裕さんにとって、留守を任せられる「頼れる妻」だった。

高畑瑠美さんの夫・高畑裕さん:
無理だけはせんようにとか、寝不足にならないようにとか、そこら辺を気を遣ってくれていた。家のことを何でも自分からよくやってくれるいい嫁でした

目を疑うような写真 被告との奇妙な同居
どこにでもある幸せな家庭だったはずが、事件が起きる数カ月前、瑠美さんは、突然家を出て行ったという。

記者:
被害に遭った女性と被疑者数人が、こちらの建物に住んでいたとみられます

太宰府市にあるアパート。家を出た瑠美さんが、山本被告や岸被告と生活を共にしていた場所だ。

瑠美さんは、なぜ赤の他人と奇妙な同居生活を送っていたのか?

そのきっかけは、瑠美さんの兄の「金銭トラブル」だった。

高畑瑠美さんの夫・高畑裕さん:
兄のことで、(山本被告から)お金の請求が度々あった

瑠美さんの兄は、約10年前に失踪。山本被告は、兄の借金が残っているとして、保証人でもない妹夫婦にその借金を肩代わりさせていた。

瑠美さんは、その返済に苦心していたというが、取材を進める中で目を疑うような写真を入手した。事件の半年前に撮られた山本被告と瑠美さんが肩を並べて酒を飲む写真だ。

金を取り立てられていたはずの瑠美さんは、いつの間にか山本被告に取り込まれ、家族に金を要求する側に回っていたのだ。

瑠美さんの母親は、その時の様子を今でも不審に思っている。

高畑瑠美さんの母親:
瑠美が電話をしてきた時に、後ろで何か聞こえるんですよね。誰かがいるみたいな。誰かに言わされている、そんな感じがした

これは暴行現場のアパートで見つかった瑠美さん直筆のメモ。

(暴行現場で見つかった瑠美さんのメモ)
この前、メールで借金取りって言ったんだけど、実は使い込んだもので、お金を返してって言われとると。30万を返してって言われているから準備してほしい

母親に金を要求するための文言が、一言一句書いてある。まるで何かの「手引書」のようだ。

 


太宰府市主婦暴行死事件(3) 「人の皮を被った化け物」山本美幸被告 その驚愕の手口と‟本性”

2020年10月02日 03時35分43秒 | 事件・事故

10/1(木) 18:31配信

FNNプライムオンライン

2019年10月、太宰府市で無残な遺体となって見つかった主婦の高畑瑠美さん(当時36歳)。この事件では、瑠美さんと奇妙な同居生活を送っていた山本美幸被告と岸颯被告、そして元暴力団組員の田中政樹被告が、傷害致死や死体遺棄などの罪でそれぞれ起訴されている。

【画像】被告と同居して、その後死亡した女性がもう1人いた!

主犯と目されている山本美幸被告はどんな人物だったのか?

取材を進めると「一匹おおかみ」だった少女が「女帝」へと変貌した過程の一端が見えてきた。

取材班は、共犯者として起訴された岸颯被告にも取材。

すると、3年前に瑠美さんと同じように同居をさせられ、その後、不審な死を遂げた女性がいたことも新たにわかった。

主犯とされる山本美幸被告の人物像
山本美幸被告:
起訴されているすべての内容は間違いで無罪です

弁護士を通じて行ったテレビ西日本の取材に対し、事件について関与を全面否認した山本美幸被告。一方、共犯者として起訴された男は山本被告についてこう語る。

岸颯被告:
山本美幸という人間は、人の皮を被った化け物ですよ

20代のころから、貸金業を生業としていた山本被告。

その姿は、九州最大の歓楽街・中洲で頻繁に目撃されていた。中洲のホストクラブで「みゆ姉」と呼ばれ、羽振りの良さはホスト業界で有名だったという。

ホスト関係者:
いろんなホストを連れて飲みに行ってドンパチして。最低でも10万円は堅いっちゃないかな。ほぼ毎日のように飲み歩いてたんじゃないか

多くの債務者から搾り取ったとみられる金で、派手に飲み歩く生活。

さらに山本被告は、その飲食代を「新たな恐喝」に利用していたと、かつて同じ被害にあった高畑瑠美さんの兄、亮太さんは証言する。

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
飲み行くよっていう風に言われてて、お金が無いけど行って良いんですか?って言ったら「構わん、構わん」と言われてたのでついて行ったが、「あのときのお金出してたわけやけん、お金出して」というのは言われた

