中国はなぜコロナ大拡散から抜け出せたのか?

2020年12月01日 12時17分25秒 | 社会・文化・政治・経済

遠藤誉 | 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
3/18(水) 12:42 news.yahoo.

 中国を二度もウイルス禍から救った鍾南山(写真:ロイター/アフロ)
 中国がコロナから抜け出せたのは一党支配体制だからだという側面は否定しないが、しかしそれより大きいのは鍾南山という「体制に屈しない気骨の免疫学者」がいたからだ。ウイルスの前に一党支配体制はむしろ脆弱だ。

◆権力に屈しない鍾南山の気骨
 中国における免疫学や呼吸器学などの最高権威である鍾南山は、1936年10月20日に江蘇省の南京市で生まれた。1960年に北京医学院(現在の北京大学医学部)を卒業し、文化大革命時には下放され、文革が終わった1979年にイギリスのエディンバラ大学に。1992年から広州医学院院長(現在の広州医科大学学長に相当)などを務めた。
 父親は北京協和医学院とニューヨーク州立大学を卒業し、広東省の中山医学院の教授になり、母親も協和医科大学を卒業後、広東省で華南腫瘍医院を創設し副院長を務めたが、文化大革命で知識人として糾弾され自殺している。
 このことが大きな原因の一つになっているのだろう。鍾南山は「反体制」とまでは言わないにしろ、体制におもねることがない。2002年に発生し、2003年に大流行したSARS(サーズ。重症性呼吸器症候群)の時には、感染の中心地となった広東省で広州市呼吸器疾病研究所の所長として異常を察知し、SARSの脅威を隠蔽しようとする江沢民政権に対して異議を唱え、事態の深刻さを訴えた。結果、SARSの(あれ以上の)拡大を抑えることに成功している。
 以来、民族の英雄として人民の尊敬を集めている。

◆鍾南山が提案した緊急コンテナ病棟が中国を救う
 今般の新型コロナウイルス肺炎に関しても、1月24日の<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>に書いたように、1月19日に鍾南山は国家衛生健康委員会ハイレベル専門家チームの代表として武漢の病院を視察した。武漢政府を信じていなかったので病院に行ったというのがキーポイントである。そこで「人から人への感染」があることと、「これはSARS以上の危機をもたらすかもしれない」と一瞬で見抜き、李克強(国務院総理)に知らせたことから、習近平(国家主席)の知るところとなり、1月20日に習近平に「重要指示」を出させるに至った経緯がある。
 そのころ習近平はのんびりとミャンマー訪問や雲南の春節巡りなどをしていたのだから、話にならない。鍾南山の緊急要請がなかったら、コロナ被害は現在の何倍に拡大していたか、収拾がつかない状況になっていただろう。
 武漢から爆発的に湧き上がる感染者の全国拡散を食い止めるには、先ず武漢を封鎖すること。そのアドバイスも直接李克強に与え、李克強から習近平に伝えられて断行に至った。
 しかし溢れ出る患者の数と病院のベッド数がバランスを崩すと医療崩壊を起こす。
 そこで何が何でも医療従事者と医療施設を火急速やかに整備しなければならないと陣頭指揮を執ったのも鍾南山だ。SARSの時に北京に作らせた方艙(ほうそう)医院(野外病院のような緊急対応のコンテナ病院)である小湯山と同じ発想のものを武漢に突貫工事で作らせた。
最初は重症患者を入院させる火神山医院と雷神山医院を10日間ほどで建ちあげ、軽症患者には自宅隔離を命じたが、自宅にいて家族に感染させたり、全く外出しないというわけにはいかないので周辺住民にも感染が広がったり、軽症者が重症化するケースも目立った。
 これでは感染は防げないということで、方艙医院を増築させ、16棟にまで至っている。それでも足りずに体育館や市民会館など使えるものは全て使って患者を全て収容した。重症化した場合も対応がスムーズにいった。
 そしてマスク着用、アルコール消毒などを市民に徹底させ、未感染者に感染することを防ぎ、徹底した「早期発見」と「早期治療」を可能ならしめるために、ともかく検査キットの緊急な充足を断行させた。

◆医療従事者の確保「一省包一市」を提案
 しかし何万人といる患者を誰が診るのかという問題が当然起こる。
 そこで着想したのが3月15日の<欧州などに医療支援隊を派遣する習近平の狙い:5Gなどとバーター>に書いた「一省包一市」方式である。感染者は武漢市から湖北省全体に広がっていたので(湖北省もほぼ封鎖に近い隔離状態になっていたが)、中国全土の19の省(直轄市・省・自治区)から医療支援部隊を湖北省の16の地区にそれぞれ派遣して医療体制を補完し構築したのである。武漢市には全国の医療部隊が集中的に派遣されており、人民解放軍の医療部隊も総動員された。その数は2月28日の時点で総計4万人強である。

◆「習近平の権威」と「鍾南山の実力」との関係
 習近平としては鍾南山が「民族の英雄」として人民の尊敬を集めるのは面白いことではないが、しかしウイルスによって一党支配体制が崩壊してしまうのは最も恐れていることである。ウイルスが蔓延すれば、一党支配体制は間違いなく崩壊する。民主主義国家ではないので、中国共産党の政権が崩壊すれば、政権交代ではなく、「国家が崩壊する」。それが一党支配体制の脆弱性だ。
 そこで鍾南山のアドバイスと提言を最大限に活用しながら、「それはこの俺が決意し断行したことだ」と「他人の業績を自分のものとして自慢している(摘桃子)」わけだ。
 この「他人の業績」の「他人」は李克強だろうと思われがちだが、これは2月10日の<新型肺炎以来、なぜ李克強が習近平より目立つのか?>に書いたように、習近平がミャンマー訪問や雲南の春節巡りなどをしていたために李克強が北京にいて「留守を守っていた」だけであって、李克強自身に功績があったというわけではない。中国人民の命を守るために貴重なアドバイスをし続けたのは鍾南山で、鍾南山は国家衛生健康委員会が「ハイレベル専門家チーム(専家組)」のトップ(組長)で、国家衛生健康委員会を管轄しているのは孫春蘭国務院副総理で、その上司が李克強(国務院総理)だという流れ図にあるだけのことである。
 おまけに李克強は「新型コロナウイルス肺炎防御抑制領導小組(指導グループ)」の組長(トップ)なので、鍾南山は李克強の指導グループにも常に参考意見を具申する立場にあり、習近平に直接話をするのは職位の順番から言って、あくまでも李克強である。
 但し、中国で最高レベルを保つ人民解放軍の医療部隊は、習近平が司る中央軍事委員会を通して、その系列から派遣されている。