「おごるから大丈夫」と連れ出しながら、後日「飲み代が未払いだ」として架空の借金を背負わせる。

そして、トラック運転手の田中政樹被告に暴力団員を演じさせ、相手を追い込んでいくのがいつもの手口だったという。

 


太宰府市主婦暴行死事件(2) 失踪“させられていた”兄「給料を搾取され地獄の生活だった」

2020年10月02日 03時31分10秒 | 事件・事故


テレビ西日本

2020年9月30日 水曜 午後6:30

2019年に起きた無残な暴行死事件
太宰府主婦暴行死事件。2019年10月、太宰府市で佐賀・基山町の主婦・高畑瑠美さん(当時36歳)が無残な遺体で見つかった。

1カ月にわたって監禁されていた瑠美さん。バタフライナイフや割り箸で下半身を突き刺されたほか、木刀やマイクで殴られる暴行を繰り返し受けたとされ、死因は外傷性ショックだった。

福岡県警はその後、瑠美さんと同居していた山本美幸被告と岸颯被告、そして、トラック運転の田中政樹被告を逮捕、3人は傷害致死や死体遺棄などの罪で起訴されている。

普通の主婦がなぜ、赤の他人である被告たちと同居をし、亡くなることになったのか。
取材を進めると、実は家族の中で瑠美さんよりも先に被告たちと接点を持った人物がいた。瑠美さんの実の兄・亮太さんだ。
亮太さんは山本被告に借金をし、10年前に失踪したとみられていたが、その亮太さんと接触することができた。そこで語られたのは、亮太さんは「失踪していた」のではなく、「失踪させられていた」という衝撃の事実だった。
実の兄にインタビューするため広島へ
10年にわたって家族の元から失踪していた高畑瑠美さんの兄・亮太さん。事件後、カメラの前で初めて取材に応じ、山本被告との関係について語った。
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
自分が(山本被告に)出会わなかったら、もしかしたら瑠美は亡くならなかったのかもしれない。自分が事件が起きたときまで働いていた広島の造船所の工場です。(山本被告に)私が世話するところに紹介するけんみたいなことを言われた

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
24、25歳くらいの時に地元にあった焼き肉兼居酒屋で働いていたときに山本被告が店に来て、再会したような感じ

兄・亮太さん:
山本さんですよね?

山本美幸被告:
亮太?覚えてるめっちゃ久しぶりやん

同じ中学校で亮太さんの2学年先輩だった山本被告。
学生時代は顔見知り程度だったというが、この再会を機に一緒に遊ぶようになったという。しかし、良好な関係が一変したのはわずか1年後のことだった。
山本美幸被告:
あんたが助けてやらんとどうするとよ?

当時、働いていた居酒屋の同僚が山本被告に借金をすることになり、その保証人になれと迫られた。
兄・亮太さん:
いや、本当に僕お金ないんで
山本美幸被告:
保証人になるだけやろうもん。あいつのこと信用できんと?
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
自分も逃げられなくなって、最終的に(借用書)を書かされた

しかし、同僚は失踪。最初は50万円ほどの借金だったはずが、さまざまな理由を付けられ、いつしか膨大な金額となった。

昼夜を問わず働かされることになった亮太さんだったが、「この男」の存在がさらなる窮地に追い込んだという。
兄・亮太さん:
失礼します
山本美幸被告:
この人が、まー兄たい

田中政樹被告:
おまえが亮太か
今回、共犯として逮捕された田中政樹被告。
山本美幸被告:
まー兄、やくざの幹部やけんね
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
2人に(別の従業員が)お客さんがいる前で、全裸にさせられたりとか、ライターの火を押し当てられたり、逃げたら周りに迷惑がかかってしまう
直接、暴力を振るわれることはなかったというが、周りに激しい暴力を振るい、亮太さんを恐怖に陥れた。

その一方で山本被告はこんな一面も見せた。
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
「あんた心配せんでよかよ」、「私が何とかしちゃるけん」と言われていた。「お姉さん」という感覚が強かった
田中被告への恐怖心と、対照的な山本被告の優しさ。
アメとむちを使い分けられた亮太さんは、いつしか山本被告に絶大な信頼を置くようになり、言われるがまま県外に住み込みで働きに出ることになった。

これが、当時の銀行の通帳。給料は、会社から直接山本被告の口座に振り込まれ、亮太さんは小遣い制だったという。

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
月に1万円かよくても3万円、少ないときは何千円とか。地獄だったと思います。生きた心地がしない。(総額で)3,000万とか4,000万とか、家一戸建つくらいは(山本被告に)渡している