◆任務を終え撤退
 <欧州などに医療支援隊を派遣する習近平の狙い:5Gなどとバーター>に書いたように、方艙医院は3月14日には役割を終えて閉鎖され、また全国から集まった医療支援部隊は、3月18日に最後のチームが撤退し、武漢はコロナ発生前の医療体制に戻った。
 3月16日現在で、まだ病院に残っている患者数は中国全土で8,976人で、治癒して退院した患者数は68,679人。それも病院で治癒したと診断された後に、さらに2週間は隔離するという手法を取っているので、今では再感染はほぼいなくなっている。そのシステムを作ったのも鍾南山だ。

◆海外からの「逆輸入」
 いま問題になっているのは、欧州など海外の感染率が高いために、それまで中国から逃れていた海外移動者たちが中国に戻り始めたという「逆輸入」現象が起き始めていることである。数日前までに新規感染者数が中国全土で1桁にまで減って、これで中国は完全に「脱コロナ化」ができたと胸を張っていたのだが、一昨日辺りから突然「帰国者による再拡大」現象が起き始めている。
 そこで3月17日、中国政府は「北京空港はいかなる国際便の着地も許さない」ことを決定した。18日から中国に入る国際便は全て、北京以外の空港で乗客を降ろすことにし、かつ乗客は必ず14日間の隔離を強要される。そうしてでも、感染者の再燃を防ぐことに必死である。

◆ハイレベル専門家チームも解散
 鍾南山があまりに体制側に毅然と立ち向かうため、遂に「国家衛生健康委員会ハイレベル専門家チームのリーダーの職を解任された」という趣旨の情報が、大陸外中文報道に見られるようになった。しかし、湖北省、特に武漢市のコロナに対する「ハイレベル専門家チーム」はあくまでも臨時的な組織で、その役割は終わったというだけのことである。このチームも解散し、国務院の下で科学技術部が主導する「新型冠状病毒感染的肺炎疫情聯防聯控工作機制科研攻関専家組」という長い名前の専門家チームなどは残っており、鍾南山はそのリーダーを務めている。
 鍾南山が、中国疾病預防控制中心(CDC)などにもっと大きな行政権を与えないとウイルス感染などの早期発見や迅速な初動は難しいという提言をしたので、それが機能しているわけだ。
 海外中文情報にある「中共は鐘南山を頼って利用しているが、 鐘南山は中共にとって意のままにコントロールできる都合のいい人物ではない」という趣旨の記事からも、彼の姿勢が窺われる。

◆鍾南山を中傷する記事
 中国大陸以外の某中文メディアでは、「鍾南山氏の名義で3つの会社が登記されており、息子はエルメスのベルトをしている」などという、鍾南山を誹謗する記事があるが、鍾南山ほどの地位にあれば、会社の一つや二つを持っているのは普通のことだ。彼が行政側の人間であるなら話は別だが、彼は権力を嫌うので自由に生きている。ただ疾病に関する事業に従事しているだけで、何ら責められるべきものはないだろう。
 エルメスのベルトにしてみたところで、3000円で買える偽物であるかもしれず、その誹謗記事では「お坊ちゃまのエルメスベルトが眩しすぎる」とあるが、息子(鐘帷徳氏)自身、れっきとした医者であり大学教授(広州市第一人民医院の教授。泌尿器科の権威)。本物のエルメスベルトだとしても10万円程度だ。
 筆者は客観的事実に基づくファクトしか書かないことをモットーとしているが、少しでも中国の「ある要素」を肯定する記事を書くと、すぐに誹謗中傷したがる一部の人たちに、予め鍾南山を誹謗中傷する中文記事の現実をご紹介した次第である。

 以上、中国の現状をご紹介したが、中国が完全にコロナから抜け出したか否かは、全人代などの両会が開催される日を見極めてから判断した方がいいかもしれない。
(なお、本コラムは中国問題グローバル研究所のウェブサイトから転載した。)


 遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。


【国内感染】コロナ 30日 1439人感染 26人死亡(午後10時)

2020年12月01日 12時15分54秒 | 社会・文化・政治・経済

30日は、これまでに全国で1439人の感染が発表されています。また、北海道で5人、大阪府で4人、愛知県で3人、京都府で2人、埼玉県で2人、神奈川県で2人、兵庫県で1人、千葉県で1人、奈良県で1人、山梨県で1人、東京都で1人、福岡県で1人、群馬県で1人、静岡県で1人の合わせて26人の死亡の発表がありました。

国内で感染が確認された人は、空港の検疫などを含め14万9002人、クルーズ船の乗客・乗員が712人で、合わせて14万9714人となっています。

亡くなった人は、国内で感染した人が2152人、クルーズ船の乗船者が13人の合わせて2165人です。

各自治体などによりますと、国内で感染が確認された人は、累計で次のとおりです。
( )内は30日の新たな感染者数です。

▽東京都は4万939人(311)
▽大阪府は2万273人(262)
▽神奈川県は1万2558人(84)
▽愛知県は1万125人(108)
▽北海道は8869人(151)
▽埼玉県は8424人(66)
▽千葉県は6993人(69)
▽福岡県は5827人(27)
▽兵庫県は5626人(56)
▽沖縄県は4326人(32)
▽京都府は2671人(8)
▽静岡県は1668人(42)
▽茨城県は1561人(23)
▽宮城県は1211人(9)
▽群馬県は1207人(12)
▽奈良県は1117人(19)
▽岐阜県は1072人(17)
▽熊本県は1023人(5)
▽三重県は858人(14)
▽広島県は857人(11)
▽石川県は853人(3)
▽滋賀県は783人(3)
▽長野県は718人(15)
▽栃木県は638人(4)
▽鹿児島県は629人(1)
▽岡山県は599人(7)
▽宮崎県は502人(12)
▽福島県は501人(2)
▽富山県は459人
▽和歌山県は452人(6)
▽山口県は386人(2)
▽山梨県は344人(6)
▽新潟県は331人
▽福井県は316人(2)
▽愛媛県は314人(3)
▽佐賀県は309人(2)
▽大分県は295人(15)
▽青森県は295人(8)
▽長崎県は271人
▽岩手県は194人(3)
▽徳島県は181人
▽高知県は152人(2)
▽島根県は147人(1)
▽香川県は148人(4)
▽山形県は135人(2)
▽秋田県は90人
▽鳥取県は58人です。

このほか、
▽空港の検疫での感染は1524人(10)、
▽中国からのチャーター機で帰国した人と国の職員や検疫官などの感染は合わせて173人です。

厚生労働省によりますと、新型コロナウイルスへの感染が確認された人で、人工呼吸器や集中治療室などで治療を受けるなどしている重症者は、30日時点で472人(+10)となっています。

一方、症状が改善して退院した人などは、30日時点で、
▽国内で感染した人が12万3445人、
▽クルーズ船の乗客・乗員が659人の合わせて12万4104人となっています。

また、今月26日には1日に3万7177件のPCR検査が行われました。

※福岡県が訂正 今月28日の感染者を1人減。
※神奈川県が訂正 今月25日、26日、29日の感染者を1人ずつ減。
※茨城県が訂正 今月25日の感染者を1人減。
・集計は後日修正される可能性があります。
・在日米軍の感染者は含めていません。

逮捕の21歳「ムラムラした」ジョギング中の女性を「殺すぞ」とカッターで脅し茂みに…

2020年12月01日 10時41分14秒 | 事件・事故

11/30(月) 19:51配信

ジョギング中の女性を狙った犯行

FNNプライムオンライン

ジョギングを楽しむ女性を狙って暴行を企てた男が11月28日逮捕された。

金子容疑者が目を付けたのは1人でジョギングをしていた40代の女性だった。
11月18日午前8時ごろ、東京葛飾区の水元公園で朝の時間帯に一人でジョギングをしていた40代の女性を、金子容疑者はカッターナイフで脅し、茂みのようなところへ女性を引きずり込んだという。

金子容疑者は、「殺すぞ」などと脅迫、性的暴行を加えようとし、あごに2週間のけがをさせた疑いが持たれている。

女性は抵抗したため金子容疑者は現場から逃走したが、犯行手口や女性の証言などからその後、逮捕となった。

公園の利用者:
大通りの方が人が多くて、ここはちょっと森の中ですから、人が少ないと思います。警察官がきていましたので何かなと思いました。

警察官に包丁を突きつけ抵抗
現場の公園から直線でおよそ1.5kmほど離れた場所に、金子容疑者の自宅がある。

警察官が金子容疑者の自宅を訪れると、包丁を突きつけるなどして抵抗。その場で公務執行妨害の現行犯で逮捕された。

警視庁の調べに金子容疑者は容疑を認め、「ジョギング中に前を走っていた女性の姿を見てムラムラして、背後から押し倒して服を脱がせ性行為をしようとしたことに違いありません」と供述しているという。

「イヤホン」や「ルート」に注意を
今年は新型コロナをきっかけに運動不足を解消しようとジョギングをする人が目立っている。

今回の事件を受け女性ランナーに話を聞くと

女性ランナーA:
自分がその身になったら声も出ないんじゃないかな。ジョギング中だから心肺も高まってるから、逃げようと思っても逃げられない。

女性ランナーB:
声かけられたりしたことはありますね。すいませんみたいな。ずっと追いかけてきて、無視して走って逃げたりとかをしたことがあります。

女性ランナーC:
(音楽の音量は)人の足音がわかるぐらいとか、自転車の音も聞こえますしやっぱり聞こえなくなるっていうのは怖いので、それは気をつけてます。
(今回の事件を聞いて)朝とかでもあんまり関係ないのかなって思うと怖いなと思うし、ルートとかも考えなきゃいけないのかなっていうのはすごく思います。

警視庁はジョギングをする際、イヤホンで音を遮ることを避け、人けの少ない道をコースとして選ばないよう呼びかけている。

(「イット!」11月30日放送)

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女性に睡眠薬のませ性的暴行 男2人逮捕

2020年12月01日 10時37分59秒 | 事件・事故

11/27(金) 15:25配信

日本テレビ系(NNN)

マッチングアプリで知り合った女性に、睡眠薬をのませて性的暴行を加えたとして、自称無職の男2人が逮捕されました。

警察によりますと、逮捕されたいずれも自称無職の丹野凌太郎容疑者と、高橋良太容疑者は今年9月、千葉県内の飲食店でマッチングアプリで知り合った20代の女性に、睡眠導入剤入りの飲み物をのませて抵抗できない状態にした上で、船橋市内のマンションに連れ込み性的暴行を加えた疑いがもたれています。