親族までターゲットにする被告たち
また、山本被告は亮太さんに対して「あるルール」を課していた。
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
親には一切連絡取るな、家族に一切連絡するなと
実はこれには、亮太さんを孤立させる目的以外に、もうひとつ狙いがあったとみられる。山本被告は次なるターゲットを妹の瑠美さん夫婦に定めていた。

高畑瑠美さんの夫・裕さん:
(兄の)亮太の件で、お金ということで、600万円から700万円近くはある(山本被告に払った)

遺族によると、山本被告は亮太さんから給料などを搾取。その一方で家族には、亮太さんが失踪したように見せかけた。
そして今度は妹の瑠美さん夫婦からも亮太さんの借金名目で金を巻き上げ、二重取りをしていたとみられる。

そのことを知らず、長い間、山本被告の指示を忠実に守り続けた亮太さん。実は、瑠美さんが亡くなる2日前に電話で連絡を受けていたという。

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
山本被告から電話がかかってきて、「あなたのかわいい愛しいいとしい瑠美ちゃんに代わるね」という口調だった
山本美幸被告:
愛しのいとしの瑠美ちゃんに代わるね
高畑瑠美さん:
兄ちゃん?
兄・亮太さん:
瑠美?久しぶりやねどうしたん?
高畑瑠美さん:
わたしどうしよう、山本さんを怒らせてしまった
山本美幸被告:
こいつ、私の言うこと全然聞かんのよ、臭いし、どうにかならんの?

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
怒鳴ったような感じで言っていたので、瑠美が何も言えなくなっていた。「兄ちゃん、私、お母さんからも拒否されているし、妹や家族全員からはぶかれている」と
瑠美さんからのSOSを受け取ったはずの亮太さんだったが、そのとき口にしたのはまさかの言葉だった。
兄・亮太さん:
山本さんのいうことはちゃんと聞かんといかんよ

高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
マインドコントロールされていたんだと思います。「そんな瑠美ですが、迷惑かけているけどすみませんがよろしくお願いします」と(山本被告に)言ったのが最後

山本被告の支配が解けた今は、妹を救えなかった自分を責め続けているという。
高畑瑠美さんの兄・亮太さん:
やっぱり自分のせいやんと思う気持ちが強い。1番最後まで信用してくれていた妹だから余計に悔しい気持ちが強い

(テレビ西日本)

 


【独自取材】「すくえた命」太宰府市主婦暴行死事件(1) なぜ主婦は事件に巻き込まれたのか?謎に迫る

2020年10月02日 03時29分46秒 | 事件・事故

テレビ西日本

2020年9月28日 月曜 午後8:45

今週、5回にわたって「ある事件」について特集でお伝えします。
2019年10月、太宰府市で1人の女性の遺体が見つかりました。
佐賀県基山町の主婦、高畑瑠美さん・当時36歳。
全身に木刀などで殴られたあとがあり、その痛々しい姿は遺族が瑠美さんとわからないほどでした。
福岡県警はその後、男女3人を逮捕します。
太宰府市の無職・山本美幸被告と岸颯被告。
筑後市の元暴力団組員・田中政樹被告。

3人は傷害致死や死体遺棄などの罪で起訴され、いずれも起訴内容を否認しています。
私たちがこの事件に注目したきっかけは、「被害者と被告らのいびつな関係」でした。
家庭を持つ瑠美さんが、山本・岸両被告と奇妙な同居生活を送っていたのです。
瑠美さんはなぜ赤の他人と同居していたのか。