2人は中学の同級生で、調べに対し、丹野容疑者は「弁護士と相談しないと、今は何も言えない」と否認し、高橋容疑者は容疑を認めているということです。

警察は同様の手口で、10人以上の女性が被害に遭ったとみて調べています。

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大宮で深夜…女性にわいせつ、殴るなど暴行 容疑で男逮捕 以前も女性蹴る暴行で逮捕「覚えていません」

2020年12月01日 10時18分15秒 | 事件・事故

12/1(火) 8:45配信

埼玉新聞

 路上で女性を押し倒してけがをさせたとして、埼玉県の大宮署は30日、強制わいせつ致傷の疑いで、茨城県古河市、無職の男(35)を再逮捕した。

深夜2時半…コンビニの女性客を抱きかかえた美容師、車に乗せて強制性交 容疑で逮捕 女性が通報/県警

 再逮捕容疑は7月30日午前0時45分ごろ、さいたま市大宮区の路上で、徒歩で帰宅していた30代女性の後方から近づいて押し倒し、体を触るなどした上、頭部を殴るなど暴行を加え、女性に全治1週間のけがを負わせた疑い。

 同署によると、男と女性に面識はなく、現場周辺の防犯カメラの映像などから、男が浮上した。

 男は9月と10月にも、別の女性の後方から近づいて蹴るなどの暴行を加えたとして、傷害の容疑で逮捕されていた。
 
 男は「覚えていません」と容疑を否認しているという。

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「今度払う」無人駅で不正乗車相次ぐ JR九州は良心頼み…憤りも

2020年12月01日 10時10分01秒 | 社会・文化・政治・経済

2020/6/25 6:00 (2020/6/25 14:32 更新) 
西日本新聞 社会面 布谷 真基

JR九州管内で行われている不正乗車のイメージ 拡大

福岡県内の無人駅に設置されている簡易改札機。開閉するゲートなどはなく、駅内外を自由に出入りできてしまう

JR九州が鉄道事業合理化の一環で駅の無人化を進める中、定められた運賃を支払わずに客が乗降する不正乗車が相次いでいる。同社は複数の駅を無人化し、一括で遠隔管理できる「スマートサポートステーション(SSS)」を福岡都市圏など利用者が多い路線で増やしており、今後も不正乗車の横行が懸念される。
 SSSは駅に防犯カメラやインターホン、簡易改札機などを設置し、サポートセンターで管理する。2015年に初導入し、福岡県内の香椎線や筑豊線、大分市内の一部など乗降客数が多い都市部で相次いで取り入れ、5路線41駅に広がった。SSS導入駅を含む無人駅は、全568駅のうち304駅と半数超。10年度の無人駅は237駅。当時は有人駅の方が多かったが、10年間で逆転した。
 6月の平日夜、SSSが導入されている福岡県内の無人駅。列車を降りた人が一斉に出口に向かう。ICカードを簡易改札機にかざすこともなく、切符を回収箱に入れることもなく改札口を通過する人が便ごとに複数いた。このうち、中年男性客に話を聞こうとしたが無言で立ち去った。
 無人駅での支払い方法は(1)ICカード(2)切符(3)旧型の磁気定期券-の3種類ある。別路線の無人駅では、切符を買わずにホームに入った高齢男性を追ったところ7駅先の無人駅で降車。そのまま駅外へ出た。磁気定期券での乗降も考えられるため尋ねると、男性は「ない。今度払う」とだけ答えて近くの量販店に消えた。
 別の無人駅ではICカードを簡易改札機にかざさずに入場した女性客が、福岡市内のターミナル駅で出場する際に実際とは異なる駅で乗車したと申告しているのを確認した。200円分をごまかしていた。
 SSS導入路線を通勤で利用する男性(56)によると、ふだん乗降する無人駅には入出場を記録する簡易改札機があるだけで、運賃を払わずに改札を出入りする人をよく見かけるという。「見過ごされているなら不公平だ」と憤る。
 鉄道営業法に基づくと、鉄道事業者は不正乗車した人に運賃の3倍以内の金額を請求できる。JR九州は抜き打ちで検札を実施。切符を持たないなど乗車記録が確認できず不正が疑われる事例は把握しているが、それに基づく徴収額は明らかにしていない。
 同社は不正乗車が一定数あることを認めた上で「不正乗車件数や被害額の全体像把握は難しい。乗客の良心に委ねるのが基本だ」と説明。幹部は「特効薬はない」と頭を抱える。
 路面電車やバスのように乗車時、車内で乗客にICカードを読み取ってもらうか整理券を取ってもらい、降車時に車内で精算する方式を採用する鉄道会社もある。だが、JR九州は複数路線があり、車両数も多いことから「コストが高く、導入は検討していない」(広報部)という。 (布谷真基)
罰金増など対応必要
 鉄道関連の法制度に詳しい小島好己弁護士の話 不正乗車の疑いがあっても係員の配置などで生じるコストより、運賃取りこぼしによる損害の方が少ないと考えるのが企業経営上、現実的になっている。一方で正規運賃を負担する利用者は不公平感を抱きやすく、モラルハザード(倫理観の欠如)を招きかねない。抜き打ちで行う検札の頻度を高めたり、不正乗車に対する請求額(罰金)を欧州のように思い切って数十倍に増やしたりして、抑止力を高める対応が必要ではないか。


都会にも広がる無人駅 東京や大阪でも1割に データ初めて明らかに 国交省

2020年12月01日 10時10分01秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞2020年11月29日 17時45分(最終更新 11月29日 19時40分)

全国の無人駅の割合
 駅員が一日中いない「無人駅」の割合が、東京都や大阪府で1割に上ることが国土交通省がまとめた都道府県別データで明らかになった。無人駅の割合は地方ほど高い傾向にあるものの、利用者の多い都市部にも広がっている実態が浮き彫りになった。