TNCでは、1年にわたって事件の関係者への取材を重ねました。
すると、非常に複雑な人間関係と一家を飲み込んだ山本被告たちの脅迫や洗脳、そして支配の構図が浮かびあがってきました。
この「太宰府主婦暴行死事件」について「すくえた命」と題して、5回にわたってお伝えします。
事件が起きたのは、2019年10月20日。
太宰府市にあるインターネットカフェの駐車場で、佐賀県基山町の主婦、高畑瑠美さん(当時36)が変わり果てた姿で見つかった。
捜査関係者によると、遺体には激しい暴行の痕が無数に残されていたという。
▼瑠美さんの母親
「今でもまだ娘が亡くなっているとは思えません」
▼瑠美さんの夫・裕さん
「助けて欲しくて警察に行っているのに、警察が動いてくれないんだったらどうしたら良いんだろう」
▼記者
「山本容疑者の身柄が検察庁に送られます」
福岡県警は、遺体が見つかった車に同乗していた太宰府市の無職、山本美幸被告ら男女3人を傷害致死などの罪で逮捕した。
夫と子供2人の4人家族だった瑠美さん。
長距離トラックのドライバーで家を空けることが多い夫の裕さんにとって、留守を任せられる「頼れる妻」だった。
▼夫・裕さん
「無理だけはせんようにとか、寝不足にならないようにとか、そこら辺を気を遣ってくれていた。家のことを何でも自分からよくやってくれるいい嫁でした」
どこにでもある幸せな家庭…だったはずが、事件が起きる数カ月前、瑠美さんは突然家を出て行ったという。
▼記者
「被害に遭った女性と被疑者数人がこちらの建物に住んでいたとみられます」
太宰府市にあるアパート。
家を出た瑠美さんが山本被告や岸被告と生活を共にしていた場所だ。
瑠美さんはなぜ、赤の他人と奇妙な同居生活を送っていたのか。
そのきっかけは瑠美さんの兄の「金銭トラブル」だった。
▼夫・裕さん
「兄のことで(山本被告から)お金を請求が度々あった」
瑠美さんの兄は約10年前に失踪。
山本被告は、兄の借金が残っているとして、保証人でもない妹夫婦にその借金を肩代わりさせていた。
瑠美さんはその返済に苦心していたというが、取材を進める中で目を疑うような写真を入手した。
事件の半年前に撮られた、山本被告と瑠美さんが肩を並べて酒を飲む写真だ。
金を取り立てられていたはずの瑠美さんは、いつの間にか山本被告に取り込まれ、家族に金を要求する側に回っていたのだ。
瑠美さんの母親は、そのときの様子をいまでも不審に思っている。
▼瑠美さんの母親
「瑠美が電話をしてきたときに、後ろで何か聞こえるんですよね。誰かがいるみたいな。誰かに言わされているそんな感じがした」
これは暴行現場のアパートで見つかった、瑠美さん直筆のメモだ。
▼メモ
「この前、メールで借金取りって言ったんだけど、実は使い込んだもので、お金を返してって言われとると。30万を返してって言われているから準備してほしい」
母親に金を要求するための文言が、一言一句書いてある。
まるで何かの「手引き書」のようだ。
瑠美さんを仲間に取り込んだ山本被告は、田中政樹被告に暴力団員を名乗らせ、夫の裕さんに圧力をかけていく。
これが、実際の音声だ。
(テープレコーダー)
▼山本被告「あなたに貸したお金はきちんと返済して下さいと約束しておりますので、返済をして下さい」
▼夫・裕さん「すみませんできません」
▼山本被告「何が?」
▼田中被告「弁護士入れたんか?」
▼夫・裕さん
「はい」
▼田中被告
「弁護士入れたところで・・・。やれるもんやったらやってみ・・・。いい加減にしとけ、おりゃ」
妻を取り込まれ、暴力団を名乗る男にも脅された裕さんは、警察に被害届を提出しようとした。
しかし、佐賀県警の対応は予想だにしないものだった。
(音声データ)
▼鳥栖警察署 A巡査「払わなかったら殺すぞとか、払わなかったらどうするっていうことがまだ出てきていなくて、今のところは脅迫だと断定できないない」
▼遺族側「被害届を何で受理せんと?」
▼鳥栖警察署 A巡査「どうしようもないという状況という感じではないので」
▼夫・裕さん
「警察署出て行くときは自分の頭の中が放心状態に近かった。警察って、なんかあっても頼りにならないのかなって考えたりした」
遺族は2019年6月から9月にかけて11回も相談に訪れたものの、佐賀県警はとうとう重い腰を上げることはなく、最後の相談から1カ月後に瑠美さんは亡くなった。
瑠美さんの身に一体何が起こっていたのか?
事件後、取材班は10年に渡り失踪していた瑠美さんの兄と接触することができた。
借金と失踪は山本被告による「巧妙な罠だった」と証言した。
▼兄・亮太さん
「マインドコントロールされていたと思います」
Q事件について知ったときはどういう気持ち?
▼兄・亮太さん
「(瑠美の死が)現実となったときに、正直どうしたら良いか分からなくなってしまったのが事実」
そして、遺族のSOSに応えなかった佐賀県警の対応に迫った。
▼記者
「Aさん?TNCなんですけど、高畑瑠美さんの事件について伺いに来ました」
「このままで良いんですかね?遺族は後悔しているんですよ」
「Aさん!」