乗車時や緊急時にサポートが必要な障害者の日常生活に影響しかねず、国は今後、無人駅について鉄道事業者が取り組むべきことを定めたガイドラインを策定する方針だ。


20年で400駅が無人駅に 都市部でも増える日中だけ

2020年12月01日 10時08分13秒 | 社会・文化・政治・経済

贄川俊
2020年11月15日 21時30分

2015年に無人化したJR西戸崎駅。平日の通勤時間帯、駅員室にはカーテンが掛かっていた=16年10月、福岡市東区

 駅員が終日いない「無人駅」の数が約20年間で1割増え、2020年3月時点で全体の5割近くになっていることが、国土交通省の集計でわかった。経営状況が厳しい地方鉄道に加え、都市部では一部時間帯に限った無人化も進む。駅員が不在になり、電車の乗り降りに支障を訴える障害者も少なくなく、国交省は鉄道事業者向けのガイドラインづくりを始めた。
 国交省が鉄道会社の各年度末の駅数と無人駅数を集計した。データを取り始めた02年3月には全国で9514駅あり、うち無人駅は43・3%にあたる4120駅だった。それが20年3月時点では、駅数は9465駅とほぼ変わらないが、無人駅は4564駅と全体の48・2%を占めた。
 都道府県別の無人駅の割合(20年3月時点)をみると、最も割合が高いのは高知の93・5%。徳島(81・6%)、長崎(79・6%)と続いた。30道県で無人駅の比率が5割を超え、特に北海道、東北、北陸、中国、四国、九州などの地方が目立った。
 無人駅の割合が低いのは埼玉(3・0%)、東京(9・9%)、大阪と神奈川(ともに16・0%)。沖縄は、県内を唯一走るモノレールの19駅すべてが有人で無人駅はなかった。
 無人駅の増加は、少子高齢化や都市部への人口流入で、特に地方鉄道の経営が厳しくなっていることが背景にある。各社は管理費を抑えるために業務を外部委託したり、一部時間帯を無人にしたりするが、それでも維持が難しいと判断して無人駅にすることが多い。
 無人駅の増加に伴い、転落事故など安全面での課題も少なくない。各社は無人駅にインターホンを設置して別の駅から遠隔操作したり、必要なら職員を派遣したりして対応するが、障害者からは「鉄道を使うための介助に事前連絡が必要な駅があるのは差別ではないか」との声もあがる。
 大分県では9月、車いす利用者が駅の無人化によって移動の自由を制限されたのは違法だとして、JR九州に損害賠償を求める訴訟が起きた。
 集計上は「有人駅」に分類されるが、都市部では、業務を効率化させるため、日中だけ駅員がいる「時間帯無人駅」も広がっている。介助の必要な障害者からは「駅員の勤務時間(午前7時半~午後7時)以外では介助の対応ができないと言われている」「朝晩は無人で、3日前までに電話連絡しないと利用できない」などと不満が出ている。
 こうした動きもあり、今春のバリアフリー法改正でも、無人駅で事業者が障害者のために取り組むべきガイドラインをつくるよう、国に求める付帯決議がついた。国交省は「政策を進める上での必要がなかった」として集計してこなかった無人駅のデータを整理。今月上旬には、障害者が無人駅でもできるだけ不便なく鉄道を利用できるようにするための意見交換会を開いた。来夏までに鉄道会社向けのガイドラインをつくる方針だ。(贄川俊)


若者に広がる大麻 危険性伝える対策さらに

2020年12月01日 09時56分18秒 | 事件・事故

社説

毎日新聞2020年11月30日 東京朝刊

大麻取締法違反で検挙される人が急増している。法務省の犯罪白書によると、昨年は前年比2割増の4570人に上り、過去最多となった。

 若者が目立つ。20代が4割を占めて最も多く、20歳未満も1割を超え、前年から大幅に増えた。

 今年に入っても、上半期に検挙された若者は昨年の同期間を上回り、状況は悪化している。

 興味本位で使い始めることが多い。インターネット上で、大麻に害はないとの誤った情報が流れているのが一因だ。

 検挙された人の8割が危険性は全くないか、あまりないと考えていたとの調査がある。

 若者が、手に入れやすくなっている現状もある。ネット上のサイトや投稿で、入手方法を知るケースも多いという。

 大麻を使うと幻覚を見たり、記憶力や集中力が低下したりする。精神疾患や生殖機能の異常につながるとの報告もある。

 「ゲートウエー(入り口)ドラッグ」とも言われる。大麻をきっかけに、より刺激の強い薬物に手を出し、深刻な薬物依存に陥る恐れが懸念されている。

 覚醒剤使用者の半数に大麻の経験があり、未成年で使い始めていた人も目立った。

 危険性を伝える取り組みを強化しなければならない。中学生や高校生の使用例もあり、学校での教育も大切になる。

 海外では、条件付きで大麻を処罰の対象外としているところもあるが、有害性を否定しているわけではない。

 薬物対策では、依存しないための治療も重要だ。刑務所や少年院ではプログラムが用意され、出所後の支援も整備されつつある。

 ただ、大麻で検挙された人は、起訴猶予となるケースが少なくなく、有罪となっても大半は執行猶予が付く。治療につながりにくい実情がある。

 捜査機関や刑事施設、保護観察所、病院、支援団体の連携強化が欠かせない。息の長い治療・支援に向けた体制の構築が必要だ。

 福岡県は執行猶予判決を受けた人に、個別の支援計画をつくって病院などを紹介している。こうした例も参考にして、薬物を断つための仕組みを整えてほしい。


覚醒剤減少も若者に大麻広がる 20代の検挙者が最多 犯罪白書

2020年12月01日 09時45分46秒 | 事件・事故

毎日新聞2020年11月24日 09時21分(最終更新 11月24日 11時30分)

法務省は24日、覚醒剤や大麻使用などの薬物犯罪を特集した2020年版犯罪白書を公表した。19年の検挙者は覚醒剤取締法違反が44年ぶりに1万人を下回った一方、大麻取締法違反は統計開始以降で最多。大麻取締法違反は20代が最多で、大麻が若者に広がっている実態を報告している。

 薬物犯罪の19年の検挙者は1万3860人(前年比3・2%減)で、うち覚醒剤取締法違反は8730人(同13%減)。大麻取締法違反は4570人(同21・5%増)で、統計のある1971年以降で初めて4000人を超えた。

 年齢層は、覚醒剤取締法違反は40代が最も多かったのに対し、大麻取締法違反は20代が最多。20代と30代は覚醒剤の検挙者が減る一方、大麻は増加傾向となっている。大麻は大学生と高校生も増加。20歳未満の検挙者は前年比41%増の595人に上り、覚醒剤の92人を大幅に上回った。

 法務省の担当者は「若者が覚醒剤や危険ドラッグから大麻にシフトしている。インターネットで大麻の害悪を矮小(わいしょう)化した説明が拡散し、入手・栽培方法などの情報も出回り、安易に大麻に手を出している」と指摘する。

 成人の検挙者のうち、過去と同じ罪名で再犯をした割合は、覚醒剤取締法違反は19年は66・9%で00年から14・5ポイント上昇した。大麻取締法違反は24・4%で近年はほぼ横ばい。若者を中心に初犯が多い大麻に対し、覚醒剤は依存から抜け出せない常習者が多いとみられる。

 19年の刑法犯の認知件数は17年連続減の74万8559件で、戦後最少を更新した。検挙者数は13年から戦後最少を更新し続け、19年は19万2607人(前年比6・5%減)だった。65歳以上の高齢者は4万2463人で前年比5・1%減。ただし、検挙者に占める高齢者の割合は年々上昇して19年は22%となり、05年(10・9%)の2倍の水準に達した。高齢者の犯罪は約7割が万引きなどの窃盗だった。

覚醒剤使用、男女に意識の差 受刑者アンケ
 犯罪白書には、覚醒剤取締法違反の受刑者に実施したアンケート調査の結果が掲載され、男女間の覚醒剤使用への意識の違いが明らかになった。

 「覚醒剤を使用する引き金となった場面」(複数回答)では、男性は「性行為をするとき」「手元にお金があるとき」など、快楽を得る目的の回答が目立った。女性は「誰かとけんかした後」「自分の体形が気になるとき」などの項目が男性を大幅に上回り、否定的な感情を打ち消すために覚醒剤を使用する傾向が浮かび上がった。

 女性は4割強が過食や自傷行為などを経験し、DV被害を受けた人が7割を超える点も男性と異なる。精神疾患の割合も40・2%で、男性の8・6%と比べて高かった。白書は「女性は再乱用を防止するために治療を受けるニーズが高い人が多いが、介入は多角的で慎重に行う必要生が高い」と指摘した。

 調査は2017年7~11月に刑務所に入所した受刑者を対象に行い、22~78歳の699人(男性462人、女性237人)が回答。薬物使用を始めた年齢は平均18・7歳。5年以上の乱用者が9割を超え、半数近くは集中治療が必要な依存度だった。【村上尊一】


「判決も差別だ」原告、敗訴に落胆 旧優生保護法訴訟

2020年12月01日 09時42分35秒 | 事件・事故

12/1(火) 7:00配信

朝日新聞デジタル

記者会見で、手話で記者の質問に答える原告の男性の手=2020年11月30日午後、大阪市北区、小川智撮影

 子を産み、育てる権利を奪われた原告の訴えは届かなかった。大阪地裁は30日の判決で、旧優生保護法(旧法)を差別的で違憲としつつ、時の経過によって権利が消滅する「除斥期間」を適用し、国への賠償請求を退けた。原告や弁護団から落胆と怒りの声が上がった。

【写真】記者会見で、手話で記者の質問に答える原告の女性(手前)=2020年11月30日午後、大阪市北区、小川智撮影


 30日午後、大阪地裁の202号法廷。

 原告3人のうち聴覚障害のある70代女性とその夫の80代男性は原告席に座り、手話通訳を介し、判決主文や理由の説明を受けた。

 判決後、大阪市内であった会見で「裁判官は悔しさとか苦しみをわかってくれているのだろうか」「怒りがおさまらない」。夫妻は大きな身ぶりの手話で憤りを示した。

 生まれつき耳が聞こえない女性は1970年、夫と結婚。4年後に帝王切開で赤ちゃんを出産したが、生後まもなく亡くなった。この日の判決で、出産の際、理由を告げられずに不妊手術を受けたと認定された。

 判決は、旧優生保護法(旧法)が差別的だとして法の下の平等を定めた憲法14条に違反するという初判断を示した。原告側弁護団の辻川圭乃(たまの)弁護士(大阪弁護士会)は「仙台地裁より踏み込んで評価できる」と指摘。夫も「法律が差別にあたると言ったのは良かった」とした。

 それでも、訴えは認められなかった。夫は「判決も障害者差別だ。裁判所は、障害や長年の苦しみを理解していない」と落胆した。

 夫妻は今後、旧法をつくった国の責任を問いたいとして控訴を検討する。妻は「周りの支援が得られれば、もう一度、私たちの訴えを司法の場で考えてもらいたい」。手話の手ぶりに力を込めた。

 もう一人の原告、知的障害のある女性(77)の姉は弁護団を通じ「妹は長い間苦しんできた。請求が認められず大変残念に思う」とコメントした。

【関連記事】


日本統治下の台湾先住民蜂起「霧社事件」から90年 許しても、忘れぬ 傷抱える子孫、伝承へ歩み

2020年12月01日 06時56分06秒 | 事件・事故

毎日新聞2020年11月30日 東京朝刊

マホン・パワンさん。後方は映画「セデック・バレ」に出演した時の様子。セデック族はかつて、成人の証しとして顔に入れ墨を施す習慣があった=台湾中部・南投県仁愛郷で10月、福岡静哉撮影
 日本統治時代の台湾で1930年10月、中部のある集落で先住民が抗日を訴えて蜂起する「霧社事件」が起きた。約1000人もの犠牲者を出し、日本統治時代に起きた先住民による最も大規模な抗日事件といわれる。それから90年が過ぎた。子孫たちは今、事件そのものや日本に対してどんな思いを抱いているのか。現場を訪ねた。【南投県(台湾中部)で福岡静哉】

 ♪私の夫よ あなたと共に行くべきだった 残された子供たちと 耐え忍ぶしかない 私はとてもつらい

「許してもいい。忘れてはならない」
セデック族には「恨む」という概念がない。
このため清流では、誰一人として「日本人を恨め」とは教えていないのだという。

「歴史の中で起きたことにとどまり続けるのではなく、未来を見据えることが大切だ。同時に、先祖っちが勇敢に抵抗し、耐え忍び、生き残ったことも忘れてはならない」


日本統治時代 台湾・霧社事件

2020年12月01日 06時29分29秒 | 事件・事故

霧社事件(むしゃじけん)は、1930年(昭和5年)10月27日に大日本帝国外地台湾・台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった、台湾原住民による日本統治時代後期における最大規模の抗日蜂起事件。

背景

当時の霧社
原住民側蜂起の直接の原因といわれているのが、1930年(昭和5年)10月7日に日本人巡査が原住民の若者を殴打した事件である。

その日、巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。

巡査を宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(霧社セデック族村落の一つマヘボ社のリーダー)の長男、タダオ・モーナが巡査の手を取ったところ、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキでタダオを叩いた。

侮辱を受けたと感じたタダオは巡査を殴打した。
この巡査殴打事件について警察からの報復をおそれた原住民側、特にモーナ・ルダオが警察の処罰によって地位を失うことを恐れ、蜂起を画策したと言われている。
そして蜂起の背景として、日頃からの差別待遇や強制的な労働供出の強要(出役)について、原住民たちの間に不満が募っていたことがあったと言われている。

経緯[編集]

事件の舞台となった霧社公学校

討伐部隊

討伐に参加する味方蕃

遺骨が発掘された仁愛郷公所
1930年(昭和5年)10月27日、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁[2]300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。

当時の公学校には一般市民の日本人と漢人(大陸からの移住者)の家族子弟が集まっており、部族民は和装の日本人を標的として襲撃、結果日本人132人と和装の台湾人2人余りが惨殺された。

犠牲者は無残にも首を切り落とされる有様であった。
なお、現地の警察には花岡一郎(セデック語:Dakis Nomin,1908年-1930年)と花岡二郎(セデック語:Dakis Nawi,?年-1930年)という、霧社セデック族の警察官も2名居たが、彼らは事件発生後にそれぞれ自殺した。

彼らは日本への義理立てを示す遺書を残したが、遺書は偽造されたものであるとの見解や、実は彼らが暴動を首謀、扇動または手引きした(させられた)との見方もある。

蜂起の連絡を受けた駐留日本軍警察は武力による鎮圧を開始した。日本側は2日後の10月29日には早くも霧社を奪回した。霧社セデック族側は山にこもり、霧社襲撃の際に警察から奪った武器弾薬を使って抵抗した。

11月1日の戦闘では蜂起軍側は日本側に抵抗したが、指揮を取っていたモーナの次男バッサオが死亡。11月初めにはモーナ・ルダオが失踪、日本側は親日派セデック族や周辺の諸蕃部族(「味方蕃」と呼ばれた)を動員し、11月4日までに蜂起側部族の村落を制圧した。モーナの失踪後は長男のタダオ・モーナが蜂起勢の戦闘を指揮したが、12月8日にタダオも自殺した。

12月中に鎮圧軍は現地の治安を完全に回復し、戦闘は終結した。日本側は大砲機関銃航空機などの兵器を投入し、ようやく蜂起軍を制圧した毒ガス弾の使用については諸説があり定まっていない。

味方蕃の戦闘員たちに対しては蜂起軍の首級と引き換えに日本側から懸賞金が支給された。この措置は日本統治下で禁止されていた首狩りを許可するものであり、懸賞金の対象は敵蕃の壮丁のみならず、一般市民まで含まれていた。この措置は原住民部族間のみならず同族セデック間での凄惨な殺し合いをも助長し、後述の第二霧社事件の発端にもなったとされる

戦闘の中で、700人ほどの蜂起軍が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。特にモーナのマヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態となった。一方、鎮圧側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人、味方蕃21人であった

掃討戦で戦死した日本軍人・味方蕃兵士は靖国神社に祀られている。

1931年(昭和6年)1月台湾総督石塚英蔵、総務長官人見次郎警務局長石井保台中州知事水越幸一が事件の責任を取り辞任した。

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦敗戦による日本統治終了後、国民党政権下の霧社で防空壕建設が行われたが、その際に旧駐在所霧社分室の跡地から30数体の白骨死体が発見された。事件当時の当事者回想録では、この死体は霧社事件の際、日本側の投降呼びかけによって投降した蜂起部族が処刑されたものだと主張している。この白骨死体発見が契機の1つとなり、「霧社山胞抗日起義紀念碑」が設立された

毒ガス使用の有無[編集]

中川(1980)では、びらん性毒ガス兵器(ルイサイト)を投入したとある。また台湾の教科書[要出典]では、鎮圧の際に致死性の化学兵器も用いたと記されている。その根拠としては、1930年11月3日に台湾軍司令官が陸軍大臣宛に「兵器送付ニ関スル件」として「叛徒ノ待避区域ハ断崖ヲ有スル森林地帯ナルニ鑑ミ、ビラン性投下弾及山砲弾ヲ使用シ度至急其交付ヲ希望ス」と打電した記録による。

いっぽう『日本統治下における台湾民族運動史』1102頁では日本軍は催涙ガスは使用したが、毒ガスは日本兵にも被害が及ぶ恐れがあったため使用されなかった、とする。『図説台湾の歴史』118頁では、毒ガス使用の有無については今に至るまではっきりしていないとされる。

第二霧社事件と川中島遷移

 
首を狩られたセデック族保護蕃と、首を狩ったタウツア族。警察官の姿も見える

1931年(昭和6年)4月25日、蜂起に与した後に投降した霧社セデック族生存者(保護蕃と呼ばれた)をタウツア社(タウツア社はセデック族と対立しており、味方蕃として日本に協力した)が襲撃し、216人が殺され、生存者は298人となった。襲撃側のタウツア社の死者は1名であった。これを第二霧社事件という

霧社事件の後始末で警察が味方蕃から銃器を回収する寸前の出来事であったが、当時の警察官から、警察がタウツア社に襲撃を唆したとの証言がなされている。タウツア社への処罰はなされず、逆に蜂起部族の土地を与えられることとなった[17]

1931年(昭和6年)5月6日、最終的に生存したセデック族保護蕃は北港渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。

ここで生存者ら家族は警察からの指導のもとに生活した。強制移住後も蜂起参加者への警察の取調や投獄など責任追及は続いた。反乱に与しなかった霧社セデック族各社に対しても「反乱協力者」として投獄される例もあった。こうして最終的に蜂起有責者として38名が逮捕投獄された。

当初警察はこれらを毒殺により処刑しようとしたが担当医師から毒薬注射を拒絶された。38名は留置処分となったが、逃亡を図り殺害された1名のほか全員が1932年(昭和7年)3月までに留置中に獄死した

川中島への移住者には当局からの援助があったものの、労働力の不足やマラリアに苦しめられ、移住から2年後には人口が3分の2まで減ったという。ただしその後は持ち直した

影響

事件前から霧社は台湾総督府による理蕃政策の先進地域であった。事件前、台湾総督府によるセデック族統治政策は一定の効果があがっていた。

かつては首狩りを恐れられていたセデック族からの襲撃事件(蕃害と呼ばれていた)は1929年(昭和4年)には年間死傷者が5名まで減っていて、また教育も普及が進んでいた

当時日本の植民地支配に対し抵抗をしていた台湾民衆党は事件を機に、理蕃政策の改善や警察政治の改革を訴えた。

左派運動を展開していた台湾共産党も当局を批判したが、当時の台湾漢族住民側は霧社事件そのものには関与していないとされる。

全国大衆党衆議院議員であった河上丈太郎河野密は訪台して事件を調査し、1931年(昭和6年)6月に全国大衆党は帝国議会で当局の対応を批判した。

昭和天皇までもが「事件の根本には原住民に対する侮蔑がある」と漏らした

台湾総督府は事件後、原住民に対する政策の方針を修正していく。原住民に対する同化教育と同時に、適農地区への定住化と米作の普及が試みられ、成果を挙げた

霧社事件の生存者が移住した川中島や、霧社でのダム建設のため立ち退きをさせられた人々が移住した中原(川中島に隣接)は、稲作適地であったため結果的に農業生産性が向上し、住民らの生活は以前よりも豊かになった。

また、天皇と帝国に対する忠誠を示した者は日本人同様に顕彰されたので、太平洋戦争(大東亜戦争)時の高砂義勇隊には自ら志願して戦地に赴いた原住民が多く存在した。一説によると霧社事件での山岳戦でセデック族がとても強かったため軍部が高砂義勇隊の創設を着想したとも言われる。

こうした事例は映画『サヨンの鐘』にも描かれ、皇民化教育の成果として謳われた。


敢闘会の第100回を記念する文集を発行

2020年12月01日 04時39分15秒 | 日記・断片

第100回記念敢闘会文集を発行することになった。

当初、第100回敢闘会は3月に開く予定であったが、コロナ禍のために全ての会合が自粛となる。

文集の原稿内容については、9月に企画が具体化し、10月25日にまでに原稿を集め11月開催の敢闘会までに発行の予定だった。

文集の編集・発行はこれまで、パソコンの先生をしている米田さんが担当していたが、今回は当方が責任者となることを申し出た。

実は元の職場の編集機を利用しようとしていたのだが、コロナ禍もあり東京へ行くことは自粛して、編集協力やアドバイスを受けて自宅のパソコンで編集することになる。

ところが、2007年製のパソコンでスキャンが何故かできない。

4、5前に1度故障して全く機能しなくなった。

そこで買うよりいいかと、元NECに勤めていたと言う業者に依頼して2万円で修復してもらった。

遺物のようなWindows Vistaなのだ。

今回は4人で編集したが、それぞれ意見が違う。

イラストをたくさん入れたら、「多すぎる」「写真は小さく」

さらに、原稿の順番への拘りも。

途中で放り出したい気持ちともなる。

元大学の先生もいて、「さすが!」と納得することも。

見出しの大きさから目次の形式も指摘される。

イラストの位置なども。

そして、やっと11月31日、最終原稿となるが、まだ修正があるかもしれない。

4人が4人の考えを主張しての結果。

でも、より良い文集をとの熱い思いの表れだったのだ。